1 /



 いつもの如く、残業を終えて我家に帰宅する。
 東京……しかもキーロック付き、1DK、風呂とトイレが別々の部屋。
 だと言うのに、家賃格安。
 そこに俺――――相沢祐一29歳独身は住んでいた。


「あれ…?」


 暗証キーを入力する前にドアノブを回してみた。
 ふと何故そんなことをしたのか自分でも謎だった。
 無意識ながらノブを握っていた。

 ……俺の帰りを待つ人など誰もいない部屋。
 まだ独り身の俺を待っている人なんていないはずの部屋。
 男一人が住むムサい部屋。


 ………………開いている。


 恋人。妻。愛人。その他表現する方法はいくらでもあるが、その類に当て嵌まる人物と一緒に住んでいるわけでもない。
 何故だ…?


「誰だ…?」


 ゆっくりとドアノブを回して、ドアを開ける。
 指先に感じる汗。

 泥棒?
 そんなことを一瞬考えたが、それではないようだ。
 部屋の電気は点いているし、がさがさと物音がするわけでもない。


 …………その代わりに、TVから流れる漫才師の声に合わせて笑う女の声が聞こえた。


「な、なん……で?」


 その笑い声の彼女を、俺は知っている。
 ずっと昔、俺が高校時代にほんの少しだけいた雪が降りしきる街の――


「ん?」


 彼女に間違いなかった。
 ドアが開いていることに今気付いたのか、そんな俺を見て、彼女は一言。


「無用心ね。暗証番号、十年前と変わってないじゃない」


 ……こういう場合、どういうリアクションを取ればいいのか分からなかった。
 無用心?
 勝手に他人の家に上がったヤツの言うことがそれ?
 第一声がそれ?
 久しぶりに会ったってのに言うことがそれ?


「お前な……」
「何よ……あ、ビール? それなら勝手に飲ませてもらってるわ。冷蔵庫にあったヤツだから安心して」


 何を安心しろと言うのか。
 と言うか、勝手に人んち上がって勝手に冷蔵庫からビールを取り出して飲むな。
 それに、俺が言おうとしてたことは全然そんなことじゃねーし。



「…………で、何の用だ? ――――香里」







2 /



「んー……ちょっとね。近くまで来たから」
「……そうか」


 会話はそこで終了する。
 その後はお互いに会話も詮索もなく、ただTVから笑い声が聴こえていた。


 ―――で、何でいるんだ、こいつは。


 状況を整理する。
 帰宅したら、無人のはずの自宅に昔の知人が寛いでいた。―――終わり。
 ますますわけがわからん。
 というか、人の家に勝手に上がりこんだ理由くらい、話すべきだろう。
 『近くに来たから』など、全く以って理由になっていない。
 ……まあ、それで納得し、追求しなかった俺も俺だが。


「…………それで、何の用なんだ?」


 沈黙を破る、再度の問いかけ。
 正直、息苦しかった。
 十年ぶりに彼女―――香里に会えたという事実は嬉しいといえば嬉しい。
 しかし、それ以上に何か別の衝動が俺を急かしていた。


「―――まあ、貴方も飲みなさいよ。大丈夫、ビールはまだ4本残ってるから」


 香里は俺の問いを微笑んで躱すと、そう言って冷蔵庫に向かう。
 その振る舞いはまるでここが我が家のように。
 それどころか、ビールの残量まで把握してるとは、一体いつから一人宴会をしていたんだろうか。


 俺はそこで自分が今まで突っ立っていたことに気づく。
 今目の前で起こっている出来事は割とショックなことなので、それもしょうがないのかもしれないが。


「はい、どうぞ」
「あ、ああ」


 どこか抜けたようにソファに身を沈めると、香里がビール缶を差し出してきた。
 俺は生返事でそれを受け取る。
 そして、目の前では再びTVと香里の笑い声がシンクロしていた。


