Fate/snow night 雪降る街の幻想曲





四章 血の要塞(ブラッド・フォート)





 二階の部屋で眠っている名雪達を起こさないよう、俺とオーディンは気配を殺して自室へと向か

う。静かにドアを閉め、俺は椅子にオーディンはベッドに座らせる。


「オーディン…あ、真名で呼ぶのは流石にマズイか」


「当たり前だ。真名が相手に知られれば、そこから弱点が知られ負ける要因が強くなる」


 ……弱点か。俺は北欧神話の歴史にそれほど詳しいわけじゃないが、確かオーディンはフェンリ

ルって氷狼に飲み込まれて死んだんだっけ。そう考えたらオーディンに弱点なんかあるのか?


「じゃあ、ランサー。まずはお前の持つスキルと宝具を教えてくないか」


 宝具の方は恐らく『大神宣言グングニル』だろう。全てを薙ぎ払い、敵を蹴散らし必ず相手を倒す神槍。さ

っき新都で持ってたあれがそれに違いない。スキルの方は検討もつかん。


「そうだな。ランサーの固有スキルである対魔力はB。そして、私自身の固有スキルは神性A、単

独行動EX、ルーンA、魔力遮断だ」


「単独行動EX!?」


 EXっていや、最高ランクじゃないか……。確か、ランクはE、D、C、B、A、EXとEが最

低ランクでEXが最高ランクだった筈だ。と言う事は、オーディン……いや、ランサーははマスタ

ーが不在でもかなり長時間現界可能って事か? ……反則だろう。


「そして宝具は『大神宣言グングニル』と『天馬召還スレイプニル』の二つ」


 『天馬召還スレイプニル』……オーディンの愛馬で、八本の脚を持つ馬で戦士達を天界に存在すると言われ

る、騎士達の墓場ヴァルハラへと誘う力を持つ天馬。なるほど、宝具として召還して乗るって訳か。


「スキルと宝具については分かった。他に捕捉する事はあるか?」


「ふむ……あぁ、少しある。私にはフギンとムニンという使い魔がいてな。出て来い」


 ばふんと、変な煙が二つ部屋に出現する。驚いてその煙を払おうと手を振るが、現世のものでは

払えないとばかりにその煙はその場に漂い続ける。

 暫くして目の前から煙が消えると、ランサーと俺の間には二羽のカラスのような物体が存在して

いた。いや、何て言うかカラスそのものだよな。


「何か用ですか、ご主人」


「俺らを呼び出しておいて何もないとかほざいたらいてこますぞゴルァ!」


 ……何故、関西弁。しかも一匹はやけに反抗的だな。しかし……笑える。いきなりの訳の分から

ない存在を目にして俺は笑いを堪えるので必死だった。


「な、なぁランサー……。こいつらがお前の使い魔か……?」


 努めて冷静に詳細を聞こうとするが、虚しくも俺の声は笑いに震えておりランサーもそれを敢え

て無視して、その問いに答えてくれた。


「この変な喋り方をする方がフギン。反抗的な方がムニンだ」


 変な関西弁を喋る方がフギンで、ランサーに突っかかっている方がムニンだな。


「ん? アンタがご主人のマスターはんでっか」


 俺に気付いたフギンがくるりと体の向きを変えて俺へと一礼する。喋り方はともかく、礼儀はき

ちんとなってるみたいだ。

 ムニンの方は俺に向きかえる事なく、ランサーに向かってありとあらゆる罵詈雑言を喚き散らし

ている。その言葉をランサーは右から左へと聞き流しているようだ。慣れているのが嫌でも分かっ

てしまう。


「で、この二匹が何なんだ?」


「この二匹を使役して、色々と情報を集めようと思ってな。一人より二人、二人より三人と言うだ

