無力感。敗北感。自信過剰。
私の中にあったのは、今となっては愚か過ぎるほどの慢心と危機管理の甘さだった。
改めて考えてみるとそれが良く分かる。
誰もが拳王と称えるように私の名を呼んでいたけど、その名は飽くまで花遠でのことだけに過ぎないのよね。
花遠と言う小さい国でどれだけ強くても、全世界と言う広い領域では私なんて下々だったってことが良く知らされた。
他の誰でもない、私自身の躯で……。
――井の中の蛙。
その言葉を私は身に染みたのだ。
………………つまり私は…ッ!
思わず躯全体に余計な力が入る。
……苛立ちが体内を縦横無尽に掛け巡り、自分自身を恨めしく思うほど非道く機嫌が悪い。
ふふッ――と非道く自虐的且つ苛立つ感情の思いを心の内に吐いた。
胸糞悪い…ッ!
いや、そんな単純な言葉で表現出来るほどの度合いじゃなかった。
見るだけで、聞くだけで、考えるだけで、神経が暴走するように、全身全霊で抑制しないと全てに苛立ちをぶつけたくなるほど。
…………まぁ、俗に言う八つ当たりってことなんだけど。
その一番の起爆剤と呼べる材料が、これだ。
「…………聡い香里のことだ。きっと《セン》と《エン》の習得を考えて、単身どこかで特訓でもするつもりだと思う。
しかも、プライドを傷付けられたお前は決して誰にも行き先を言わないだろうから、こうして手紙を――――」
読み上げていた手紙をぐしゃぐしゃに握り潰す。
“あの”明朝、家のポストに投函してあった彼からの手紙を。
たった一枚の手紙――何の魔術も掛けられてない、普通の筆で書かれたこれが、私の抑えようとしている感情を意図も容易く狂わせる。
その反応の速さは最初の一文で充分過ぎるほど、私の感情を爆発させるに値するものだった。
宛名も差出人も書かれてないその手紙だけど、明らかに彼からのモノだと明言できた。
……もう何度目になるか解からないほど読み直してから、私は彼――相沢祐一――からの手紙を抹消することを決めた。
――――轟ッ!
ぐしゃぐしゃに丸めて手紙だったモノをふわっと浮かせ、一閃。
右腕全体に意識を集中して、渾身と呼べるほどの《ケン》で目の前の岩壁を殴り付けた。
元手紙のブツを一瞬にして貫いて、岩壁までその勢いは止めることはない。
一直線に岩壁表面に突き刺さった拳は、そのまま真逆にある岩壁表面まで破壊を裏付ける罅を入れることになった。
厚さにして人が重なって五人は入れるほどの大きな厚さを持った岩の塊。
それを一瞬にしてブチ抜く。
打撃を“面”ではなく“点”にすることは、分散される力を一箇所に集束させることと同意。
その、セキシの力を一箇所――手首より先――に留めるのが本来の《ケン》。
《ケン》と言う言葉には、拳の意味の
拳
ケン
と、留め堅めると言う意味の
堅
ケン
がある。
“技”の威力を占める割合のほとんどは鍛錬と言う反復行為だけど、それに次いでるのがコンセントレーション…………集中力だ。
どれだけ、技を放つ≠ニ言うことを意識するか、それが威力の差に繋がるのは明白。
もう一度、心の中で覚えている彼の言葉を復唱してみる。
そう……私の考えは全てお見通しってわけ…?
まるで私は、彼の手の掌で踊ってる見苦しい道化のようね。
私の行動を先読みして、それに合わせてこうした手紙を出すなんて………………とんでもない侮辱ッ。
しかも、ご丁寧に《セン》と《エン》の習得の近道まで書いてくれてねッ!
この際、彼が何故《セキシ》の技の鍛錬方法を知っているかは別にして、何が何でも一泡吹かせてあげないと私の気が治まらない。
他の誰のためでもない。
相沢祐一。
彼を見返すために、私は山篭り四日目の朝を迎えた。
後に、私は気付く。
この山篭り自体、強くなると言う目的じゃなく彼を見返すと言う目的に摩り替わっていると。
実家横にある鋼鉄製の小さな蔵。
その、傍目物置にしか見えないレトロな造りにして頑丈な建造物――の地下。
私から数えて果たして何代前になるのでしょうか。
……ご先祖様が魔術の修練のためだけに造られた、地下室。
その中央で座禅を組んで、瞑想。
これまでの出来事を深々と思考しながら、他の誰でもない私自身のことを観察する。
私以外から見た私を。
魔術師として常人より才能があると言う慢心。
賢王などと崇められ自己修練を怠った驕り。
プライドを真っ二つに叩き折られ、未熟過ぎる欠点を指摘してきた者達の本当の実力。
現状に満足していた己の向上心の無さ。
改めて思い知らされたのは、無様と呼ぶに相応しい私――天野美汐――。
……いえ、無様と呼ぶのもおこがましいほど。
「ふぅ……はぁ…………ふぅ……はぁ……」
ゆっくりと、定期的なリズムで呼吸して余計な雑念を払う。
早い遅いに関係なく一定の速度を保ち続けると言うことは存外難しいこと。
それを意識して呼吸している時点で、私などまだまだ現状で満足出来る器ではないと解かります。
…………悔しいですが、“彼”の言葉通り。
才能に頼り切り、力を伸ばすと言うことを怠っていたのは事実。
「天野。お前は蛇口をもう少し大きくしろ」
真逆、貴方からそう言われるときが来るなんて、少し前の私に考えられたでしょうか。
……いえ、考えると言う想像すら思ったことなどなかったでしょうね。
能ある鷹は爪を隠す、とは良く言ったものです。
鷹にも様々な鷹がいますが、獲物を狩るのが巧い鷹でもなく、彼は万物の生活生態を知る参謀役の鷹と言うことですか。
…………ふと思いました。
花遠のケンオウを筆頭に、どうも私たちの養成学校生徒は個性的な人たちが揃い過ぎています。
そこで、情報収集を目的とした人たち、個人戦術や軍隊戦術の創造を目的とした人たちが一体何人いたでしょうか。
……おそらく、“使える”レヴェルの人など一人もいない……はず。
認めたくはないですが、やはり私たちにとって彼の存在はなくてはならないもの。
ですが…………ッ。
だからと言って、皆貴方の言うことを聞くと思ったら大間違いですよ――相沢さん。
――――蛇口を大きくしろ…?