「―――――」
「―――――」


 時は流れ、音は流れず。
 香里はTVに飽きたのか、電源を消すと、ふぅ…と溜め息をついた。


「…………なあ」
「どうしたの? 飲まないの?」
「―――――」


 いつの間にか、手元のビールは温くなっていた。


「…………はあ。そんなに勝手に上がってたことが気に入らないの?」
「…………は?」
「元恋人だっていうのに、随分と冷たいのね」


 何か勘違いしてるのか、呆れ顔で髪を掻き上げる香里。
 ―――この表情、この仕草は見覚えがある。
 過去に何度も目の当たりにした光景。
 この癖は、まだ抜けてなかったのか。


「でもね、ちゃんと言ってくれなきゃわかんないこともあるの。十年前だってそう、貴方が―――――」
「昔の話はいい。それと、不法侵入のことは別に気にしてない」


 まあ尤も、侵入者が知り合いでなかったら暢気なことを言ってられない大事なのだが。


「俺が訊きたいのは、ただひとつ―――――何でここに来たのか、ってことだけだ」
「だからそれは」
「まさか本気で近くに来たから、なんて理由じゃないだろうな」
「―――――」


 やや強気で詰め寄ると、香里はその勢いに呑まれていたが、やがて


「…………やっぱり隠すのは無理ね」


 と、嘆息した。


「実はね、あたし―――――離婚するかもしれないの」


 …………はい?
 離婚……? っていうか香里、結婚してたのか?


「……何よ、その顔」
「―――いや、別に」
「嘘。お前、結婚してたっけ? って顔してるわよ」


 ズバリ的中。
 そんなに呆けた顔してたのか……いや、確かに青天の霹靂だったけども。


「してるわよ、結婚。二年前に。式の招待状、送ったでしょ?」
「……憶えにないな」
「名雪とかから連絡なかった?」
「―――――」


 ああ……確かそんな電話もあった気が。
 でもそのとき仕事がやたらと忙しくて適当に聞き流してたんだよな。


「…………それで、何が原因だ?」
「浮気」


 俺が訊き出した離婚の原因は、最も簡潔な理由だった。


「浮気ぐらいで離婚だって騒いでるのか?」
「―――流石は前科者ね。ぐらい、なんて軽く片付けられるなんて」
「……まあいい。で、旦那は何て?」
「ただの付き合いだって言ってるけど、信じられないわね」
「そうか」


 香里の話によると、旦那が別の女性と楽しそうに歩いてるのを見かけたらしい。
 それが浮気かそれとも言い分通りただの付き合いかは知る由もないが、それだけで離婚を決めるのは早計だとは思う。


「香里の身の上話はわかった。が、それがウチに来るのとどう関係あるんだ?」
「そっちがそのつもりなら家を出てやろうと思って、ここが近くにあることを思い出したから。だから、近くに来たから、っていうのは間違いじゃないわよ」


 香里は笑って言うが、やってることはまるで子供だ。
 この歳になって、昔は軽く片付けられた浮気という問題に、今はどう接していいのかわからないのだろう。
 だから、離婚という手っ取り早い解決法に縋ろうとする。


「旦那とはよく話し合ったのか?」
「話し合う余地なんてないわ。―――――浮気したから離婚。これ以上の理由なんて必要ないわ」
「―――――なんだ」


 どうやら、俺の思い違いだったらしい。
 久しぶりに会って、随分と大人びたもんだと思っていたんだが。


「結局、変わったのは外見だけか―――――中身はまるで変わってない」
「…………え?」
「目の前のものを見ようとせず、理解しようとせず、自分で勝手に都合のいいように解釈し、手に負えなくなったら目を逸らし、逃げる―――――」



「栞のときと同じだよ、今のお前は―――――」







3 /



 そう。
 変わったのは十年と言う時間だけ。
 しかも、大人っぽくなった外見だけだ。


 相手のことを考えようともせず、自分の意見を言おうともせず、己だけが満足するよう一方的な行動。
 その結果、十年前どういうことになったか忘れたわけでもないのに。
 目の前のコイツはそれと同じことを繰り返そうとしている。
 …………心は十年前と同じ、か。


「――――なッ!」
「その顔は図星と受け取っていいのか?」


 俺の指摘に心当たりがあるのか、はたまた自分の行動を思い返したのか。
 香里は、文句を言おうとするが何も言えない……そんな様子だ。
 表情はまさに十年前のデジャビュ。
 懐かしく思う反面、十年経っても同じことをしてる俺たちに苦笑いがこみ上げてくる。