ろう」


 そんな俗世の言葉を覚えてるなんて……祐ちゃん悲しい、等と心の中でぼけてみても突っ込みが

あるわけでもなし、その言葉に頷く。ランサーが二匹に情報収集をしてくるよう命じると、片方は

素直に従い、片方は拒否した。

 ……もうどっちがどっちだと言う必要もないだろう。


「はいはいムニンはん、いきまっせ」


「俺に触るんじゃねぇ鳥類! 焼き鳥にするぞ!」


 ぎゃあぎゃあ喚きながら二羽は夜の闇へと消えていく。本当に対照的な二匹で、とんでもなく面

白い奴らだ。堪えていた笑いを開放し、俺は名雪達が起きない程度に部屋を笑い転げる。


「あはは……! ランサー、お前の使い魔って面白い奴だな……」


 皮肉と本気を込めた俺の言葉に、ランサーは呆れたような不貞腐れたような表情をして答える。


「扱いにくくて非常に困る」


 それは仕方ないと思う。あんな個性の強い……いや、強いを通り越して激しい二匹を上手く扱う

なんて到底無理な相談というものだ。俺だったら勘弁してもらいたい。


「くっ……はぁ、やっと落ち着いてきた」


 未だに笑いの衝動は襲ってくるが、耐え切れないほどではない。その衝動を気合で抑え込み、話

の続きを促す。


「ランサーのスキルと宝具、他に関しては大体分かった。そっちは俺に聞きたい事とかはあるか?」


「いや、特に訊くべき事はないな。あるとすれば、マスターは聖杯を何の為に使う?」


 ……聖杯、ねぇ。正直言って、俺は聖杯なんてものは欲しいともなんとも思っていない。俺がこ

うやって聖杯戦争に参加しているのだって、望んでいるわけじゃなくたまたま俺がマスター候補だ

っただけの事だ。



 だけど、聖杯自体には何の興味もないが聖杯戦争自体には興味がある。十年前……俺の母さんが

参加して、死んでしまった聖杯戦争。その母さんの息子である俺もマスターとなってそれに参加す

る。皮肉なもんだ。


「じゃあ、その問いはお前に返す。ランサー……お前は、何の為に聖杯を求めるんだ?」


 敢えてランサーの問いには答えようとせず、俺は質問に質問で返した。聞き返されたオーディン

は目を瞑り、思案する。

 俺は無理に聞き出そうとはせず、ランサーが自分から答えるのを待つ。


「聖杯……か。その事だが、マスター。私は聖杯など欲してはいない」


「…………何?」


 だから、ランサーが聖杯がいらないと言った時、俺は正直耳を疑った。そりゃあ英霊の中には変

わり者もいて、そういう奴らなら聖杯なんていらないとか言うかもしれないが、俺の目の前にいる

のは北欧神話の登場人物、それも一番有名な戦神オーディンである。

 彼ほどの英霊が、聖杯をいらないなんて言うとは思いもよらなかった。……いや、彼ほどの英霊

だからこそという事もあるか。


「マスターの問いには答えた。それで、今度はそちらが何の為に聖杯を使うのを訊こうか」


 どうする……正直に聖杯はいらないと答えるべきか? それとも何か適当にありえそうな理由を

つけてその為に使うとでも言うか?



 …………いや、ランサーは正直に聖杯はいらないと答えてくれたんだ。ちゃんと答えてくれた奴

に、嘘をつくなんて出来やしない。


「俺も……ランサーと同じだよ。聖杯なんて、別に欲しくない」


 魔術師とはあまりに遠く違いすぎる返答に、一瞬何か言われるかと思われたがランサーは別段表

情を変える事なく俺を見つめてくる。何か居心地が悪そうにしていると、ランサーはふっと表情を

緩めた。一体何なんだ?