私は貴方の言葉で確かに自らの欠点を改めて学ぶことが出来ましたが、改善点まで貴方に教えられるほど未熟だとは思っていませんよ。
私は私なりの方法で、貴方を認めさせてあげます。
天野家に伝わる秘伝を必ず会得して、貴方の言う欠点を無くしてみせます。
負けず嫌いの私は、絶対に貴方の言う方法で強くなどなりません。
だから、この『手紙』を抹消することにします。
そう決意した私は、
まだ未完成のある術
・・・・・・・・・
を使って目の前にある手紙を焼き燃やした。
――躯に通う絶対魔力の増加。
私はいつも携帯している剣を手元から離し、ただ我武者羅に魔力を高める鍛錬を行う。
剣王と呼ばれた私が久しくしてなかった鍛錬法を。
――――第二循環式魔通力呼吸鍛錬法。
親友の佐祐理から密かに伝授された極めて珍しく難しい鍛錬。
独特の体運びをしながら特別な呼吸法を長く続けることによって、体内の魔力が通う道の循環を良くする鍛錬法の一種。
直接総魔力を増加する効果もあり、魔力の消費量を節約することが出来る効果もあり、魔術に於いて能力相乗が期待出来る。
今の私にとって最も重要なことがまさにこれ。
他にも祐一に言われたことがあるけど、一番が絶対魔力の増加。
……やっぱりどれだけ剣術に長けていても、魔術が全然使い物にならないと戦力として駄目らしい。
奇しくも、あの朝倉と闘ってそのことを強く実感した。
《Silver Lightning》…………私の魔力量は少ないとは思ってたけど、まさかあそこまで威力が落ちるとは思ってなかった。
自覚していたことと、改めて実感したことは、ショックの度合いが大きく違う。
一発で仕留められないことがあると言う仮定が私には足りなかった。
――――驕り。
思い上がりも甚だしい。
世界各地で経験したことを通じて、私は勘違いをしていた。
強い――と。
私は強い――と、錯覚していた。
剣だけで言えば、世界でもほとんど負けることがないと思い込んでいた。
苦手な魔術は無理にしても、剣技に関しては自信がなかったわけじゃない。
…………あの朝倉と直接闘うまでは。
通用しない剣速。
通用しない秘技。
通用しない魔術。
…………まざまざと実力差を思い知らされたのは誰かに言われるまでもなく解かる。
泣き面に蜂とでも言うべきか、そんな私に祐一は言ってきた。
「舞。まずお前は魔術に対する苦手意識を捨てろ。長所を伸ばすのは悪いことじゃない。でも、短所をそのまま放置するのは悪いことだ。
いや、戦力として全く使い物にならない。だから、しばらくは魔術――いや、魔力を高める鍛錬を重点的にやってくれ。
それともう一つ舞の弱点はある。それは――――」
祐一の言うことは尤もだ。
私は魔術が苦手。
だから、剣術の鍛錬に没頭してきたわけだけど、これじゃ駄目。
今のままじゃ、誰かに勝つ以前に、誰かを守ることすら出来ない。
思い出せ。
私は誰のために剣を学んだ…?
…………佐祐理。
そう、私は佐祐理を守るために強くなったんだ。
いつの頃から忘れていたのか、それを忘れていたことに祐一の言葉で気付いた。
……………………いや、気付かせてくれた。
だから私は祐一を信じる。
他の誰でもない、剣王の私にあそこまで堂々と啖呵を切る人、私のために言ってくれた人だから。
反論し掛けるほど苛立ちが込み上げたのは事実だけど、逆にあそこまで正論だと清清しい気持ちもあった。
だから、私は言われた通り絶対魔力を増加する鍛錬を続ける。
今までより強くなるためだと、佐祐理を守るためだと、はっきりとした決意を胸に――。
花遠の学校の地下闘技場…………の更に地下。
地下シェルターとも呼べます、一般学生には開放どころか知らされてもいない、隔離された空間。
聖剣所有者の特別権限でその部屋に入った佐祐理は、一心不乱に蔵書を漁ります。
探している蔵書は分厚い物もあれば薄い物もありますが、その数は全てを揃えると十も越えるほどです。
ここにしかない貴重な蔵書ばかりが部屋の本棚に犇めき合っているのがわかります。
花遠学校の歴史書。
三十年前から去年までの全生徒たちの能力を書き記した書物。
世界に構成される四大要素の魔術についての基礎事項が簡潔に書かれた書物。
剣技や槍技と言った基本的な武具を用いた技術書。
…………様々な蔵書がありますが、佐祐理が今探し求めているのはこの中のどれでもありません。
歴史書でも生徒名簿でも、魔術や武術に関する書物でも、どれにも当て嵌まるものではないです。
――――戦術書。若しくは戦略書。
個人の技能に関係するものではなく、集団戦闘に於いての行動術。
作戦や目的、陣形や軍隊戦術。
自分一人のためのものではなく、仲間のためのコトが何たるかを書き記した“今の佐祐理”に最も適した書物。
「次に佐祐理さん。佐祐理さんはたぶんこの先戦場で皆を仕切る立場の存在になるはず。
だから、どんな逆境時でも冷静さを決して失わないこと。頭となる人間は常にクールにあれ、です。
まぁ、これは俺の知り合いの受け売りですけどね。……それと、個人じゃなく集団戦術を出来るだけ頭に叩き込んでください」
花遠に帰国する際に祐一さんから言われた言葉を思い出します。
佐祐理が聖剣戦争のことを知っているので、祐一さんは佐祐理に指揮官の立場になれと仰ったのでしょうか。
でも、それなら祐一さんも聖剣所有者ですし祐一さんにもその権利はあるはずですよね。
………………あっ、もしかしてッ。