 ――――別れる前に戻ったような、あの頃の心地良さが胸を突いた。


 バカな――。
 それは自分に。
 自らの所為で香里と別れることになったのに、何を言ってるのか。


 バカな――。
 それは香里に。
 家族がいる香里と俺が戻れるわけがないのに、何を言ってるのか。


「………………そうね。私どうかしてた」
「気付くのが遅いんだよ"学年主席"さん」
「ふふ。そうね"学年副主席"さん」


 一瞬。
 ほんの一瞬だが、俺たち二人はあの頃に戻れた。


 だから、俺たちは笑い合う。
 だから、俺たちは酒を交わす。
 だから、俺たちは分かり合う。
 だから、俺はそんな香里に―――。


「――――どうしたの?」
「急にお前を抱き締めたくなった」


 酔った所為なのか、あの頃に戻ったような錯覚に陥ったからなのか。
 俺は両手で香里を引き寄せて抱き締めていた。


 何を考えてる…?
 俺は俺自身に問い掛ける。
 俺たちはもう昔のような関係じゃない。
 香里はもう他の誰かの胸に抱かれるべき人じゃない。


 止めろ!
 俺が俺自身に
 俺たちはもう昔のような関係じゃない。
 これ以上度が過ぎると香里の旦那の疑惑と同じ浮気になってしまう。



「――――――いいよ?」







4 /



「…………なあ」


 漸く口を開いたのは、朝方になってからだった。
 仕事の疲労も、久々に使った腰の動きも、寝不足のから来る疲労も、体は間違いなく休息を欲しがっていた。
 だから、こうしてベットに横になったまま声を掛ける。
 他の誰でもない、十年前恋人だった人に。


「…………なに?」


 少し間を置いて同じように応えた、香里。
 両目を閉じたまま寝そべって。
 まるで本当に寝ているように。
 俺の腕を抱くよう体を絡めて。
 十年前と同じ光景を再現して。


 ――――猫。


 小さく丸まり抱き付いて来る香里はまさにそれだった。
 見た目はしっかりした性格をしてそうだが、実は結構気まぐれな性格をしているのは変わってないし。
 こうして、体を撫でると甘えてくる仕草とか、猫そのもののような気がしてならない。


「黙ってないで、何?」
「……撫でると甘えてくるの、昔のままなんだな」


 両目を開けてジト目で睨まれたと思ったら、目線を外された。
 あの頃とはまた一味違った照れ隠しが何だか新鮮で、嬉しくて、興奮して、少し笑えて―――。



「――――もう、帰れ」







5 /



 だから、俺は気まぐれ猫を帰すことにした。
 これ以上一緒にいたら、香里の人生を狂わせることになることが分かったから。





 ――――あの日の真実を打ち明けてしまいそうになったから。





 そうすると、香里は必ず俺を恨む。
 そうなると、香里は必ず自分を恨む。


 その結果、香里はあの日決断したことを一生後悔することになる。


 俺の吐いた些細な嘘を真実にしなければならない。
 他の誰でもない、俺自身の手で。
 悪いのは他の誰でもない、俺一人なのだから。





 ――――俺が香里のために誕生日プレゼントをこっそり用意するところを見られたから?

 ――――茜さんに無理言って誕生日プレゼント選びに協力してもらったところを見られたから?

 ――――問い詰められたとき、適当に誤魔化して全てを白状しなかったから?