「なるほど、私とマスターは似ているな。聖杯が必要ない、どちらも魔術師、英霊の中でも変わっ

ている」


 まぁ、そうだろうな。魔術師であるにも関わらず、俺は魔術が使えないし人を殺す事どころか記

憶消去すらあまりしたくないと思っている。英霊であるにも関わらず、ランサーは聖杯を欲しいと

思っていない。どちらも変わり者には違いない。


「でも、勘違いしないように言っとくぞ。俺は負けるつもりなんてさらさらない。さっき秋子さん

には約束したしな、絶対に生き残るって」


 まだ俺は若いんだ。こんなところで死ぬのはごめんだし、知りたい事ややってみたい事もたくさ

んある。第一、まだ彼女も出来た事ないのに死ぬのが一番嫌だ。


「それは無論私もだ。マスターを勝利に導くのが私の役目。それに、秋子殿にもマスターを護ると

誓ったのだ。忠義は果たす」


 オーディンを召還した人ってのは、かなり幸運だったのかもな。死ぬ前までこんな頼もしく義理

堅い英霊に護ってもらえていたんだから。にも関わらず、ランサーのマスターは死んだと言ってい

た。運が悪かったのか、もしくはランサーを超える強さのサーヴァントにやられたのか……いつか

は話してくれるだろう。


「まぁ、互いの情報交換も済んだな。で、今後の行動方針についてだけど……」


 分かりやすくする為に、俺は机の上から紙を取ってそこに俺達が取る具体的な行動を詳しく書き

記していく。


「出来るだけ戦闘は避けて、情報収集に徹しよう。戦闘回避が不可能な場合は、応戦も仕方ないけ

ど。後、一般人に被害が及びそうになった場合にも許可する」


「待て、マスター。別れて行動と言うのは、些か危険だと思うぞ」


 ランサーの言う事は尤もだが、まとまって情報収集をすればかえって怪しまれる危険がある。魔

力遮断のスキルで関係者だとばれないまでも、目立つ容姿をしているランサーだ。少々危険だけど、

離れて行動した方がばれにくいと言っちゃばれにくい。

 その辺りを指摘すると、ランサーはなるほどと頷いた。


「マスターの言う事は尤もだ。しかし、一人の時に襲われればどうするつもりだ?」


「何とかなるだろ。逃げ切るだけなら、なんとか出来そうだし」


 つい先刻、戦ったライダーの事を思い出す。

 ……あれが本気でないにしても、多少なりとも戦える事が分かった。それなら、勝つとまではい

かなくても多少応戦して隙を見て逃げる事ぐらいなら可能だろう。


「……認識が甘いが、危険が迫れば令呪で私に呼びかけてくれ。いざとなれば、令呪を使っても構

わん」


 例え令呪がなくなろうと、私はマスターを裏切る事などせず最後まで護り通すと、ランサーはそ

んな嬉しい事を言ってくれる。頼もしい限りだ。


「そうだ。一人で行動するなら、ランサーって名前はまずいな。偽名を考えないと……」


 天を仰ぐように顔を上へと向けて、むーっと俺は唸る。俺の心の中にある無数の宇宙の一つ、乙

女コスモを利用して何か良い名前を弾き出さねば。

 流石に女みたいな名前だとランサーに怒られるか呆れられるし、周りの人達に変な目で見られて

しまうしな……。真琴や他の奴らは俺のネーミングセンスが悪いと変な言い掛かりをつけてくるか

らここで見返してやらねばならん。


「……立場的には俺の兄って事にして……、相沢……相沢……」


 文句があるかなーとも思ったが、ランサーは何も言わずにこちらの言葉を待っている。俺の視点

からだと期待に満ちた表情に見えるから不思議だ。うむ、ランサーの期待に答えるべく全力を以っ

て名前を閃かせてやる。


「よし、相沢槍男とか」


「却下だ」


 即座に却下された。しかも氷のように冷たい眼差しつきで。ちょっとした冗談だったのに、そん

なに冷たい眼差しをくれなくてもいいじゃないか……。


「ちょっとしたジャパニーズジョークだって。そうだな……秋子さんの夫の名前をもじって相沢槍

士ってのはどうだ」


 紙に『相沢槍士』と書き記し、どういう風に書くのか教える。これは結構自分でも良い出来だと

自信を持って言えるぞ。


「ランサーだから槍士か……。安直だが、良い名だな」


 ……あ、安直。言い換えれば、単純って事だよな。お、俺、単純ですか……? もしかして単細

胞なんですか馬鹿なんですか阿呆なんですか……?