祐一さんはもう戦術書をたくさん覚えているのかもしれません。
……でも、あのとき祐一さんは皆さんに聖剣戦争の詳細を教えましたし、別に佐祐理じゃなくても……うーん。
舞や香里さんはどう考えても指揮官と言うより、真っ先に戦場に向かう人のようですし。
美汐さんはどちらかと言えば、舞より佐祐理に近いタイプかもしれませんね。
でも、こう言っては失礼ですが、まだ経験不足のようですし。
………………確かに考えれば考えるほど祐一さんが佐祐理に仰ったことは正論のように思えます。
でも、その反面、何か辻褄が合わないような違和感を感じるのは何故でしょうか。
…………なんでしょうか。
佐祐理は大事な何かを見落としているみたいな、それを早く思い出さないと危険な気がします。
――――あッ
漸く発見しました。
軍隊戦術書。多段戦術作戦応用編の書。陣形と隊形の違いとその効果的な使い方……の書。などなど。
佐祐理にとって今何が大切なのか。
佐祐理にとって――――花遠にとって。
何を成さなくてはいけないのか、それは今のところ祐一さんの助言しか思い浮かびません。
こういう事態になると誰一人想定していたわけではないので、本当にどうしたらいいか解かりませんでした。
だから、思わず藁をも掴む思いで祐一さんの仰ることを実行に移すことにしたんです。
聖剣戦争のために――――舞のために。
D.C.の朝倉さん。
陰陽剣……小太刀・陽。
十聖剣の存在は全て明らかになっているわけではありませんし、朝倉さんの聖剣の解読も急がないと。
祐一さんに言われたことだけこなすようでしたら、“佐祐理のため”にしかならないでしょう。
ですが、それ以上の努力をしてこそ、佐祐理は“今以上の高み”に昇れるような気がします。
佐祐理のため。舞のため。祐一さんのため。お父様のため。お母様のため。ケンオウたちのため。花遠のため――。
皆のために、佐祐理は“佐祐理のため”ではなく“聖剣所有者として”、
――皆を護る。
――皆と勝つ。
聖剣戦争
Act03〜宴前〜
――桜が咲いている。
花遠に転校してくる前に居た街は数ヶ月振りだと言うのに、何故か数年間見てなかった錯覚に陥る一人の男。
花遠に佐祐理と舞が帰還してから数日、とある目的のため“自主休校”を決行した彼は、ここ桜が散らない国として有名なD.C.へと来ていた。
本来なら敵地
・・・・・・
であるはずの場所だと言うのにも関わらず、のんきに鼻歌など鳴らして……。
「……〜♪ …………♪♪♪〜♪ ――って、嘘ォ! あそこの喫茶店いつの間にか無くなってるッ!?」
里帰りと言うわけでもなさそうに…………と言うか、完全に観光客気分で周囲を見ながら街を歩いている。
上から下まですっぽり覆った灰色の法衣を身に纏っている。
肩当から背中に向けて垂れた布地は僅かながら四大元素全ての魔術耐性が施されているのだが、余程の実力者でない限り解からないだろう。
だが、一目瞭然なほど、傍目から見て誰しも一目で解かる。
――――魔術師だと。
典型的とも言える、一般人が想像する魔術師の模範例が正に彼の外見。
更に、樫の木で作られた木製の杖をその手に携えて、まるで周囲の人たちに見せ付けるかのように、彼は魔術師の格好をしていた。
「…………でも、他はあまり変わってないな」
「それはそうですよ」
「え……っ?」
彼の独り言に突然介入してきた別の声。
上品にクスクスと小さく微笑む声と同時に聞こえたのは、お淑やかな女性の声。
声が聞こえたと同時、彼は思わず背後から聞こえた声の方向を振り向く。
誰だ――?
ではなく、何故だ――?
そう言う意味合いを籠めたような表情で、
「年単位振りではないんですから――――お久しぶりです、相沢さん」
「ネムネムッ!?」
彼女の愛称を叫んだ。
と、同時に凍えるほど冷たい冷気の風――と言うより小さな氷の粒を幾らか乗せた突風――が彼・相沢を襲う。
冷たいと言うよりは痛い風。
肌に突き刺さるような、棘々しい風。
「――痛ッ。痛ェぞ。痛い痛い。しかも、さみぃ」
「その名前で呼ばないでくださいと言ったのをお忘れのようですからね」
ニッコリと微笑みながら攻撃してきた女性。
その風が止むまで、寒がりの相沢にしては正に極寒時間だったようだ。
…………尤も、寒がりでなくても痛いほど冷たい風をその身に受けるのは苦痛と呼べるのだが。
風が止み、相沢は漸く口を開く。
少し嬉しそうにその表情は明るく楽しそうに。
「あー痛かった。でも、相変わらずだな――――嬢」
「ふふっ。“その言葉”そっくりお返ししますよ」
「まぁ、ホントに数ヶ月しか経ってないから変わってるほうがおかしいんだけどな。だから、嬢の胸も変わってるほうがおかし――おわっ!」
「あら、惜しいです。後もう少しでしたのに」
「何がだ……。いきなり平手なんて」
「すいません。相沢さんの御顔に蟲が留まりそうでしたので叩いてあげましょうとしたんですけど逃げられてしまいました」
ふふ、なんて清楚な淑女のように。
平手打ち――と、刹那祐一の脇腹に膝蹴りまで入れようとしていた音夢。
そのどちらも上半身の反らしだけで意図も簡単に躱した祐一は、全てが見えていたのか…?
いや、音夢の膝まで見えていての避けだったのか…?
「……その割に異常なほど殺気放ってなかったか?」
「いえ。そんなことはありませんよ」
久しぶりの帰郷で感覚が機敏になり過ぎているんじゃないですか?
