セミのある意味断末魔ともとれる大合唱が耳を劈き、夏も本番。滲み出す汗を止める術もなく、時折流れてくる風が何よりの清涼剤。ちりん、と控えめに主張する風鈴は何度見ても風情あるものだ。 「あーつーいー」 「岡崎うるさい」 そして、この男のようにテーブルにへばりついているのもまた、夏の到来を嫌でも感じさせてくれる。……全く以って不本意で、必要のない季節の使者ではあるが。 「ねえ美佐枝さん、クーラー―――」 「つけないわよ」 まだ窓を開ければ涼しい気候。急速に冷えるところとかが身体に悪そうなクーラーなんて必要ない。環境に悪いとか、そういう善意とかの話はあんまり興味ないけども。更に岡崎の場合、放っておくと温度を20℃近くに設定し兼ねないため、尚更。 私がはっきりとした口調で却下すると、岡崎は再びテーブルに項垂れる。このやりとりが、さっきから数回は繰り返されている。 というか、クーラーの電気代の消費量をこの男はわかってるんだろうか。 曲がりなりにも岡崎は社会人。ちゃんと就職もしてる、言わばこの家の大黒柱だ。金銭感覚は標準はあると信じたい。 私も一応稼ぎはあるものの、正社員の岡崎に比べれば微々たる物。……そういえば、20代後半というこの年齢でも括り的には『パートのおばさん』に分類されるんだろうか。……それは何か精神的にくるものがある。少し、イタイ。 「そんなに暑いなら、扇風機でも使いなさいよ」 電気代的にも、随分お得だし。 「生暖かい風しか来ないからイヤ」 「それでも、ないよりはマシじゃないの?」 「……まあ、そうかも」 そう言って、岡崎はダルそうに、のろのろと扇風機をセットしにかかる。 スイッチを入れた途端に聞こえてくる、ウーンという機械音が不思議と身体に馴染む。他の機械では少し不愉快な気分になるはずの音も、扇風機となると何故か悪い気分にならないのは何故なんだろうか。……まあ、そんなことどうでもいいんだけど、岡崎、風をこっちに固定で向けないでよね。頭痛くなるし。 「うーん……やっぱり暑いな」 羽の真ん前にへばりついているヤツが何言ってんだか。しかも、アーアーと声を変えている。 ―――まったく、岡崎朋也という男は学生のときからこうだ。普段は見た目通りの割と自立した感じの雰囲気を纏っているが、時折こういった子供っぽい顔を見せる。……まあ、そこがこの男の魅力であり、私が惚れた所でもあるんだけど。 「……よし。こうなったら―――」 「ちょっと岡崎。あんた変なこと考えてないでしょうね」 「大丈夫だって、美佐枝さん。涼しくなる方法を思いついただけだから」 そして、この顔がロクでもないことを思いついた顔。 私にとってはあまり良い顔じゃない表情で、岡崎は何故かキッチンへと向かっていく。 ―――ああ、やっぱりロクでもない。 冷凍庫を漁ってるのが、その何よりの証拠だと思う。 ガサゴソという音が消え、岡崎はそんなに何に使うんだという程の氷を持って帰ってきた。というか、製氷箱ごと持ってきていた。 「……これでオッケーだな」 ちょうど良い高さの椅子に製氷箱を載せ、扇風機の前に置く。そしてその風を一身に受けてる様子はどこか満足気だ。 まあつまり、冷えた水蒸気を浴びたかった、ってことらしい。 「ホント、岡崎らしいわよね」 「そうかな?」 ホントそう。妙なとこで子供じみてるというか。―――ま、別に構いやしないんだけど。 毎日毎日飽きもせず熱を放っていた陽も沈み、だいぶ涼しい風が窓から吹き込み頬を撫でる。 とはいえ、もう既に8時も近い。改めて夏というのは日が長いことを実感する。 私たちはというと、岡崎が持ち出してきたスイカをパクついている。 夕方にふらりと姿を晦ましたと思ったら、帰ってきたときにはどこからともなくスイカを抱えていたのには流石に驚いた。どうしたのかと訊くと、曰く『もらった』らしい。……とても怪しい。 「夏だなぁ……」 「あんた、ちょっと親父くさいわよ。一応私より年下なんだから、しっかりしてよね」 「まあいいじゃん。こんなクソ暑い日だけど、たまの休みなんだから見逃してくれ」 未だに暑い暑いと言っているが、昼間のようなどこか怨念染みた発声はしてないので、岡崎にとってもだいぶ過ごし易くなってるみたいだ。まあ、実際涼しくなってるんだから当たり前だけど。 