日記を付けよう、と思ったことに大した意味はなかったと思う。
ファンタジーが書きたい病が発病中。書きてぇなぁ、書きてぇよ
ふと、そう思ったのだ。今も色濃く俺を突き動かす現実を、ただただそこにある物として留めておきたかったのかもしれない。
そうと決まれば善は急げ。物事は形からということで、とりあえず無難なデザインの日記帳を買ってきた。
一先ずは今日から衛宮士郎個人としての日記をつけてみようと決意。
とりあえず今日の報告といえば、右肩上がりのエンゲル係数にひっそりと涙したことくらいだった。
衛宮家前線異常無し
○月○日 曇り
今日も道場でセイバーと鍛錬だ。聖杯戦争が終わったとはいえ、気を抜いていい理由にはならない。
しかし、何時の間にやら「タイガー道場」なんて掛け軸もかかっているし、誰の仕業……って、考えるまでもないんだけどな。
相変わらず、セイバーからは一本もとることができない。不甲斐無いというかなんというか。
ところで、今日はそのセイバーの様子が変だった。
「その、シロウ。私が今日勝ったら……いえ、その……し、新都へで、で、でで、で! でー……でー……」
ででででででーでー?
そう言って詰まったっきり、喉を唸らせた獅子の如くでもじもじとしているだけだ。
その姿は騎士とは思えないくらい可愛いんだが、用があるなら言ってくれて構わないというのに。
ていうか、用がないんならさっさと再開したいんだけどな。
――と、口に出した途端しこたま扱かれた挙句にアーサー王の目付きで「まだまだです。精進しなさい」と言い放たれた。
俺、なにか悪いことしたか?
○月△日 曇り後晴れ
学校の帰り際、一成に視聴覚室のシアター機の調子を見てくれと頼まれた。
バイトまでは時間があるし、衛宮邸に帰るにしても最近は料理の鉄人が誰彼構わずうちに入り浸っている。
サーヴァント達が小腹が空いたと騒ぐくらいならば、アーチャー辺りがなんとかしてくれるだろう。
そう思い、一成と連れ立って視聴覚室に向かった。何故か一成は俺の後を歩く。
視聴覚室のシアター機、とはいっても、使われてない時は準備室にあるようで、そちらに通される。
そこで何故か入った瞬間光速でカギを閉めた一成が、「いや、勝手に邪魔されると困るからな」といきなり自己弁護開始。
こんなところに興味で入る人間なんて少ないだろうに、律儀な奴だな。
作業の最中おどろおどろした視線を感じた気がしたのだが、別段妖しい人間はいなかった。
ついでに一成がやたらと嬉しそうなのが気に掛かったけど、まあ機嫌が悪いよりは良い事だ。
ちなみに、シアター機はボタンが反応しにくかった程度でどこも壊れてはいなかった。
なんだ一成の奴、いつもなら一度くらいは自分で調子みるのに、珍しいな。
○月●日 雨
今日は朝からカサ無しでは一分と持たぬであろう雨模様だった。
とはいえ急ぐこともなかったので定時通りに家を出ようと考えていたら、まず居間でカサを持った桜に遭遇した。
「そ、その、先輩。今日は……」
「あれ、桜? 朝は雨が降ったらミーティングがあるって言ってなかったか?」
決して遅い時間ではないが、桜を新部長につるし上げる気満々の美綴だから、遅くくるのは許しそうもない。
あいつなら、平気で十分二十分は早めた召集をかけそうなもんだ。
そもそも桜の性格からしても、もう出てると思ったんだが……。
「え? あ、はい。確かにミーティングはあるんですけど……」
「なんだ、なら急いだほうがいいぞ? 藤ねえもうるさいだそうしな」
「あ…………は、い……」
?
とぼとぼと歩き出す桜。どうしたんだ?
いぶかしみながら一度自室に戻ろうとすると、今度は途中の廊下で遠坂に会った。
「あら士郎。おはよ」
「おう、おはよう」
ちなみにこいつは、週に一度程度の割合で朝食を抜かす……抜かすというか、寝てる。
今日も多分に漏れず朝はいなかったので心配していたが、この様子なら覚醒しきっているようだ。
ていうか、なんで室内でカサ持ってるんだ? やっぱり寝ぼけてるのか?