 ――――いや、全てだろう。

 ――――そして、全て俺の所為だろう。





 だから、言えない。
 それを言ってしまうと、香里はきっと自分自身を恨む。
 それは、この十年の香里の生活を否定してしまうことになる。



 だから、言えない。
 例え、香里が今助けを求めていても。
 例え、香里が今泣いていても。
 例え、香里が今この部屋から泣きながら走り去っても――――。


 例え、俺の眼から涙が零れ落ちても――――。







6 /



「はあ……」


 昔の事を思い出してしまい、深い溜め息を吐く。


 ―――――あれから数年。
 30の大台を突破しても尚相変わらず独り身な俺は、久しぶりの休日を近所の公園で謳歌していた。
 何をするわけでもなく、ベンチに一人、缶コーヒーを片手に空を眺めているだけ。


「……なんか、凄く無駄でありながら贅沢な過ごし方な気がする」


 呟きながら、苦笑する。
 この広大で青々とした秋の空の下、ただ一人、公園のベンチで。
 まるで自分の周りだけ世界から取り残されたような、そんな錯覚さえ覚える。


 ―――だからだろうか、ひとりの少女が目の前に立っていたことも気づかなかったのは。
 思えば、手の中の缶コーヒーもだいぶ冷めてしまっている。


「―――おじちゃん、何してるの?」
「おじ…………」


 突然のおじさん呼ばわりにショックを受けるが、このくらいの少女からしたらもう十分俺はおじさんなのかもしれない。
 そんな妙な悟りを啓きながら、少女の疑問に答えてやるとする。


「思い出していたんだ」
「思い出す?」
「うん」
「何を?」
「―――――昔のこと」


 そう言い、俺はコーヒーを口につける。
 すっかり冷め切ったコーヒーは、若干感傷気味だった俺の頭をすっきりさせてくれた。


 あの時の選択が良かったとか、そういうのはどうでもいい。
 もうとっくの昔に過ぎ去った、過去のことなのだから。


「昔ね、大好きだった人を自分のワガママで傷つけちゃって。そのことを思い出していたんだ」
「ふーん。おじさん、悪い人なんだね」
「そう、悪い人だね、俺は」


 少女のストレートな物言いに、苦笑する。
 ……何も知らない子供だからか、こんなことを話すのは。俺らしくもない行動だった。


「お嬢ちゃん、名前は?」
「美香!」
「美香か、いい名前だね」
「おじちゃんは?」
「俺? 俺は―――――」


「美香ーっ!?」


 急に聞こえた女性の声の方に目を向けると、美香の両親らしき夫婦が公園の入り口に立っていた。


「あれ、美香のパパとママじゃないのか?」
「ホントだ、ママー!」


 美香が大きく手を振ると、母親がこっちに向かってくる。
 年の頃は俺と同じくらいだろうか、遠目から見ても、随分と綺麗な母親だ。


「こら、勝手に行っちゃダメでしょ!」
「ごめんなさい」
「―――すいません、娘がご迷惑をかけまして」
「いえいえ、ちょっと話し相手になってもらってただけですよ」


 そう言うと、頭を上げた母親と目が合う。


「―――っ!」


 母親の息を呑む音が聞こえる。
 俺はそれを気にせず、美香に声をかける。


「美香」
「なに?」
「今、幸せか?」
「うん!」
「そうか……俺みたいな悪い人になるんじゃないぞ」


 その元気な答えに満足すると、美香の頭を撫で、俺は踵を返す。
 そこに、母親の声がかけられる。


「あのっ! ……もしかして、祐一……?」


 その声に足を止める。


 ―――美香は幸せだと言った。
 だったら、それでいいじゃないか。
 もうあいつを支えるのは俺じゃない。
 俺のその役目は、十数年前に終わったんだ。


 だから―――――。





「―――人違いですよ」







 Written by 琉海(1,3,4,5)、柊(2,6)

 今は亡き琉海さんとの合作(ぉ
 ハードディスク漁ってたら、だいぶ前に知る人ぞ知る琉海さんのとこのネタBBSで書かれてたもののまとめデータが出てきたので、この際続き書いてやろうかと。
 追加したのは6だけですけど、書いた当人が二人とも存在を忘れてたので、何か毛色が違うorz
 更に勝手に追加したので、琉海さんは確認すらしてませんwww
 まあ、メールしたら「勝手に載せちゃいなYO!」(誇張)との言葉を頂いたので、ここに陽の目を見ることに。

 タイトルは一応琉海さんが考えてた時点では『猫と鍵は気まぐれ』ってのだったけど、6でぶち壊したのでもう無題でいいやってことでタイトルはなし。異論は認めん。

 あと、実際5で完成してるっていうツッコミはなしの方向で(ぉ

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