三人の風景

 
 

 
 
 
 
 シャカシャカシャカ…

 静かな空間に、その音だけが響いている。

 その空間には薫り高い抹茶の芳香が漂いっていた。

 その薫りは着物姿の少女の前の碗から発せられていた。そして、音も同時に。

 柔らかく、しかし素早く茶を点てるその少女の姿は、ある種の絵画めいた印象さえ抱かせた。

 ふと、いつの間にか碗は彼女の前を離れていた。いつ始まったのかわからない自然な動きだった。そしてその碗を同じように着物姿の少女が持ち上げようとした瞬間――

「瑞美助けて!」「ミズ姉助けて!」

 壁に叩きつける勢いで開け放たれたドアと、どう聞いても助けを求める声には聞こえない声音と、そして跳ね返ったドアが顔を覗かせている少年の頭に当たる音が、静寂な空間をぶち壊した。





「それで、どうしたんですか?いきなり」

 先ほどお茶を点てていた着物姿の少女――沢渡瑞美は、どこか達観したかのような視線を二人…自分の姉とその恋人兼自分の幼馴染に注ぎながらそう聞いた。

 ちなみに先ほどあそこに居合わせた人たち…茶道部部員たちは、現在後片付けをしている。

「俺にはミズ姉が必要なんだ」

「はい、誤解されるようなこと言わない」

 何処まで純粋に真面目な声と顔でそうのたまった祐一の頭を真琴が軽く叩く。その際にチラリと瑞美の顔を見ると、微妙に赤くなっていた。それに内心ため息などを吐きつつ、

「まぁ祐一の台詞はおいておいて、私たちにはあなたが必要なの」

「いやいやマコ姉、俺の台詞と殆ど変ってないから」

 即座に突っ込む祐一。この二人、ここら辺の息の合い方は異様なまでにレベルが高い。

「殆どって事は少しは変ってるんだから大丈夫よ」

「いやいや、少ししか違わないってことはあんま意味無いだろ」

「あんたが言うよりはマシでしょ」

「姉妹愛って麗しいっちゃ麗しいけど、行き過ぎはどうなんだろうなぁ…」

 いきなり二人だけの世界に突入する祐一と真琴。こういったじゃれあいは日常茶飯事に行われ、今では半ば名物となっている。

「え〜と、私に用事だったのでは?」

 そこに、おずおずと口を挟む。放っておくといつまでも続いてしまうのだ。一度だけ試しに放置したことがあるが、その時は約18時間ほど続いていた。それを横で見ていた自分が、妙に寂しかったのを良く覚えている。

 それはともかく、口論のようなじゃれあいに突入しかけていた二人はそれで目的を思い出したのか、同時に瑞美に向き直ると、異口同音に

『演劇のヒロイン役決定』

 そう言…いや、宣告した。











 納得してしまえば、それは簡単な事だった。

 祐一の書いた台本を演じる事が決定して、そしてその映画を作ることになって、そして台本の登場人物に自分がいたという話らしい。一番目と二番目が逆じゃないかと思ったりもしたが、この二人にそんなことを言っても全くの無意味だという事は身にしみて知っている。

 そして出演を断ることが不可能なのだろうということも、身にしみて知っていた。悲しい事に。

 完全に達観した顔で茶道部部室に戻った瑞美の顔を見、全てとまでいかなくともその大半を理解したのか部員たちは何も言わずにただ小さく微笑み、頷いた。 

「すみません、みなさん…」

 頭を下げて謝る瑞美に、副部長…先ほど半東の役をしていた少女が

「いってらっしゃい」

 そう言った。





「それで、私は何をすればいいんですか?」

 更衣室で制服に着替えながら、ロッカーに背を預けている真琴へと尋ねる。更衣室内には彼女と真琴の二人しかいない。祐一は当然ながら廊下で待機している。最初は堂々と一緒に中に入ってきたのだが、途中で気づいた真琴に蹴りだされていたり。

 それはともかく、台本の内容はまだ知らされていなかった。

「うふふ〜」

 帰ってきたのは、そんな声だった。

 肩越しに見てみると、真琴はなんというか、邪悪な笑みを浮かべていた。そう、おとぎ話の中の大魔王などが勇者一行を前にして最初に浮かべるような、そんな笑み。

「姉さん?」

 何気に心の中でやたらと万感篭ったため息をはきながら、先を促してみる。彼女がこんな笑みを浮かべているときは、ろくな事があったためしが無い。何かしら騒動に巻き込まれて、自分は何かと大変な目にあうのだ。