「もう出るの?」
「いや、もうちょっとゆっくりしてこうと思ってるけど」
「そう。あ、士郎、それなら……」
「遠坂は日直だったか? 大変だな、朝早いし」
多少の皮肉を込めたつもりではあったが、いきなりマジ顔でガンド打たれた。
必死で避けた。
俺の魔術の師はどうも情緒不安定のようだ。何が琴線に触れたんだ……?
「あ、シローッ」
さてと意気込み家から出ようとすると、今度は小走りのイリヤだ。
例に漏れずカサを装備している。何なんだ? 室内アンブレラデーとか、そういう風習でもできたのか?
「ね、シロウは今日学校でしょ?」
「だな」
「なら、一緒に行かない? 送ってあげるわ」
送るって……。
「いいのか? 外、けっこう雨すごいぞ?」
「いいの。それとも、私と一緒に行くの、嫌?」
「全然嫌じゃないな。じゃ、行こうか」
「うんッ。あ、言っておくけどシロウはカサいらないからね。はい」
と、イリヤは手にしていたカサを俺に預けてきた。
対比の対象がアレなので今まで気付かなかったが、カサは俺が使っているものよりも一回りほど大きい。
「相合傘よ。ちゃんと女の子をエスコートしてね、王子……ううん、正義の味方さん?」
「ったく……あいよ。ちゃんとエスコートさせてくれよ、お姫様」
ちなみにこの出来事は、何故か帰ってきたときには聖杯戦争関係者全土に広がり渡っていた。
それだけならまだしも、なんでか知らないがセイバーとか遠坂とかに殴られたり蹴られたり殺されかけたりした。
ホント、何でさ?
○月■日 青天
「知っているか、腐ったミカンがあるとその回りのミカンも腐っていくという」
「そのたとえ話は知っていますけど、わざわざクラスメイトを呼び止めてする話でもないと思いますけどね」
「貴様が一番理解していることだと思ったがな。いつまでもあやつの優しさに付けこみおって」
「あら、相互理解の末の結論ですけど?」
「ふん、そもそも貴様のような輩が傍にいること、それ自体が間違いだ」
「……言ってくれますね。一体何なんです? まるで恋する乙女が嫉妬しているみたいですよ、柳洞君?」
「な、何を馬鹿なことを! 喝ッ。これだから貴様の言動など信用できんのだ、遠坂!」
「声を荒らげないで……と言いたいところですけど、これはまた随分と面白おかしい事実を発掘してしまったかしら」
「な、何の事だ! おい、まだ話は済んではいないぞ!」
「別に? それより私は生産的な愛を推奨しますよ」
「な、何を馬鹿な……か、喝ッッッ!」
何を言い争ってんだ? あの二人?
○月×日 晴れ
絹をも裂く乙女の悲鳴が、無骨な武家屋敷に侃々と響き渡った。
桜の声だ。先ほどまで上機嫌に風呂に入ると言っていたのだが、どうしたのか。
ギルガメッシュかランサー辺りに盗撮でもされたのかと思ったが、その程度ならば聞こえてくるのはか弱い悲鳴ではなく断末魔だ。
サーヴァントって、なに?