そう付け加える音夢。
「…………ゴメン。やっぱその喋り聞いてると背中がムズムズするんだけど」
「そうですか? 相沢さんが私のことを嬢、と仰ったので合わせたんですけど御嫌でしたか?」
笑顔のまま、嬢と呼ばれた女性は言う。
天真爛漫と言う無邪気な笑顔ではなく、どこか悪戯的要素が伺える小悪魔的笑顔とでも言おうか。
含みのある言い回しもあり、どうやら彼女は完全な淑女とは少し違うようだ。
「わかったわかった。嬢が嫌なら…………朝倉妹。ねむっち。ねむりん。……どれがいい?」
「はぁ……何故普通のがないんですか。というか、朝倉妹って…………杉並君じゃないんですから」
「冗談だ冗談。感動の再会なんだから少し変わったことをしたがるのが男ってもんなんだよ――――音夢」
「……はぁ、どこが感動の再会なんだか。全く兄さんもそうだけど男って難しいなぁ」
どうやら音夢と呼ばれた女性は、相沢に嬢と呼ばれたのが嫌だったようだ。
嬢……ではなく音夢と呼ばれた後、口調が変化したのだが、こちらが彼女の地なのだろうか。
「…………あー、音夢さんや。俺はお前の兄貴ほど難しくないと思うんだけど」
「一緒です。一度自分のことを他者からの視点で見てはどうですか――――祐一さん」
音夢――本名・朝倉音夢。
相沢――本名・相沢祐一。
彼ら幼馴染は今、数ヶ月振りに再会をしたのだ。
…………感動的な再会かどうかは本人たちの考え方次第だが……。
「――――それにしても帰ってくるなんて急過ぎだよ」
「いや、『純』には伝えといたはずだけど、知らせた時間一時間過ぎても迎え来なかったぞ」
祐一と音夢の二人は今商店街の外れを歩いている。
どうやら、祐一の帰郷は突発的なものではなく予め計画されたものだったようだ。
祐一はいつも通りだが、音夢のほうは先程までの猫被り――祐一や音夢の兄曰く、裏モード――を完全に解いている。
「え? 『兄さん』はそんなこと一言も私たちに言ってなかったけど」
「あー、そりゃそうだろう。だって純に知らせたの今朝だし」
「…………………………はい?」
つまりはこう言うことだ。
到着日付の朝に、今日到着するぞ、と祐一は故郷の友人に連絡を入れたらしいのだ。
そのことを理解するのに…………いや、その言葉の裏に何か別の思いがあるのではないのかと考えた音夢はしばし声を失っていた。
言葉の表面だけを読み取ったその意味が本当のことなのかどうか。
まさか――誰もがそう思っても何一つ可笑しくない。
どこの誰が、到着する数時間前にもうじきそちらに着くと言うのだろうか。
…………いや、ここにいる、などと言う屁理屈はどうでもいいのだが。
近場の旅行ならまだしも、国境を越えて、海を越えた別の大陸からの帰郷のこの場合に於いてそれは、有る無しで言えば無しだろう。
「あ、そうそう。純と同じ時間に『チェリー』にも知らせといたんだけど、ついさっき返事あったな」
「…………『さくら』は何て言ってたの?」
商店街を抜け、細々とした田舎道を歩く。
おそらく予想出来た返答を敢えて口に出さないで、祐一に問い掛ける音夢。
返事するのおせーんだよ、などと、まるで文句たらたらな口調で愚痴に走る祐一だが、その感情は果たしてどうなのか。
理不尽なほうは果たしてどちらなのか、それを音夢は祐一に気取られないようにして返事を待つ。
表情からは微塵も思わせないように、内心は半分呆れたように。
「えー、言うの遅いよ。それにボク、今からやることがあるから迎えはいけないや」
だとさ、と。
声色も意識して少し意図的に“彼女”の物真似をしつつ、小道具で遊んでいるかのように笑いながら言う祐一。
そこで音夢は気付いた。
祐一は物真似が上手い――――――などと言うことではなく、連絡を取った二人の反応を見て楽しんでいるのではないか、と。
「…………はぁ、全く昔から祐一さんの考えは読めないなぁ」
「あ、そういや『まこぴー』に知らせるの忘れてたな」
「――お願いだからこれ以上皆で遊ばないで」
肩をガックリと落として、本当に心身疲れたように溜息混じりに言葉を吐く音夢。
そして、そのまま先に進もうとする祐一の肩に片手を置いて立ち止まらせ、懇願するかのように重い言葉を吐くように止めてくれ、と。
今の発言…………それも、表情を一目見て確信した。
楽しみ――いや、愉しみを仕掛け忘れたかのような、勿体無いと言う思いが思わず表情に出ていた。
――それは本当に残念そうに。
――それは本当に嬉しそうに。
……そして、音夢は本当に疲れたように。
朝倉音夢が幼馴染の彼、相沢祐一に長年抱いている思いは、苦労種そのもの。
過去も今も、現在進行形で。
だから、確信した。
――――幼馴染は数ヶ月前と全く変わっていなかった、と。
「………………あれ?」
「え? 祐一さん、どうかした?」
「いや、あれって『ワンコ』だよな? あんなところで何やってんだ?」
隣を歩いていたはずの祐一が突然足を止め、口にした言葉。
あれが何なのかと指で指したわけじゃないが、その言葉の意味を聞き返さずとも祐一が見ていた先を目で追う音夢。
そこにいたのは一人の少女。
四つん這になり、地面に鼻が擦れるかと思うくらい近く顔を下ろして獣のように四足で歩いている少女。
………………明らかに可笑しかった。
「……うん。確かに『美春』ね………………ちょっと挙動不審だけど」
「いや、あれをちょっとと言えるのか…?」
眉を細めて、如何にもちょっと程度じゃないことを表現する。
「まぁ、ワンコの行動が理解不能なのは今に始まったことじゃないか」
そう言って、祐一は何か危険な感覚に囚われた音夢の引き止めを振り切ってワンコ――美春と呼ばれた彼女に近付く。
彼女、天枷美春に。
上手いこと気配を断ち切って、そっとゆっくり近付く祐一。
しかも、小さな悪戯を思い付いたような顔付きで笑みすら浮かべて。
法衣一つの生地摺れにすら注意を払うその細かい動作は、呆れるくらい無駄な行為だろう。
音夢は心の中で思った。
この、そっと近付いて驚かすと言うただそれだけの行為のために、生地摺れの音にすら細心の注意を払う祐一に対して。
無駄なことを関して一切妥協しない性格の彼はとんだ子供で、いつまで経っても問題児だと言うことを。
「ふううぅぅぅ……」
「――ひ、ひゃううぅぅぅぅッ!?」
「あはははは…ッ!」
「…………………………はぁ〜」
――――そして、この、見た目大人で中身子供の彼を誰か何とかして下さい、と。
「首裏に息吹きかけないで下さいッ!! 誰ですかッ――――って、相沢先輩ッ!?」
「おう。相沢先輩だぞ」
「美春……」
「あ、音夢先輩も。どうしたんです? 疲れたような感じですけど」
嬉しそうに抱き付いてくる正にワンコ・美春の問いに、いえ何でもないわ、と返す音夢。
その表情がとても大丈夫そうに見えないのは気の所為ではないだろう。
心底疲れたように肩を落として、一つ重い溜息を吐く。
「…………? そういえば、相沢先輩はいつ帰ってきたんですか?」
「今日だな――と言うか、ほんのちょっと前になるか」
ここで音夢が、今朝祐一がしたことを美春に告げる。
D.C.に着く直前に、もうじき到着することを知らせた事実を。
「へー、流石我が風見学園随一の変わり者ですねー」
「ワンコよ。そこまで俺を褒めても何も上げんぞ? 精々、花遠でしか売られてないバナナくらいしか――」
「――充分ですッ! そのバナナを是非美春に下さいッ!」
「と言うか、全然褒めてないから……」
「ふむ。じゃあ、俺が今から訊く質問に答えたらこれを上げよう」
一つ返事で了承の言葉を元気に吐く美春に対して、法衣の中からバナナを一房取り出す祐一。
こうなることが予め解かっていた確信犯の笑みを浮かべて、楽しそうに無邪気に。
果たしてバナナを隠せるほどのスペースがあったのかは謎だが、音夢はもうこの数ヶ月前と同じ祐一に慣れつつあった。
いや、寧ろ懐かしつつもあり、先ほどまでの疲れがどこにいったのか、自然と頬が緩んでいることに当の本人は気付いていない。
「一つ。あんな体勢で何をしていた?」
「物凄い高級なバナナの香りが美春の鼻に入ってきたので」
犬ッ!? ――――とは、音夢の心の突っ込み。
「あぁ、なるほど。それはきっとこのバナナだろう……。――二つ。音夢と純の関係はどうなった?」
「は……っ!?」
「いえ、残念ですけど相沢先輩がいた頃と全く変わってません」
ふむ、なんて祐一。
手を顎に持ってきて、数瞬考えるような仕草。
音夢が祐一と美春に対して、顔を真っ赤に染めながら言葉少なめに「……ち、違うのよッ」などと言っているが、二人は軽く無視。
何が“違う”のか、そういう質問ではなかったのだが……。
それでも、勿論二人には音夢が何を言いたいのかは手に取るように解かった。
そして、祐一は音夢を見ながら一つ重い溜息を吐き捨てる。
「――――はぁぁ〜〜」
「……な、何ですか…ッ?」
「情けない――」
「な――ッ!」
「一緒に住んでいると言うアドバンテージがあるのにも関わらず、未だ想いを伝え切れてないなんて……。
ルックス悪くなし、勉強出来て、何より強い、性格は……悪くないけど、敢えて欠点を言うなら料理?