「―――お」 突如窓の外から鳴り響く轟音。 ―――花火。音で以て音を消し、美しく空に散る夏の風物詩。 「そういえば、今日夏祭りだっけ」 「……行く? 美佐枝さん」 「いや、いいわ。ここでも充分花火見れるし」 言ったそばから窓の外では弾けては消えていく。 去年は現地まで足を運んだが、家から見る花火というのもまた乙だと思う。 「そうだな。まあ、俺としては美佐枝さんの浴衣姿がまた見たかったけど」 隣で何か言っているバカは放っておくとして、さっきから窓の中で繰り返される光景に、スイカを食べるのも忘れて見入ってしまう。 熱気、涼風、風鈴、花火。 さっき岡崎にはああ言ったが実際そう思うんだから仕方がないのかもしれない。 ―――夏だなぁ、と。 「そういや美佐枝さん、去年の祭りで『来年の夏祭りまでには岡崎のこと名前で呼ぶわ』って言ってたよね?」 ふと思い出したように、岡崎はニヤニヤしながらこっちを見ている。 ……あー、そんなこと言ったような……。 どうやら岡崎にとっていつまでも私が苗字で呼ぶのがあまりおもしろくないらしい。それで去年、そういう話になって、何か面倒になって私は適当にそう言ったんだと思う。……まさか覚えてるとはね。 名前で呼ばない理由? 特にこれといってないけど、ずっとこう呼んでるから何だか気恥ずかしい気もするんだと思う。 「……まあ、いいじゃない? 今更って感じもするし」 「でもなあ……。これでも一応彼氏なんだから、どこか他人行儀な感じがして嫌なんだけどな」 ……そう言われると、ちょっと罪悪感が。何せ、名前で呼ばない理由が理由だしね。言ってみれば、ただの気分の問題なんだから……。 「そういうあんたはどうなのよ」 「俺?」 「いくら私が年上って言っても、さん付けだと何か目上に見られてるようで落ち着かないのよね」 『恋人』という位置に居る限り、私と岡崎は平等な立場なわけだし。 ……それにしても、改めて『恋人』だなんて確認すると、恥ずかしい。 「そうは言っても、俺にとって美佐枝さんは『美佐枝さん』なわけだし」 「…………」 んなこと言ったら、私にとってあんたは『岡崎』なのよっ! 「んーじゃあしょうがない。美佐枝さん?」 「何よ」 「結婚しよう」 ………………………………はぁ? 「あ、あんた突然何言い出すのよ!」 「いや、今がベストなタイミングかな、と思って」 「…………」 違う。絶対違う。正しいタイミングというものは知らないが、少なくとも今じゃないことだけは私でもわかる。っていうか誰でもわかる。 「で、何で急にこんなこと言い出したわけ?」 「結婚すれば、名前で呼んでくれるかなあ、って。ほら、流石に」 「…………あんたそれ、本気?」 「―――いや、真面目な話、前からそうしたいとは思ってた。美佐枝さんと一緒にいたいって」 「…………」 ホントに、この男は人が油断したところにとんでもないことを言い出すものだ。 「……本当に、私でいいの? 後悔はしないわね?」 「そこら辺のことも全部含めて、俺は結婚の申し込みをしてる」 「…………ふぅ。いいわ。結婚しましょうか」 短い時間ながらも人生最大の思慮をして、私は彼に肯いた。 どっちにしろ私も考えていたことではあるし、このままダラダラと流れていては三十路の大台に到達してしまうという想いがほんの少しあったのは秘密にしておこう……。 それにしても、名前のことからそっちに持っていくとは。 そのことを訊いてみると、 「俺、こういうことに関しては割と手段を選ばない方なんだ」 そう、私の好きな顔で彼は笑った。 「―――でも、結婚してもあんたは岡崎のままよね。つまり、私は別に今の呼び方のままでもいいわけよね」 「あ……いや、でも常識的に考えて……」 「随分非常識なプロポーズしたあんたが何言ってるのよ」 「…………」 「まあでも、結婚するっていうなら、ちゃんと幸せにしてもらわないとね。―――ねえ、朋也?」 ……少し心配ではあるけど、まあこいつとなら安心かな。 何より、幸せになるのに手段なんて必要なんかじゃないしね。 |
とりあえず、美佐枝さんと朋也を結婚させてみた(ぉ ちなみに、タイトルはマキャヴェリズムからの連想。思いつき最高。 |
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