兎角急いだほうがいいだろう。
手遅れ、という言葉が脳裏をよぎったが、頑なに見ない振りをした。
「あ、せ、せんぱいっ? その、見ないで……」
はたしてたどり着いた先で見たのは、幾度も幾度も使いまわし、最早目盛りの磨耗した体重計だった。
三年、三年だ。フリマで見つけた壊れかけのそれは、愛着もあり衛宮の家族としてもなりつつあったものだ。
俺は泣いた。この慟哭は抑えられるものではない。値段なんて関係ない。
これは、こいつは! 俺達の、確かな家族だった……それ、なのに……。
崩御なされていた。最早原型すら留めていない。中央からまるで足で踏み抜かれたかのような足跡がついていた。
「桜……これは、どうしたんだ」
そういえば半裸の桜に問いかける。バスタオル一枚を羽織ったあられもない姿だが、今はそんなことはどうでもいい。
俺は自分でも珍しく、本気で怒っているらしかった。
「あ、その……ら、ランサーさんが今しがたやってきまして……」
怨敵を確認。
固有結界と宝具を用いた壮絶なバトルは、奴がその時間留置場にいたという事実を言峰から告げられるまで続いた。
ちなみに過去の英雄とアクション大作バトルを繰り広げた俺だったが、帰ってきた時に桜に軽く呑まれた。
こう、にゅぽん、と。
意識が戻った瞬間命があったことに感謝し、はて何故俺はこうも毎日強制成仏が危ぶまれるのかと愚考。
そういや年頃の女の子の半裸を見ちまったからな……怒るのも当然か。
だからといって、アヴァロンなしじゃ蘇れないほどの肉体的苦痛を強いるのはどうかと思うがな。
あとランサー、軽犯罪だって塵も積もればマウンテン。
○月☆日 晴れ
「ワーカメー。ワーカメー。たぁっぷり、ワーカメー」
今日のライダーは甚くご機嫌のようだ。最近流行のCMソングを小さく口ずさみ、茶を啜る。
普段は自室で読書と相成っているのだが、気まぐれでも起こしたのか、セイバーとテレビの鑑賞会をしているようだ。
「ワーカメ、ワカメたっぷりワーカメーがやーってくーる」
良く考えたら怖い歌のような気がしてきた。
大群のワカメが、押し寄せてくるのだ。わっと。
どうだ、凄く怖くないか? 俺は、怖い。
「ライダー、その歌は何なのですか?」
どうやら、まだセイバーがこれを聞いたことがなかったようだ。
別段好きなわけじゃないのに、気が付くと頭に浮かぶ。そんな歌である。
「知らないのですか? 流行歌というものです。ワカメはビタミンミネラルの宝庫であり、その素晴らしさを広めるための物ですよ」
そうだったのか?
「ほう、それは知りませんでした。しかしなんというか……独特の歌ですね」
「CDを持っていますので、今度聞かせてあげましょう」
持ってるのか、CD。というかあるのか、プレイヤー。
俺の些細な疑問など聖杯戦争くらいどうでもいいと言いたげに、ライダーはメガネをついと上げた。
そして、また件の歌を小さな、けれど良く通る声でぽつぽつと紡ぎだす。
「ワーカメー♪ ワーカメー♪ ……」
ところで、折角遊びに来たってのにそんな隅の方でなに歯軋りしてるんだ、慎二?
○月$日 青天
「ワカメワカメワカメ、ワカメーをー食べーるとー。頭頭頭、頭がワカメワカメワカメ」
なんでそんな中途半端なところでダカーポ。
キリッとしたソプラノもそのままに、廊下を歩くライダーはスタイル抜群じゃない真名メドゥーサの反英霊だ。
感情の起伏が少なく、思慮深い眼差しの全てを推し量ることはできないが……それでも、そういうところがライダーらしい。
「あ、ライダーもその歌知ってるの?」
台所から桜が出てきた。夕飯の仕込みは終わったのだろうか?
「ライダーが食べたそうだったから、乾燥ワカメ買ってきたんだ」
「乾燥、ですか。良い、実に良いですね。乾いたワカメ……ふふ」
何か意味ありげに、水分不足のワカメだのぱさぱさのワカメだのと連呼するライダー。
トートロジーにかまけて意義があるとは思えないが、突き止めて言えば人間性といえなくもない。
「さっきからワカメワカメ何なんだよライダー! 言いたいことがあるならはっきり言ってよね!」
「おい慎二、いきなり何怒ってるんだ?」
「そうですよ兄さんが……乾燥ワカメが乾いてるのもぱさぱさなのも性悪なのも皮肉屋なのも皆事実じゃないですか」
そうか? 特にラス2。
「最後の方は明らかにワカメと比喩した個人を狙ってるだろ!」
「シンジ、私はただワカメと言っているだけですが。人の心を邪推で謀るなど無粋ですよ」
終いには軽く涙目になり、飛び出していってしまった。
間桐の家が嫌だと週に一度程度の割合で遊びに来るようになったというのに、情緒不安定だな。
ちょっとそこらのサーヴァントと結託して、蟲じいさんに孫いぢめるなって言ってきてやろうか。
それとも、食卓に鎮静作用のあるものとか、カルシウム豊富なものでも……ああ。
「桜、今日の味噌汁の具は?」
「え? もちろんワカメと、あとはジャガイモと大根、それと菜物ですよ。使わなきゃもったいないですから」
うん、これなら慎二にも良いかな?