総じて悪印象は与えてないはずなのに、と言うか純自体音夢のこと気に掛けてるってのに、この数ヶ月お前は何をやっ――ッ!?」
自分のことを言っているかのように、早口で捲くし立てていた祐一。
ただ、それを止まらせたのは一つの眼光。
眼前に立っていた一人の少女――のニコリとした表情と眼。
「あ、相沢先輩……音夢先輩が、お、怒ってますよ。ここは一つ――」
「あ、あぁ。そうだな。ここは一つ――」
「あやま――「逃げよう」――ぇ?」
美春の吃驚している隙を突いて横をすり抜けて走る。
顎を上げて大声で笑いながら、心底今の状況を楽しみながら、無邪気な子供のように駆ける。
そんな祐一と、怒り心頭と言った音夢を交互に見、考える間もなく祐一と同じ方向に走り出した美春も矢張り音夢が怖かったようだ。
「コラーッ! 二人とも待ちなさいーいッ!!」
そして、二人の後を追いかけるのは音夢。
その光景は一種の名画のように、周りとは関係なく三人は輝いていた。
題して、過去より舞い戻った無邪気な太陽と日々の笑い声。
「――てなことがあって、このザマ」
「にゃははっ、相変わらずそう言うときはおバカだね〜祐一ちゃんは」
「そんな自慢気に笑いながら音夢に殴られた痕見せるなんて、相沢はホント相変わらず莫迦ね」
そういうお前らもな、とは祐一。
祐一と美春はあれから走りに走って、母校の隣に造られた修練場へと辿り着いた。
息も途切れ途切れで中に入ってきた二人を見て、場内にいたD.C.の生徒たち――まぁ、そこにいたのは皆祐一の友人なのだが――は驚く。
転校したはずの彼が何故――?
そして、祐一が彼らに気付き、「おっ、皆久しぶり」などと言おうとした瞬間。
祐一と美春は後から追いかけて来た音夢に殴られた、と言うわけだ。
何故そういう流れになったか、を今説明していたところである。
「相変わらず……ねぇ。そう言うチェリー、お前こそ変わらずちっこいな」
「むっ、人の身体的特徴を貶す――」
「――胸が」
『……………………………………』
最後の一言がきっかけになったのか、しばらく沈黙が流れるが、少しして祐一が一人大笑いしてチェリーと呼んだ少女から一目散に離れる。
そして、次いでもう一人の男の笑い声が響く。
「…………ぶ、ぶわっはははっ、そりゃいいな、おもしれーぞ――祐」
「おいコラッ、笑ってないで俺を助けろよっ――純」
チェリー……そう呼ばれた見た目にも同学年に見えない少女・芳野さくらの攻撃魔術を躱しながら、祐一。
純と呼んだ青年は、僅か一月前に花遠の佐祐理と舞が戦った朝倉だった。
聖剣所有者であり、他の人には過去にも例を見ない特異能力を持つ稀な戦士。
本名は、朝倉純一。
苗字から解かるように、朝倉音夢のたった一人の家族であり、誰よりも想っている兄である。
「…………ねぇ音夢。あいつ全然変わってないわね」
「あ、あはは……、まぁ、祐一さんですから」
「その一言で片付けられるあの莫迦って一体……」
「うっせーぞ、まこぴーッ!」
その瞬間、D.C.一の足の速さを誇る“彼女”が祐一を追いかける。
韋駄天――そう呼ばれる彼女特有の能力を発揮して、初速から最高速に乗り大きく開かれたストライドで、飛ぶように獲物を掴んだ。
戦士顔負けの、会心の飛び回し蹴りが祐一の背中に当たる。
その衝撃力は祐一の表情が語っていた。
――口を大きく開けたまま、悶絶と言った様子。
――――まこぴー。
祐一にそう呼ばれた彼女の本名は水越眞子。
朝倉純一同様、花遠の二人と戦ったときの彼女である。
修練場に集まっているのは以上六名。
D.C.の学生でありながらも、学生軍部総司令を務める芳野さくらを筆頭に、以下四名。
朝倉純一。朝倉音夢。水越眞子。天枷美春。
そして、このD.C.の元学生軍部作戦参謀長の相沢祐一。
まだ軍部に於ける中心人物は他にもいるが、今日は彼らしかいなかったようだ。
それぞれの役目は、以下の通り。
――最前線で敵を殲滅するための朝倉純一。
――一撃必殺の砲撃の使い手の朝倉音夢。
――諜報工作を仕事としているの水越眞子。
――前衛後衛どちらも不得手としない魔術師の天枷美春。
………………まぁ、彼らはここ一年以上世界各国を回っていたので、実際にその軍部を組んでいたのはもう随分前のことなのだが。
「――――――――で、お前が“今”戻ってきたのは何か意味があるんだろ?」
懐かしさの余りじゃれ合っていた空気を切り裂いて、純一が祐一に問う。
急に真面目な顔付きになり、それまでの雰囲気を一変させたことに自然と皆の表情も変わる。
皆解かっていたのだ。
今、この時期に祐一がD.C.に戻ってきたことの真意を。
何か意味があると言うことを。
「…………あぁ。おそらく後三ヶ月……いや、二ヶ月もしない内に聖剣戦争が始まると思う。
そのために準備しておかないといけない情報を仕入れてきて、今日はそれを提供しに来たってわけ」
雰囲気に一人染まることなく、少し軽めに言う。
「――――あんたはホントいつもどこからそう言う情報を持ってくるのか謎だわ」
「ん? 今回は別にそう大変だったわけじゃないさ。今俺がいるの花遠だからな」
「え――っ!? ちょっと待ってください相沢先輩。それじゃあ、花遠に聖剣があったってことですか?」