 俺は自らの新事実を突きつけられてうちひしがれる。いや、俺は真琴ほど単純でもなければ馬鹿

でもないっ! 絶望の淵から一気に復活し、俺は装い新たに新・相沢祐一として生きるっ。


「……ぐあっ、もう二時過ぎてる!?」


 壁に掛けてある時計を見ると、既に二時を回っている。後五時間ほどしか寝られないじゃないか

……。がっくりと肩を落としてそろそろ寝るかと考えた。


「ランサー……今日はもう寝よう。学校あるし、何より疲れた」


 体が訴える痛みを無視し、今までずっと稼動してきたせいでもうくたくただ。汗だくになった服

を着替えて、俺はベッドへ横になる。

 あー……布団の感触が気持ち良い〜。俺の今の恋人はきっとこの布団なんだな〜……等と他愛の

ない事を考えながら、俺の思考が麻痺していく。


「あ……すまん、ランサーの分の布団敷いてなかったな……」


「構わん。元々私達は睡眠を必要としないからな、このままマスター……ユウイチが起きるまで壁

に凭れ掛かっている」


 ドアのところまで歩いていき、扉のすぐ横の壁の前で座り込みそのまま壁に凭れ掛かった。そし

てじっとこちらを見つめてくる。


「あんまり見つめられると寝られないんだけど……。でも今は疲れてるせいか、もう意識が朦朧と

して……」


 全てを言い終わらない内に、俺の意識は闇に閉ざされた。










 ……眠い。そしてだるい。

 意識が覚醒した瞬間に思いついたのがそれだった。情けないと思うなかれ。一般的な人類ならば

こんな思考を寝起きに抱かざるを得ないはずだ。よって、俺は何も悪くない。

 まどろみの中で寝返りを打ち、布団に包まろうとした時……



ズキィッ!!