ワカメって、身体にいいし。
○月#日 曇り
今日は商店街に買い物だ。暇、という理由で遠坂も随伴である。
「ね、士郎? デートみたいでドキドキする?」
むしろ経験上、死の予感にドキドキするが。
それでも口を出さない俺は賢い子。そりゃ学びます。
「どうだろな」
「む、ちょっと、言いなさいよ」
「ドキドキしてるよ。これでいいか?」
なんかあしらい方があいつっぽくなってきたわね、とこぼす遠坂。あいつ? はて、誰だ。
「あ、士郎くんっ……じゃなかった、いらっしゃいませ……って、あれ? 遠坂さんも?」
とりあえず、遠坂たっての希望で足りなくなった食材の前に雑貨店に入ることになった。
百均よりも品揃えがいいし、質も良いものが揃っているので御用達のようだ。
ちなみに、今俺に挨拶したのはB組の子だったかな? たまたま働いているのを見かけて、向こうから声をかけられた。
「ああ、おはよう。遠坂とは途中で会ってさ。なんとなく一緒に、ね」
「へえ、そう。途中で、たまたま、偶然的に、なんとなく、ね」
言った覚えの無い単語がデフォで追加されているのと、その険悪な口調をどうにかしてくれ。
というか、まさか半同棲生活を送ってますなんて言えないだろうが。
「そうなんだ。えと……士郎くんは、何か買い物?」
「士郎くん、ね。ふーん? 士郎くん、士郎くんかぁ」
「……なんだよ」
「いいえ? 別になんでもありませんよ、衛宮くん」
清清しいまでの綺麗な笑顔だが、バックに悪魔を背負っていては意味がないぞ……。
あと、俺が何したのさ?
「えーと、俺はとりあえず見て周るだけ、かな。冷やかしみたいになっちゃうけど」
と言いつつ、視線は奥の体重計に走らせる俺。
愛用の奴が天上の世界に召されてしまったのは悲しいが、新しいのはないといけないしなぁ……。
「え? ううん、いいよ。その、居てくれる、だけで」
「うん? あ、ごめん。聞いてなかった……」
「ふぁ……? ……ぅ……な、なな、なんでもないから!」
……どうしたんだ?
「ねえ、衛宮くん?」
「ん? なんだ?」
本能が危険だと告げたのは、なんとも間抜けな事にこの数秒後だった。
崩れ落ちる己が四肢。いや、ダメだ。何も知らないこの子に、心配させるわけにはいかない。
俺は必死で、ともすれば四散しそうな意識を繋ぎとめた。
顔は歪んでいないだろうか、冷や汗を遮断。
「……えと、どうか、した?」
「な、なな、なんでもない、なんでもないから!」
遠坂の奴――――――股関節に、一撃くれやがった!
「調子に、のってんじゃないわよ」
「の、のってなんか……ッッ!」
酔っ払いと遠坂に理屈は通じない。
この後帰ってからも魔境のような衛宮邸でサバトが続くのかと思うと、意識を手放した方がよかったなとか、思ったりしました。
――私事ではあるが……。
アーチャーは盗み見た日記を閉じ、元あった場所に静かに置いた。
心中に遣る瀬無さと苦渋が満ちる。
まだ半分どころか四分の一も読んでいないというのに、これ以上は墓穴を掘りそうな気がして読む気すら失せた。
「うん? アーチャー、人の部屋で何やってるんだ?」
「……足掻け。さもなくば、お前はこのまま沈む」
「は? いきなり出てきて何言ってるんだ、お前?」
「……いや、なんでもない」
少し己がマスターに忠言でもくれてやろうかと皮肉るが、所詮は他人事だ。とやかく言うまでも無い。
しかしまあ、よくもこんな毎日で馬鹿の如く愚直に生きてられるものである。
「大体俺はキャスター萌えなんだよなぁ。うちの連中はどうもなんか……うわッ、遠坂!? お前なんで天井裏に!」
「そうか、曲がろうとなにしようと、改造されるだけか」
呟けば、冬の空に言葉は消ゆる。
あとがき
日記ではない、と思った人は手を挙げろ。正解だ。