「あぁ。たぶん純から聞いてると思うけど、花遠では倉田佐祐理が聖剣を持ってる。そして、偶然ながら後二本見つけたよ。
……いや、見つけたと言うか見つかったと言うべきか。最低でも倭庵に一つ、高屋敷に一つ、それぞれあることが解かった」
花遠に聖剣を奪いに来た使者たちが口を滑らせた、と。
労せずに情報を手に入れたことへの楽を語る祐一。
「…………と言うことは、現在解かっているだけで、聖剣は最低五本と言うことですか。
私たちが二本
・・・・・・
。倭庵に一本。
花遠に一本
・・・・・
。高屋敷に一本。――――計五本」
音夢が祐一の言葉を聞き、兄の純一を見て、言う。
「……あぁ。でもたぶん俺の予想ではもう八本くらいは使い手を見つけていると思う。それを見越して、俺は後二ヶ月ほどで本番が始まると推定してる」
「あと二ヶ月か………………なぁ祐一、ここでお前に頼むのも気が引けるんだが」
「倉田佐祐理に近付いて少しでも弱点を見つけ出し、その情報を教えろ――って言うんだろ?」
「お、おぅ……。良く解かったな」
「わーお、流石祐一ちゃん♪ でも、良くお兄ちゃんの考えが解かったね?」
「祐一ちゃんは止せってもう何度言――まぁ、どうせ今更お前に言っても無理か。んで、なんで純の考えが解かったかって? それは――」
お前らと何年幼馴染をやってると思ってるんだ? と祐一。
気軽に、それでいて笑いながら言う彼に五人はそれまでの空気を崩して、苦笑しざるを得ない。
そして、祐一は一言、
「あ、そうそう。返事だったな。別に構わんぞ――――他ならぬお前たちの頼みならな」
続いて、あまり帰りの時間もないからもう行かないと。
と、言葉を残して修練場を去ろうとする。
転校も突然、帰郷も突然、そして今も突然。
故郷の地を踏んだ時間は僅か数時間、それも目的が情報を伝えるだけ。
まぁ、実際に皆の様子を眼で見ると言うのもあったのだろうが、日帰りの旅行だとは今日祐一と最初に会った音夢ですら聞いていなかった。
…………いや、想像すらしていなかった。
「じゃあ、今度は二週間後辺りにも来るよ」
「そんときは泊まってけよな。色々と積もる話あるだろうしさ。ゆっくりと語ろうぜ」
「――あぁ。楽しみにしてるぞ」
そう言い、皆の前から姿を消した祐一を見送った後、さくらは先ほどから疑問に感じていたことを告げた。
「…………ねぇお兄ちゃん。祐ちゃんはどうして花遠に引越したと思う?」
「は? んなもん俺に言われても――」
「確かにさくらの言うとおりね。祐一さんはご両親と離れて一人暮らしのはず。それなら引越したのは祐一さんの意思と言うことになります」
「――――何故D.C.を離れたのか…? 何故花遠なのか…? いや、言い方を変えるわ。
何故、D.C.を見捨てたのか――――ってことを言いたいの、音夢?」
「ちょっと待って下さいッ! 皆さんのお話を聞いてると、まるで――」
――――相沢祐一がD.C.を裏切ったように聞こえる。
誰もがそれを信じたくなかった。
誰もが祐一を信じたかった。
だが、誰もさくらの問いに返答することが出来なかった。
祐一の引越し――それに何か意味があるのか…?
それでも、彼らは信じることにした。
純一は信じることにした――――祐一との友情を。
音夢は信じることにした――――祐一との絆を。
さくらは信じることにした――――祐一との約束を。
眞子は信じることにした――――祐一との思い出を
美春は信じることにした――――祐一との記憶を。
――――――――彼らは信じることにした。
「――――――――まだ、真実を伝えてないんですね」
「…………ことり」
商店街の外れまで戻ってきた祐一。
そんな彼に突如掛けられた声は、酷く哀しげに酷く苦しそうに、酷く心配そうに……。
いつの間にか横に並んでいた彼女が声を掛けるまで、祐一はその気配に気付きもしなかったのだ。
莫迦な……。
そう直感したかもしれない。
もし、彼女が倒すべき敵だったとしたら、祐一はたった今瞬殺されていてもおかしくなかったかもしれないのだ。
「…………何のことだ…? 真実? 俺は至っていつも通り、調達した情報を全て教えてるだけだ。真実しか語る口を持って――」
「――“サトリ”の私の前でも、ですか?」
ピクリと、眉毛と肩が一瞬強張る。
だが、それを見破られまいと彼は必死に仮面を取り繕う。
「………………」
「………………」
一泊置いて、一言。
「…………おいおい。俺が何か隠しているとでも…?」
「………………
私のサトリを試そう
・・・・・・・・・
としていますね? 残念ですけどそうはいきませんよ――――――
理を破る者
ロジック・ブレイカー
」
「――――――――本物、か」
そこまで見破られてるんじゃ誤魔化す必要ないな、と。
祐一は急に、茶目っ気たっぷりにそれでいて豪快に高笑いをする。
何が楽しいのか、何が嬉しいのか、顔を上に向けて手の掌で顔全体を包んで…………笑う。
「…………はーっははははははっ、、ははははっ――――ッ!!」
ことりは、祐一がD.C.にいた頃からの友人だ。
だが、そんな彼女ですら今の祐一の様子が理解出来なかった。
……いや、理解しようとしても脳がついていけない。
――――眼の前のこの人は、一体誰…?