「痛っ……!」


 体を襲った痛みで、目が覚めた。身体中を酷使したような、酷い筋肉痛のようなものだと思う。

だけど、別段筋肉痛になるような事をした覚えはないんだが……。


「起きたか、ユウイチ」


 耳に聴こえてきた声を聞いた瞬間、全てを思い出した。

 そうだ、俺は昨日ライダーのサーヴァントと戦って殺されかけて、そこに現れたランサーと契約

してマスターになったんだ。

 いかん、あまりに疲労が溜まって寝惚けていた所為で記憶が飛んでいたらしい。ベッドから起き

上がって俺は壁に凭れ掛かっているランサーへと向き直る。


「あぁ、おはようランサー。すまん、ちょっと寝惚けてた」


 しばしばする目を擦りながら俺はベッドから立ち上がり、服を着替え始める。しっかりと着込ま

ないと、今日もかなり寒そうだしな。ハンガーに掛けてあるブレザーを着込み服の着替えが終わる。


「先程、秋子殿が様子を見に来た時に昨夜の事を説明しておいた」


「あぁ、サンキュ。名雪達にも俺の兄だって言っとけば、信じるだろうから」


 何せ結構単純な奴らだしな。名雪は天然だし、あゆと真琴については俺の家族構成を知らないか

ら問題なし。他の奴らも以下省略。


「さて、今日は名雪を起こすのは中止して学校に行くよ。ランサー……『槍士兄さん』は下で秋子

さんの料理を食べてから、情報収集を頼む」


 いざと言う時にぼろが出ないよう外では槍士兄さんで通して、念話……令呪を通して話すさいに

はランサーで通す事にしようと考え付いて俺はそうランサーに言った。

 二人で一緒に二階から降りて、リビングに入るとあゆと真琴、秋子さんの視線が俺とランサーへ

突き刺さる。


「おはようございます、秋子さん」


「祐一さん、槍士さん、おはようございます」


 いつものように微笑みながら秋子さんが朝の挨拶をしてくれる。対するあゆと真琴はこちらを見

つめたまま彫像のように動かない。あゆは秋刀魚、真琴は味噌汁のお椀を咥えたままこちらをじっ

と見つめている。


「あゆ、真琴、おはよう」


 声を掛けると二人はようやく動き出す。やっぱり、いきなり見知らぬ他人が家にいたりすれば驚

くのは当然か。


「あゆちゃん、真琴。この人は祐一さんのお兄さんで、相沢槍士さんって言う人よ」


 視線で「誰?」という表情をしていたあゆと真琴に秋子さんが説明してくれた。俺の兄と聞き、

二人はまた目を丸くして驚く。


「祐一君、お兄さんがいたの?」


 水瀬家内で、長女的存在である名雪以上に……とてもそうは見えないが確りしているあゆが冷静

に俺に訊き返す。真琴は本能的に何か異常を感知しているのか、警戒心を解こうとしない。

 流石は元妖狐……魔力の流れを封じたとしても人とは違うと察知したのか。


「あぁ、何年か前からイギリスやイングランドとかの英国の方に旅してたんだけど、昨日の夜に戻

ってきたんだよ」


 俺からの説明で真琴も怪訝に思いながらも納得したようで、警戒心は消えた。あゆもそれで納得

したのか朝食を食べるのを再開する。水瀬家の適応力は並大抵の物ではないと再確認してしまう。


「じゃあ、ラン……兄さん。俺は学校があるから、行くな。兄さんは朝ご飯でも食べてゆっくりし

ててくれ」


「祐一、名雪お姉ちゃんを起こさなくていいの?」


 もぐもぐと白米を噛み締めながら真琴が既に俺の日課と化している、水瀬家名物『名雪起こし』

をしないのを不思議がる。……嫌な名物もあったものだ。それを行う俺本人からすれば、ただの拷

問か虐めにしか思えん。


「あぁ、今日はちょっとな。すまんが、その役目はあゆと真琴に任せたっ」


 えっ、と驚くあゆと真琴を完璧に無視して俺は水瀬家を出る。暫くの後、何か叫び声が聞こえた

ような気もするが、きっと気のせいだろう。俺には何も聞こえなかった。

 昨日に引き続き、一人で登校する俺は自分の知る限りの聖杯戦争の情報を整理し始める。






 ……聖杯戦争。今から約二百年ほど前にマキリ、アインツベルン、遠坂の三大家系が基盤を作り

上げた一種の大儀式。アインツベルンが聖杯を、マキリが令呪を、遠坂がサーヴァントシステムを

作りあげた。聖杯の力で、世界の守護者である英霊を七騎呼び出し、マスターの権利を持つ魔術師

七名が令呪と呼ばれる絶対命令権を使い、英霊を使い魔……サーヴァントとする。

 その戦いに勝利した者は、聖杯の力でありとあらゆる願いを叶える事が出来るという。

 正直、こんなのはただの与太話か妄想だと思っていた。しかし、自分の母親がマスターとなり聖

杯戦争に参加して死んだ。聖杯の効力は知らないが、実際にそんな馬鹿げた殺し合いがあったのは

確かであり、今俺もそれに参加している。


(まったく、本当に馬鹿げてる……。一体、何が目的でこんな呪いと同意義の争いを作り出したん

だ……!)


