母×息子×手紙
――宇佐美啓太郎様
あるいは天然×苦労性×その中継物
前略。
お元気ですか?
体調に変りはありませんか?
ご飯は食べていますか?
いじめられていませんか?
とても心配です。夜も眠れません。ただし今日は寝坊する予定なので、朝は寝ていると思います。
高校生になったら寮暮らしをすると聞き、早半年。あなたが高校生になり、もう二ヶ月が経ちました。
少し前までお母さんお母さんと、私の後をついてきていたのが嘘のようです。
ごめんなさい嘘を付きました。あなたは私の後をついてきてはいませんでしたね。
というよりも、この愚鈍な母のために料理をし、洗濯をし、掃除だけはやらせてもらったのに新品の掃除機を壊してしまいすみません。
才気溢れる息子に育ってくれて私は嬉しいです。ただその才能は誰から受け継いだものですか? 分けてください。
この願いは切実です。
ここで近状報告も兼ねるのですが、お父さんが入院しました。
原因は伏せておきたいところなのですが、食あたりのようです。
克治さんは「そんなのではない」と仰ってくれたのですが、お医者様が言うのですからそうなのでしょう。
ところで、ハンバーグとは食あたりをする食べ物だったでしょうか?
啓太郎の作ったそれは絶品だったと記憶しているのですが……。
ちなみに胃潰瘍を併発してしまっているようなので、ある意味「そんなのではない」の言葉も正しいと毎夜枕元で考えています。
あれは私への気遣いだったのか、漏れ出した本心だったのか。メールでいいので克治さんに聞いてもらえませんか……?
私もメールを送ってみたのですが、どうしてか、何時の間にやら日本情勢の話が大半になってしまったのです。
これではいけないと思って書き直してみると、今度は日経株価平均の話題が九分九厘をしめておりました。
七度書き直し、百年後の私は骨すらも風化しているだろうという奇文に成り果て、メールは諦めました。
と、今思えば病人なのですから病院にいるわけで、メールを返せるはずもないのですが。
そうそう、勉学の方はどうですか?
貴方の行っている学校は、日本でも有名な進学校だそうですね。
昔から頭のいい子だとは思っていましたが、分からないところがあれば私に何でも聞いてください。
多分啓太郎の分からないことで私の分かることなど皆無の気がするのですが、分かる範囲で応えたいと思います。
ああ、ですが頼れるご学友の皆様も、親切な先生方もいると思いますので、何も無理に私を頼ることはありません。
本当です。無理に頼られるくらいなら死んだ方がマシです。頼らないでください。死にます。
いや違います。
頼ってはほしいのです。頼ってはほしいのですが別段母を立たせる必要はないと、そう思っているのです。
それに何でも人に聞いて解決するようではダメなのです。ちゃんと自分で考え、理解し、納得しなければこの世は生きられません。
そう思うと、名探偵に頼りきりの警察はだからダメなのでしょう。昨今の警察はダメなのです。ダメダメなのです。
警察といえば、この間警察の方のご厄介になってしまいました。
何でも、克治さんが事故を起こしてしまい、示談ですませるから二十万を指定の口座に振り込んでほしいというのです。
入院中に事故を起こすなんて、やはり克治さんは私と違い起用な方です。
胃潰瘍患者が一体どんな事故を起こしてしまったのでしょう? 怖くて詳しいことは聞けませんでした。
とりあえず入金を、と思ったのですが、電話を切った瞬間に口座番号を忘れてしまったのです。
控えをとるという基礎的なことすらしてなかったので途方にくれていたのですが、待てど暮らせど番号が思い出せません。
そのうちまた電話が来るだろうと小一時間リビングに張り付いておりましたが、それもありません。
ちなみに三日間外出せず、電話だけを待ち続けたので、多分間違いないでしょう。
そして四日目に、体調が少し良くなった克治さんから電話がきました。
最近見舞いにこないがどうしたと言われ、電話を待っていましたというと何故と聞かれました。
そこで二十万を振り込まなくてはいけないからだというと、誰にと聴かれました。
さて困りました。電話は誰からだったのか、綺麗さっぱり抜け落ちていたからです。
確か斉藤か、高橋か、遠藤か、どれかだった気がします。なので、そのうちの誰かだと告げました。
すると今度は、何故金が入用なのかと聞かれたので、貴方が事故を起こしたからだと伝えました。
ついでに体調を聞いてみたのですが、快復に向かっているようで一安心しました。
その際、事故など起こしていない。振り込んではいけないと言われ、私は愕然としました。
克治さんは嘘をついているのです。私に心配をかけたくないあまり、事故の事実を消そうとしたのだと思います。
ですが啓太郎、どうかお父さんを責めないでやってください。家族のことを思ってやったことなのです。
こういう場合、人として、妻として、私が克治さんを正してあげなければいけません。
そう思い立ち病院に行き、面会時間のギリギリまで克治さんと話し合いました。
残念ながら話は平行線、ねじれの位置だったのですが、私達には言語があります。
克治さんが思い直してくれるまで、ずっとずっと話し合おうとその日誓いました。
翌日克治さんは、心因性ストレスというもので軽度の摂食障害を起こしたとお医者様に聞きました。
事故のことがばれてしまい、心が張り裂けそうだったのでしょう。誓った翌日になんですが、この話題にはもう触れない事にします。
ですので、啓太郎もこのことは胸の内にしまっておいてください。
さて、このような暗い話題で、いつまでも筆を走らすものではありませんね。
貴方が元気にやっていれば、私はそれで良いと思っています。
ですから、遅くなってもいいので返事をくれれば幸いです。
十年でも二十年でも待ちますが、その間に一回くらいは帰省する機会もあるはずから、あまりこの言葉は意味がありませんね。
それでは、冬も厳しいこの季節ですから、カキにあたらないよう気をつけてください。
あれは、美味しいですけど、生で食べるとなると凶悪な兵器に様変わりすることを、覚えておいて下さい。
宇佐美夏枝
………………変わってないな、母さん。
俺は隣で必死に笑いをこらえ、それでも単振動を抑えられぬ友人にローキックをかましつつセピア色の思い出に浸った。
可愛らしい人だった。可愛らしく、不器用で、ひたすらに「だぁかぁらぁ!」と声を大にして言いたくなる人だった。
この手紙も、きっと糞真面目な顔で書いていたのだろう。その情景がありありと手にとれるようだ。
よくもまあ、あんな人から俺みたいなのが生まれたものだと、自問したくなるのも吝かではあるまい。
「や、やべーって啓太郎! こ、こいつぁキてる! 頼むッ、それコピーして俺にくれ!」
キックのせいか手紙のおかげか、初期微動の止まない友人が懇願も激しく俺に頼み込んできた。
「こんなの、どうするんだ?」
「へ、へ、へこんだ時、に、読むッ!」
さて、凹んだ時に人の母の手紙を読む事で一体何になるというのか。
こいつの陰鬱とした雰囲気を吹き飛ばす清浄な風、とでも言えば聞こえもいいのだろう。
「お断りだ、馬鹿」
とりあえず鳩尾にいいのをくれてやり、無音を取り戻した106号室で俺は静かにペンをとった。
――前略、お変わりないようで何よりです。ところで最近の詐欺の手口をマスメディアで騒ぎ立てている昨今ですが……。
あとがき
習作。日記ではなく、手紙形式。
ところでこんな母がいたら間違いなく頭を撫でるんですが、一歩間違うと頭の中が春な人な気がしてなりません。
啓太郎くんか克治さんがいないと、壷を買いそう。ところで名前出す意味はあったんだろうか、これ。
まあ、いい。カユ、ウマ……。