そう思わざるを得ない今の状況。
嘗て、相沢祐一と言う同姓同名の友人がいたが、果たしてその人は今眼の前にいる彼のように笑ったことがあっただろうか。
これほど、純粋に怖いと思う笑い方をしたことがあっただろうか。
これほど、背筋に冷たさを感じる笑い方をしたことがあっただろうか。
これほど、相沢祐一が友人であることを否定したくなる笑い方を見たことがあっただろうか。
「――――…………ん? 何だその顔は? …………もしかして、俺の中の表面しか理解してないのか…?」
「え――っ?」
「…………何のことだ、って顔してるな。それだけで充分だ。
いいぜ…………今の俺を
覗いて
・・・
みな。ただし、踏み込んだら二度と日常には戻れないことを覚悟する勇気があればだけど」
その言葉に、ことりは数十秒考えた末に、はっきりとした決意を言葉にして決断した。
真剣な表情で強い意志と共に吐き出した答えは、無謀にも相沢祐一と言う人物の全てを覗くことにしたのだ。
…………いや、相沢祐一と言う人物を理解しようとしたのだ。
果たしてそれがどれほどの重大なことなのか、どれほどの
大罪
・・
になるのか、祐一の真意を知る前のことりは知る由もなかっただろう。
「――――――ッ!!! そんなッ――……まさかこんなのって…………ッ!?」
この日、ことりは今まで生きてきた人生で一番忘れられない日になった。
今後の人生を決める道は、この日この瞬間に後戻り出来ない茨の道になってしまったのだ。
白河ことり――。
祐一と同じ白河姓の彼女は、あの覇業で有名の白河一族――相沢祐一の父――とは全く関係ない。
それは、ただの偶然と気紛れが呼んだ面白い同姓なだけで、白河と言う苗字に深い意味はない。
――倭庵。
D.C.と面積的には然程変わらない、外界から切り離され、大陸から隔離された小さな島国。
花遠から見て南南西の方角に位置する小さな一つの島にその国はあった。
彼・折原浩平の故郷――。
花遠から離れた彼は、その日のうちに同じ倭庵に属する仲間に手に入れた情報を伝信魔術で伝えて、今日まで一度も倭庵に帰ってはなかった。
二週間余りを花遠から少し離れた小島で過ごした彼。
何故か、それはたった一言で言うとしたら…………修行。
己の体を限界まで痛めつけて、己の体を限界まで引き出して――。
「よーぅ、今帰ったぜー」
倭庵で唯一つの学生寮、その中にある休憩場と遊技場が一体化している場。
その部屋に繋がる扉――正確には、西館と東館を結ぶ中継点――を勢い良く開け放ち、漸く帰還したことを告げる浩平。
ちなみに浩平は東館の人間なので、東館から繋がる扉を開けた。
「て、誰もいねーのかよ。せったくお土産を持ってきたっての――……っ!?」
――跳ぶ。
人がいる気配はせず、話し声すら聞こえないその場所に誰もいないことを確認して、一歩、憩いの場を踏み込んだはず。
だが、休憩場のある椅子に座っている一人の女性に浩平は気付いた。
全く人の気配を感じなかったはずだが、人がいたのだ。
まるで突然視界に出現したかのように椅子に座っていた彼女を見て、浩平は驚きを隠せない。
――――いつの間に…?
そんな言葉が頭を過ぎるが、すぐに掻き消された。
いつ姿を現したなんて言う問いを彼女に言うのは明らかに無駄なことで、論外極まりない。
彼女は最初からこの場にいたのだ。
人が見ずとも感じることが出来る……気配、と言う存在感を極小にまで抑えていたのだ。
それを瞬時に見抜けなかった浩平。
だから、驚き真横に跳んだのだ。
存在感を一度確認してしまうと、それから射抜かれる視線のようなものを感じる。
それが浩平を“跳ばせた”。
気配を感じるまでは何ともなかったが、今こうしていると彼女は背中を向けているにも関わらず、ずっと睨まれているような、そんな感覚に陥る。
手足の指は未だ驚きから硬直を止めていない。
…………だから、浩平は自ら声を掛ける。
「…………………………みさき、さん…?」
「…………その声は……浩平くん、かな…?」
「あぁ。ちょっと遅くなったけど……今帰りました――――四峰長」
「ふふ、やだなぁ〜。二人のときはそんな畏まらなくてもいいのに」
椅子から立ち上がり、浩平がやってきた扉を見詰める女性。
いや、この場合、見詰めると言う表現は適切ではないのかもしれない。
みさきさん…………そう呼ばれた彼女の本名は、川名みさき。
倭庵のティーンたちの憧れの的であり、最強の称号であり、絶大な人気を誇る四峰。
そう呼ばれる最強の四人……その頂点にいる女性が彼女・川名みさきであり、浩平より一つ年上の倭庵最強の人。
盲目であるにも関わらず…………いや、寧ろ盲目だからこそかもしれない。
彼女の心眼は、まるで神を見真似したかのように全てを見通している、と誰しも思う。
その……
閉じられた双眸
・・・・・・・
で、浩平を
見る
・・
。
「いえ。――みさきさん……俺、挑戦してもいいですか?」
「……挑戦? 何にかな?」
「――――四峰の座」
「へー。何がアンタをそう駆り立てたのか知らないけど、やっとやる気になったのね」
「七瀬……」
「僕らじゃない誰かに根底からプライドを圧し折られた、とか…?」
「氷上……」
「でもよ、そこまで言うんならテメェ強くなったんだろな。以前のままだったら承知しねーぞ」
「南……」
西館から通じる扉。
その扉が開いて、それぞれ一言ずつ浩平に声を掛けるように三人の男女が入ってくる。
一人、七瀬と呼ばれた女性。
一人、氷上と呼ばれた男性。
一人、南と呼ばれた男性。
――彼らこそ、みさき以外四峰の三人である。
腕力や脚力が並の女性以上ある、女性にしては極めて珍しい剛力と剛脚の持ち主。
それでいながら、トリッキーな戦術を決して忘れない――――七瀬留美。
系統別に分けた場合、水系魔術の使い方について彼の右に出るものは倭庵にはいない。
氷の神…………その字が歴史と共に変化して氷上と言う苗字になったと伝承がある一族の末裔――――氷上シュン。
圧倒的強さと速さを誇る火術と、流れるように連撃が止まらない全身凶器の名を称される体術 。
防御や回避といった修行をこれまでしたことがなく、攻撃一辺倒で四峰を勝ち取った――――南明義。
「あ、皆ちょうどいいところに来たね。じゃあ、浩平くん誰を指名する?」
「みさきさんのその言い方、夜のお店を想像するのは気のせいかしら…?」
「いや、僕もそう思った」
などと留美とシュンが小声で言ったことなど、他の誰にも気付かれることなく、
「――――南。悪いがそこから降りてもらおうか」
浩平は南明義を指名した。
四峰の四人は、彼ら以外からの挑戦を蹴ることは出来ず、必ず指名をされたら応じなくてはいけない。