 今となっては、魔術師協会の奴らぐらいしか真相を知らないだろう。もしかすれば、勝ちぬけて

いけば真相に近づけるかもしれない。そうだとすれば、俺は勝ち抜いてやる。

 生き残る為にも、全てを知る為にも。


「おはよう、相沢君」


 声を掛けられたのに気付き、思考の海から帰ってくると目の前には久瀬の姿があった。考え込ん

でいる間に、かなり歩いてきたらしい。目と鼻の先にはもう学校が見える。


「よう、久瀬。昨日は眠れたか?」


「どうだろうね……。いつもより寝れなかったのは確かだけど」


 苦笑しながら言う久瀬の目元には、うっすらと隈が出来ている。やっぱり、殺されそうになった

その日にぐっすり眠れるわけがないか。

 極限までの緊張感と殺されるという恐怖。それを味わってしまえば、下手をすれば不眠症になる

事もある。久瀬の症状はまだ良い方だろう。

 久瀬の横に並び、学校への道を歩いていく。


「そういえば、やはり川澄さん達も相沢君が魔術師である事を……?」


「秋子さん以外は全員知らないよ。本当なら、魔術師は一般人に魔術を見られたりすれば……記憶

を消すか、殺すしかないからな」


 俺の口から出た『殺す』という言葉に、久瀬は身体をびくんと震わせる。いや、正直に言えば一

般人に魔術の存在を知られた場合のほとんどは、その詳細を知る者全てを抹殺する。これが一般的

な魔術師の在り方だ。

 俺の場合は、記憶消去で全てを忘れさせて別の記憶を相手に与えるという方法を取っている。効

率は悪いが、人を殺すのなんてやりたくない。


「なら、もし僕が相沢君じゃない別の魔術師と出会って魔術を知ってしまったら……」


「確実に……殺されていた」


 俺みたいに甘い考えを持つ魔術師であれば、記憶消去だけで済んだかもしれないがな。口に出さ

なくても分かったであろう、久瀬は自分の運の良さを再認識したようだ。

 学校の校門に到着し、そのまま何事もなく通ろうとした時、俺の身体を違和感が襲った。


(……何だ?)


 同じく入ろうとした久瀬を押し留めて、俺は七夜の人間が持つ超能力……『浄眼』を使い、学校

全体を視てみる。

 学校を視界に入れた瞬間、俺は吐き気を催しそうになった。すんでの所でそれは免れたが、こん

結界モノが学校に張られていたのに気付かなかった自分が嫌になる。


(魔力吸収……いや、そんな生易しい物じゃない)


 これは、対象の中に存在する人間を溶解して魔力とする凶悪極まりない代物だ。ぎり……っ、と

奥歯を噛み締める音が聞こえたのか、久瀬が怪訝な表情でこちらの行動を窺っている。

 知らず、顔に出ていたようだ。魔術師とは己を制御する者。魔術を使えなくとも、俺は魔術師。

自分すら制御出来ないのは、ただの馬鹿と変わらない。


(思考を冷静に。感情を全て抑えろ)


 目を瞑り、思考を落ち着かせる。俺一人が先走って行動しても、何も解決する事はできない。そ

れどころか、学校にいる生徒、教員全ての人達を危険に晒してしまう恐れもある。それだけは、絶

対にしてはならない。


(こんな所に平然と結界を張る奴だ、俺がマスターだと知れば迷わず結界を発動させる)


 ならば、知られないように行動し隙を突いてこの結界を破壊するしかない。見たところ、まだ全

部完成しているわけではなさそうだ。軽く見積もっても、四日間は安全圏だろう。


「すまん、ちょっと歯に何か詰まっててな。それを取ろうとしてた」


 苦笑しながら俺がそう言うと、久瀬はなんだそうだったのかとこちらも苦笑して納得してくれた。

 はははと笑いながら俺達は校門を通る。途端、身体が重くなり動きが鈍くなる。それを身体中に

魔力を通わせる事によって防御し、俺は魔術師から一般生徒として意識を切り替えた。


(まずは、夜になってから……だな)



[Interlude2−2]