 そんな彼女の半ば絶望交じりの思考など知らないかのような口調で…いや、実際は知っていてやっているのだろう、彼女はそういう性格だ。

「祐一の恋人役〜」

 そのうれしそうな声とは反対に、瑞美はなるほど…と静かに納得しながらこれから起こるであろう事態を思い浮かべ、今度は内心だけでない盛大なため息を一つ吐いた。











 実際には、自分の出番は殆どなかった。

 自分の出番は大きく分けて3つほどで、他は全て真琴と祐一である。それは演技が苦手な自分には嬉しい事であったが、同時に寂しいことでもあった。

 その寂しさの原因を勤めて考えないようにしながら、自分の最大の見せ場である主人公の水沢祐(みずさわたすく)――祐一の役の名前だ。ちなみに真琴の役の名前は南沢美琴(みなみざわみこと)、瑞美の役の名前は南沢瑞貴(みなみざわみずき)だ。――に抱きしめられながら死ぬシーンの台詞を覚えるために何度も小さく音読する。

 ちなみに死因は病死になっているが、真琴が言うには最初はアルバイト先と自宅の直線状に有り、また祐が瑞貴に告白をした場所でもある公園で通り魔に刺されて、倒れているのを発見されるというものだった。ついでに言えば、その後犯人は捕まっていないのだそうだ。生々しいというかむしろ学校の世間体を考慮して変更となったらしい。実際数年前にこの街であった事件でもある。しかしそれでも、祐一は今でも微妙に不満そうだが。

 それはともかく、何度か音読し大体を頭に入れたところで、ふと視線を二人…祐一と真琴へと向ける。

 二人はちょうどベッドに入るところだった。当然水着を着けているのだが、二人に全くためらう気配が無いことに気づいて、寂しさがより強くなった。その感情を頭を軽く振って消そうとするが、全く消えてくれはしなかった。



 ふいに、肩を叩かれた。驚いて振り返ると、次のシーンのために私服姿になった祐一がそこに居た。自分の感情を誤魔化すために必死で台本を覚えていたのだが、いつの間にか二人の撮影は終わっていたようだった。

「ミズ姉、そんな必死にならなくてもいいんだぞ?」

「あ、うん…」

 どこか苦笑交じりの声で笑いながらそう言う祐一に、あいまいな返事をしておく。それまで心をかき乱していた寂しさは、急速に引いていっていた。もう自分の感情を認めるしかない。そう頭の冷静な部分が告げるが、必死でそれを打ち消そうとする。

 そんな彼女の葛藤を知ってか知らずか――ほぼ確実に後者だろう――彼は呆れたように

「しっかし、マコ姉はなにしてるんだか…着替えるのにそんな時間かから無いだろうに」

 言いながら、『なぁ?』と視線で同意を求めてくる。

 純粋な友愛のみを示すその視線に耐えれなくて、彼女は

「それじゃちょっと呼んでくるね」

 そういって、いつもより速い動きでその場から逃げるように…いや、実際逃げだした。





 更衣室に入ると、何故か真琴は水着姿のままでポーズを決めていた。

 モデルがやるような、どこか挑発的なポーズだ。それは猫目気味で身長の高い彼女には、とてもよく似合って見えた。

 それはともかく、声をかける。

「…姉さん、なにしてるの?」

「げっ…て瑞美か。驚かさないでよ。で、どしたの?」

 気づかないくらい真剣にポーズしてたの?と心の中で突っ込みながら、そんな本心はおくびも出さずに、

「祐一が呼んでたよ」

「あら?って、なんかやたら時間過ぎてるし!」

 あぁ、時間を忘れるほど真剣にポーズしてたんだ…とどこか遠くを見るようにして、急いで着替えだす姉の姿を眺める。

 その時間は暇なもの、といえるような時間だった。着替える姉の姿を眺めるだけなのだから。

 暇を潰すために、さっきのポーズを誰に見せるのだろうと考えてみる。

 予想はすぐについた。祐一に見せるのだろう。そう思い至ると同時、気がつけば口を開いていた。

「姉さん、私は祐一が好き」

 少し驚いたような顔で振り返る姉を見ても、全くの後悔や罪悪感は沸かなかった。ただ、言葉だけが次々と出てくる。

 そしてその言葉を、微笑を浮かべながら姉へと投げかける。

「祐一と付き合いたい、祐一と抱き合いたい、祐一とキスもしたい…祐一を独占したい。それくらい、好き。何で姉さんなの?何で私じゃないの?そう、ずっと思ってきたんだよ?辛かったよ、嫌だったよ。でも、ずっと耐えてきたの。ねぇ、姉さん。何で私じゃなくて、姉さんなの?」