例え、その挑戦者がどれだけ強くても、どれだけ弱くても、必ず優劣を決めなくてはいけない。
勝敗を決めなくてはいけない。
挑戦者が勝てば四峰のメンバーが入れ替わることに、現四峰の人が勝てば何一つ変わることはない、不平等な入れ替え戦。
下の者は、這い上がるために。
上の者は、守り続けるために。
己の居場所のために――。
「……おっと、勘違いするなよ、南。俺は別にお前を四人の中で一番格下だと判断してるわけじゃない。
と言っても、みさきさんには勝てる見込みがない。七瀬はまだ虎にやられた傷が癒えてないし、氷上とやれば俺に条件が良過ぎる。
絶対に勝てないと解かってる勝負はしないし、手負いのヤツに勝っても嬉しくないし、確実に勝てる勝負はしない。
俺と一番似てるタイプ。実力が拮抗しているヤツ。俺がつい最近覚えた技を試す絶好の相手。消去法。
……それを全て考えた結果――――お前だったわけだ」
それでも、指名を受けた南は納得がいかなかった。
指名されると言うことは、挑戦者側から見て一番闘い易いと言えるも同然だからだ。
心理的に一番弱いと思われ、間接的に一番弱いと言われ、それは南からすれば明らかに侮辱された心情だろう。
「いいぜッ。さあやろうか」
森林に囲まれた学生寮の外。
青々とした壮大な自然を前にして、南は斜めに開いたその両手に赤い炎を宿す。
まるで生きているかのように燻る炎は、早く暴れさせろとでも言わんばかりに激しく燃え揺れる。
「…………」
「どうした。急にだんまりになって。まさか今更怖気付いたとか言うんじゃねーだろな」
「……冗談。精神を集中させてただけだ」
南の炎に負けることなく、浩平は刀鞘一対の武具・黒鮫を抜く。
鞘を逆手、刀を順手に、半身の構えを取り重心を下げるため腰を落とす。
――さあ、闘ろうか。
南には、浩平がそう言っているように見えた。
「ねぇ、二人はどっちが勝つと思う?」
「「南」」
「わっ、二人とも息ピッタリだね」
「折原くんの強さと、南くんの強さを知っている僕らからすれば当然のことだと思います」
「そうね。でも――」
――折原は私たちの前で本気を出したことないと思う。
何を思ってか、そう言う七瀬。
それが正しいことなのか解からないが、もし本当のことなら浩平の強さを思い違えてることになる。
つまり、氷上が言った二人の強さを知っていると言うことが間違っていて、その“当然”が狂うことが有り得るのだ。
「――じゃあ」
「やろうか――」
瞬時にして二人の気迫がそれまでと一変して、眼が闘う男のそれに。
靴を地に滑らせて、南も半身に構える。
それが二人の合図になったのか、浩平は腕を折り曲げて半身のまま南に向かって突進する。
対して、南も浩平に向かって疾駆した。
……………
…………
………
……
…
「………………は、ぁ…………は……ぁ……」
「ぐっ――――莫迦、なッ……!」
闘い始めてどれくらいの時間が過ぎたのだろうか。
呼吸は途切れ途切れに苦しそうに立っている男と、地面に倒れたまま信じられないと言った表情の男。
二人とも満身創痍であることは同じだが、決着はもう着いただろう。
力や技、スピードなど、闘うためのパラメータ的要素はいくらでもあるが、その全てが紙一重で一人の男が勝っていた。
だから、二人の闘いにこれ以上の進展はない。
「……以上ッ! 二人ともそこまでッ!!」
みさきが審判人として最後の言葉を贈る。
「まさか、折原くんが勝った…………か」
「……南は油断してなかったし、完全に折原の実力だったわ」
「あぁ。それと一番気になるのは最後のアレだね」
留美も縦に頷く。
浩平が最後に放ったある技は、二人にとって驚愕のものだったのだ。
「浩平くんはこれから四峰の一員として、南くんはもう一度修行をやり直して下さい」
四峰への挑戦は、ある制限がある。
一つ、勝ち取った挑戦者は今後三ヶ月は休養期間として他の挑戦者の指名を断ることが出来る。
一つ、現四峰の人が挑戦者を負かせても、今後三ヶ月は休養期間として他の挑戦者の指名を断ることが出来る。
一つ、四峰同士で指名することは御法度とされている。
一つ、挑戦者の指名なくして、四峰でない者との私闘はどんな小さいことでも禁じられている。
…………などなど。
――――この日、折原浩平は久しく忘れていた感情を口に出して叫んだ。
「――――――――――ッしゃあああああ!!!!!!!!」
――――嬉しい、と。
あとがき
ハイ。随分お待たせしました。言い訳はしません。
とりあえず、第三話『宴前』終了です。
今話は、本番前の各々に焦点を合わせたものです。
花遠ではケンオウたちと佐祐理さんの一人称。それ以外(D.C.や倭庵)では三人称で。
これで少しはD.C.勢や倭庵勢の戦力状況が読者に伝わればいいなと思います。
その分、また伏線を張りました。
まぁ、これは初期プロットのままなので急遽変更したものではありません。
…………思わず急遽追加してしまったのは、祐一と美春の再会シーン。
本当はもっとあっさりした再会だったのだけど、何故か浩平に近い祐一になってしまいました。
原作との変更を一つ。
みさき先輩の眼について。
このSSのみさき先輩は、原作と違い眼を閉じています。
それには勿論理由があるのですが、それを明かすのは少し後に。
祐一の呼び名。
朝倉純一のことを、純。
朝倉音夢のことを、嬢、ネムネム、音夢。
水越眞子のことを、まこぴー、眞子。
天枷美春のことを、ワンコ、美春。
芳野さくらのことを、チェリー、さくら。
白河ことりのことを、ことり。
原作Kanonでは真琴のことをまこぴーと言ってましたが、このSSに真琴は出ませんので眞子にこの呼び名を使いました。
これらの呼び名は中々他のSSで見られないと思います。
特に、嬢とネムネム。
何気にこれを初期プロット製作中に思い付いたとき、私は
自画自賛
一人ガッツポーズをしました。
…………特に、嬢と言うのは個人的にお気に入り。
後半部分、どうも若干スランプと言うか、納得いく描写シーンがどうしても書けなくて沈んでいました。
書いても書いても、何かが違うような気がして中々納得いくものが出来ませんでした。
ただ、私が今自分に出来る最高のモノを書いたつもりではいます。
このスランプ気味を脱出すればもっと良いモノが書けたんだろうけど、いつ来るか分からないものに期待してもあまり意味ないので。
第二話より出来が良くないと自己評価していますが、読者さんはどうなんだろうな。
と、そんなことを考えながらあとがきを打っています。
では。
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