 少し時間の流れを元に戻して、祐一が出た後の水瀬家。いつもの食卓風景に、真新しい存在がい

る事によって食卓の空気は少し変わっていた。


「えっと……初めまして、祐一君のお兄さん。ボクは月宮あゆって言います」


「……水瀬、真琴。よろしく」


 食べていた食事を中断し、あゆと真琴は目の前に座る真新しい存在……そう、祐一のサーヴァン

トであるランサーに挨拶をする。しかし、今の彼はランサーではなく祐一の兄である『相沢槍士』

だ。それ相応の対応をしなければならない。


「お初にお目にかかる。私はユウイチの兄の相沢槍士という。失礼だと思うが、暫くこの家に厄介

になる事になるだろう。短い間かもしれないが、よろしく頼む」


 祐一の兄……という事から、何処か変わった人だと二人は読んでいたが、ここまで礼儀正しく自

己紹介されたのは初めてだ。別の意味で、変わった人だと思う二人。


「あゆちゃん、真琴。名雪を起こしてきてくれないかしら。ご飯が冷めてしまうわ」


 秋子に言われ、二人は残り僅かであった朝食を全て平らげ二階へと登っていく。その間に、秋子

は槍士の分の朝食をテーブルに出す。祐一の分が余っていたので、それを出すだけで事足りた。


「では、有難く頂こう」


 手を顔の前で合わせ、箸を持つ。槍士……いや、あえてここではランサーと呼ばせて貰おう。ラ

ンサーは北欧の神話の英雄であり箸を使った事がないが、聖杯から必要最低限の情報は与えられて

いる。何故、箸の使い方という具体的な物があるのかは不明だが。


「はい、どうぞ召し上がれ」


 生前の夫の姿を思い出しているのか、秋子の表情は幸せそうなものだ。彼女にとって、自分の料

理を美味しく食べてもらえる瞬間が何よりの幸福であるから、それは当然の事かもしれない。

 一口食べて、よく咀嚼する。そして飲み込む。


「……非常に美味だ」


 心から槍士はそう思う。食べる側の栄養をきっちり考え、尚且つ愛情を込めて作られた料理が不

味いわけがない。



 しかし、この彼の考えは後に彼女が作った水瀬家の最終兵器、オレンヂ色のジャムを食べた事に

より少し改められるのだが、それは暫くの後の話だ。



 食事を食べ終わり、秋子に礼を言うとそのまま外に出て行こうとする。


「あら、出掛けるんですか?」


「……他のマスターやサーヴァントの情報収集だ。マスターを護る為にも、これは欠かせられない」


 日常とは掛け離れた会話。それを聞いて秋子はまた悲しそうな顔をする。しかし、すぐにいつも

の微笑みを浮かべると、槍士にこう言った。


「祐一さんだけでなく、もう槍士さんも私達の家族ですよ」


 それに答えず、槍士は水瀬家を出る。辺りに誰もいない事を確認し、槍士は身軽な動作で屋根へ

と登り屋根伝いに移動していく。


(家族……か)