 もしこれがドラマであるのならば、叫んでいるのだろう。

 しかし彼女は、いつもの控えめな口調でいつもの様に静かに喋っていた。叫んだ程度で吹き飛ぶほど、軽くは無いというかのように。

 そして、沈黙が訪れる。真琴はどこか呆れたような顔で、瑞美は相変わらずの微笑を浮かべた顔で、その沈黙の中にいた。

 その沈黙は、真琴のため息で破られた。

「ねぇ、瑞美」

 顔同様、どこか呆れを含んだ声音。

「一人しか恋人もっちゃいけないって誰が決めたの?」

「え?」

 予想外の台詞に、瑞美は聞き返した。それを無視して真琴は続ける。

「まぁ、世間とか社会とかそういう風なものが決めたんだろうけど、なんでわざわざそんなのに従わなくちゃならないの?私はそんなのどうでもいいと思ってるし、祐一はアレだし。好きなら好きって言えば良いと私は思うんだけど。私も祐一が好きだけど、なんで瑞美が祐一を好きなのを阻害しなくちゃならないの?っていうか、恋人と好きな人との境界線って何?」

「それは…」

「もうチョイ待って。私は基本的に浮気とかそーいう風にいわれてるものを好きにすれば良いと思うのよ。私がたった一人で満足させられる事なんて少ないんだから。それを満足させるように頑張るのが間とか言う人も多いんだろうけど、人ってのはそれほど万能でもないと思う。それに、そんな風に使っちゃ燃料の無駄よ。そういったものほど早く燃え尽きる。だからそういったのを他の人に求めるのは、逆に必要なんじゃないかって思う。だから瑞美が好きで付き合いたいって言うんなら、そうすれば良いと思う」

 そこで真琴は言葉を止めた。瑞美の瞳を見つめながら。

 見つめられた瑞美は、どこか呆然とした様子だった。今まで予想もしなかった、考えすらしなかった恋愛観。それが消化できずに頭の中をグルグルと回り続けている。

 どこかが釈然とせず、どこかが引っかかる。だけどそれを言葉にできない。それに当てはまる言葉が見当たらない。

 眉間にしわを寄せて必死でその言葉を捜し求めるが、見つかる事はなくて、

「でも、それは何かが違う気がする」 

 結局はこういった言葉しか口にできなかった。

「そう?」

「うん、だってそれじゃ…」

 この先に何か言葉が続くわけではない。しかし何かが違う。それだけははっきりとしていた。

 もしかしたら、それは自分の常識というものなのかもしれない。自分をはっきりとさせるための固定観念。それと異質であるためにこうまでも引っかかるのか。そう思ったりもする。

「まぁ、そこら辺はしょうがないのかもね。あくまで私の理屈でしかないんだから」

 そう締めくくると真琴は、いまだ悩んでいる瑞美の方に右手を置いて後ろを向かせ、

「まぁ、今は何もかも忘れて祐一と抱き合ってきなさい。なんならキスだってオーケーよ」

 そう言い、背中を軽く押した。















 それから数日後――

 撮影した映画の編集が終わった日。沢渡家ではちょっとしたパーティーが開かれた。

 それは再び三人で一緒に道を歩きだす始まりの日。

 そして、久しぶりに三人で一緒に寝た日。
















<あとがきじみたもの>

 どうも、海影です。
 拙い文章をここまで読んでいただき、ありがとうございました。
 ここでふと思ったのですが、私は文庫本を読む際にあとがきを先に読むという癖を持っています。
 SSではそういうの無いですよね?

 それはともかく、姐御祀りにて投稿した『こんな二人の風景』の後日(後時?)談的なものです。
 この作品は相川さんの『瑞美さんが見たかった』の一言に触発されて書き始めたものだったりもします。
 さて、最初は瑞美を主役として書こうとしたのですが、最後には真琴が予想外の大暴れを披露して主役っぽくなってしまいました(汗
 完全に瑞美主役でやるなら、単品じゃないとムリかな…?
 それにしてもどこか退廃的な雰囲気を感じるのはなぜだろう?
 っていうか慕われまくりな祐一がむかつk(自粛
 等々と、試行錯誤の段階であるながらも投稿させていただきました。

 ところで、途中の真琴の台詞である「恋人と好きな人の境界線は何処か?」は私自身の問いでもあります。
 好きだから恋人なのか。恋人だから好きなのか。
 恋人の定義とは?恋人の在り方とは?
 考え込んだ先に結局はまぁいいかとなってしまう自分が大好きです(ナニ



 それでは最後に、100万ヒット達成おめでとうございます。(これ書いてる時には既に110万超えてますが;



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