 久しく感じていなかった暖かい感情。それに頬を緩め、槍士はひたすらに移動しつづける。向か

うのはこの冬木の中でも霊脈の豊富な地点の一つ、柳洞寺だ。

 魔力遮断のスキルを使用しているとはいえ、槍士はランサーのサーヴァントだ。身体能力は人間

とは比較にならず、魔力を使わずとも屋根から屋根へ跳ぶという芸当くらいは出来る。

 ほどなくして、槍士は柳洞寺の山門の下へとやってきた。


「……」


 柳洞寺を見上げる彼の視線は険しい。まるで遥か頭上に聳える何かを射抜くような鋭さで、槍士

はひたすらに柳洞寺――――いや、そこに張られた結界を睨む。


「……柳洞寺。この冬木の中で新都の外れにある教会、冬木のセカンド管理者オーナー、遠坂家の地に続い

て霊脈の豊富であり魔力の集めやすい場所」


 槍士はかなりこの周辺の地理状況に詳しいようだ。先程まで水瀬家であった温和な雰囲気はそこ

にはなく、一英雄一英霊としての戦神オーディンの姿がそこにあった。いつの間にか、魔力遮断も

解除されサーヴァントとしての気配も隠れていない。


「……空気が澱んでいる。サーヴァントのいずれかが陣として構えたか……?」


 あり得る事実に、そして尤も厄介な事実に気付き槍士は知らず顔を顰める。この柳洞寺にはサー

ヴァントにとって厄介な結界が張ってある。別段無理をすれば進入するのは可能だが、それを行う

と、全ての能力が一ランク低下してしまうという致命的な欠点があるのだ。

 この場を拠点にする事ができれば、それだけでかなり有利に事を進めることができるのが強みだ

ろう。


「ぬ……っ」


 魔力の揺らぎを感知し、槍士は即座に魔力遮断を行いその場を離脱する。その後ろを不可思議な

物体……監視用の使い魔が追ってくる。かなりのスピードを出して屋根を伝っているが、それにつ

いてくるとはかなり性能の良い使い魔のようだ。

 このままでは撒ききれないと槍士は悟るが、ここで魔力遮断を解除して迎撃してしまえば相手に

自分の顔を割られてしまう。どうしたものかと、槍士は思案する。

 不意に、追ってくる使い魔が消滅した。そちらを見ると、使い魔の代わりに二匹の黒い物体が飛

んでいる。


「けっ、弱すぎるぜ。俺を満足させてくれる奴はいねぇのかっ!」


 ムニンとフギンであった。情報収集を終え、主人である槍士の元に戻ってきたらしい。


「何か情報は手に入れたか?」


「いんえ、これといった事はないですよー。そんな一日じゃ大した情報も手に入りませんがな」


「それぐらい察しろ、ボケ!」


 相変わらず反抗的な態度を変えないムニン。それいため息をつきながら、ああいった使い魔を飛

ばしてきた事から、柳洞寺には確実にマスターとサーヴァントがいる事が分かった。それだけでも

収穫と言えば収穫だろう。


「あ、柳洞寺にいるのはキャスターのサーヴァントみたいのようでっせ」


 ……訂正。それなりの収穫を得れたようだ。これ以上動けば、正体がばれる恐れがある為槍士の

情報収集はこれで終わりを告げた。



[Interlude out]




「今日の授業はこれで終わりだ」


 とんとん、と教材を並べ教卓で揃える倫理教師、葛木宗一郎。無表情以外の表情を誰も見た事が

ないらしい。それに、士郎が言うには葛木はテスト問題に一文字だけミスがあったのを見逃さず後

日再試験を行ったという。今時珍しいほど真面目な教師だ。


「このままホームルームを始める」


 葛木は俺達3−Aの担任でもある。こういう時は最後の授業が倫理で良かったと思えてしまうか

ら人間の心というのは分からないものだ。

 と、廊下から騒がしい地響きが聞こえてくる。この学校で地響きを鳴らしながら廊下を走る教師

なんて俺が知るには一人しかいない。


『それじゃ今からホームルームを……!』


 始める〜とか言う声はドゴン、と言う何かを殴打したような音の前に消えた。恐らく喋っていた

であろう3−Bの生徒達が静まり返ったのが分かる。でも、俺達には関係ない事なのだ。

 例え彼女が封印から解き放たれようが……。


「……以上だ。では号令」


「起立〜」


 いつの間にか連絡事項を言い終えたのか、三枝さんの号令で全員が立つ。俺も遅れて立ち上がる。


「れ……」


『タイガーって言うなぁぁぁぁぁぁぁっ!!!』


 ついに封印された虎が開放された。しかし3−Aの面々には関係なし。勿論俺も。だっていつも

の事だし。


(さて、夜までどうするかな……? 令呪を隠す為の手袋はつけてあるし)


 今左手には手袋を嵌めている。尤も、嵌めていると言っても見た感じはほとんど素手にしか見え

ない。魔力遮断用の手袋で、同業者にばれないように作られているのだから当然だろう。今は亡き、

母さんの形見の一つだ。


(やっぱり、どっかに隠れるかな……)


 でも、どこに隠れるべきか……。選択肢的には三つしかないんだよな……。


1.弓道場に隠れる

2.体育館に隠れる

3.教室に隠れる


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