Fate/snow night 雪降る街の幻想曲





八章 桜の危篤、暗殺者の襲撃





「ただいまー……あーさぶさぶ」



 イリヤと別れた俺は真っ直ぐ衛宮家へと戻った。寒い日に長時間外になんぞいたくもない。衛宮家に戻ってす

ぐ、居間へと向かう。居間に入ると、藤村先生と桜ちゃんを除いた全員が揃っていた。二人はどうやら俺がイリ

ヤと話している間に帰ったらしい。



「寒い寒い……士郎、熱い緑茶くれぇ」



 炬燵に潜り込んで、士郎に緑茶を催促。即座に注がれた緑茶を受け取り、啜る。苦味がしみこんで、熱さが身

体の中から寒さをやわらげていく。やはり緑茶は素晴らしい。ビバ緑茶。



「にしても、遅かったわね相沢君。寄り道でもしてたの?」



 唐突に遠坂から話しかけられて咽る。いきなりだったから、焦った。ここで正直にバーサーカーのマスターの

イリヤとのんびり世間話してました、てへ。なーんて行った日には、きっと俺はセイバーと遠坂の二人に吊るさ

れる事だろう。

 そんなのは嫌だ。セイバーはともかく、遠坂にされたらガンドでも打たれかねない。



「けほ、ちょっとだけな。コンビニで立ち読みとかしてた」



 何読んでたの、と遠坂が問いかけてくる。普通の雑誌、と答えようとして俺の脳裏にずびっと稲妻のように啓

示が下った。ここは普通に答えてはつまらないぞ、からかいの状況が揃っているではないか。琥珀さんならばこ

こでずばずばっと切り込んで行くぞ。

 俺は一体何という愚行を犯そうとしていたのか。これでは同じからかい仲間である琥珀さんに、申し訳が立た

ない。相沢祐一、行きまーす。



「あぁ、エロ本」



『んなっ!?』



 遠坂だけでなく、士郎までもが反応を示す。セイバーだけは分からなかったようで、ハテナ顔であった。遠坂

と士郎、二人の顔が徐々に赤くなっていく。予想以上の成果を上げた、この言葉。いやぁ、これだから人をから

かうのはやめられない。

 そしてセイバーは士郎にエロ本とはなんなのかと、何も知らない子供のような表情で聞いていた。それで士郎

の表情がさらに赤くなっていく。思わぬところで伏兵が参戦してくれていた。



「え、エロ本って何見てんのよアンタ!」



「いや、思わずな。最近見てなかったし、ここいらで一つ心の休息を得たかったんだ」



 エロ本を見て心の休息など得られるのかどうかは知らないけど。俺の本当の休息の取り方は、緑茶を呑んだり

睡眠を取ったりパソコンをしたりする事だ。少なくともエロ本を見てるともやもやしてくる。



「シロウ、だからエロ本とは何なのですか」



 むっとした表情で士郎に答えをせがむセイバーだが、士郎はそんなの答えられるかっと吼えた。そんなに聞き

たいのなら、祐一に聞けと俺に振る。完全に沈黙してしまった士郎から、俺へと視線を向けるセイバー。知識の

補給に従って、セイバーが俺にエロ本とは何ですかと視線で問う。



「エロ本っていうのはな、男の浪漫なんだよ」



 北川ならきっとそう言う。そして香里とかに殴られるんだろう。俺もしょっちゅう殴られてるけど。……虐待

なんじゃなかろうか。



「男の浪漫……ですか?」



 良く分からない、といった表情のセイバー。



「ま、分かりやすく言うと性欲を高める為の卑猥な本だって事さ」



 なっ、とセイバーが驚きで沈黙。うーむ……思わず本当に教えてしまったけど、セイバーに教えても良かった

んだろうか。すんげー嫌な予感がひしひしと感じられるんですが。

 例えるなら、琥珀さんの遠野家地下王国に志貴と一緒に落とされた時、もしくは秋葉ちゃんに胸の話をした時

の状況の予感と酷似している。……もしかして祐一さん、ぴんちですか?



「あのー……セイバーさん?」



「……何でしょうか?」



 一瞬遅れてセイバーが反応する。それにリンクするように、頭頂部に飛び出ているセイバーのクセ毛がぴょこ

ぴょこと動いた。そしてセイバーの周りから妙な威圧感がこう、ひしひしと居間に重みをもたらしていく。俺の

顔を、冷や汗が伝う。



「いや、もしかして怒ってたりするかなー……なんて」



 とりあえずこれ以上セイバーの逆鱗に触れないよう、言葉を選んで喋る。策士、策に溺れるという諺が脳裏に

過ぎった。からかいもやりすぎると身の破滅を呼ぶ。俺と琥珀さんには身に染みて分かっている事だが、それで

も止められない。それがからかいと言う名の麻薬なのだ。



「いえ、それが正常なこの時代の男子のあるべき姿なのでしょう。それを私がどうこう言える筋合いはありませ

ん」



 どうやら、俺の命の危機は脱した様子。やりました、琥珀さん。祐一さんは見事、危機から脱して――――



「が、やはりそのような不健全な物を読んでいるというのは、看過できるものではありません。ユウイチ、貴方

のその趣向、私が矯正してあげましょう」



 ――――って、危機脱しきれてませんかーーーーーー!? セイバーの周りに物凄い勢いの風が吹いているよ

うな気がするのは、気のせいでしょうか先生。そして士郎と遠坂がとばっちりを喰らわないように、静かに俺か

ら離れているのは、友人としての裏切り行為だと認識してもいいのだろうか。

 死なば諸共、遠坂は無理でも士郎だけでも巻き込んでやる。これが俺と琥珀さん、双方が往生際の悪さの果て

に辿り着いた、はた迷惑な他者巻き込み戦術だ。



「セイバーっ、俺だけじゃない。きっと士郎もエロ本ぐらい隠し持っている筈だっ!」



「ぶっ……!?」



 俺から離れて安心しきっていた士郎が吹き出す。その士郎に向かって、俺はニヤリと出来るだけ悪く見えるよ

うに笑みを浮かべてやる。それで俺が何をしたかったのか瞬時に悟った士郎は、顔面を蒼白に。



「……ほう? シロウもですか。丁度良い、一緒に矯正してあげます。さぁ、道場へ行きますよ」



 二人の襟元を掴んで、セイバーが引き摺るようにして俺達を道場へと連れて行く。ふ、ふふふ……久しぶりに

自分の撒いた種で失敗したぜ。俺もまだまだ未熟者だという事か。

 同じように横で引き摺られる士郎の非難の視線を感じながら、俺は自分の未熟さを噛み締めていた。俺達の後

ろから遠坂もついてきて、道場につく。俺達を放り出したセイバーは、奥にしまわれていた竹刀を手にして戻っ

てくる。そして俺達の前で構えを取った。



「さぁ、鍛えなおしてあげます」



 眼が本気である。俺と士郎の怯える子羊達は、へっぴり腰で逃げ出そうとするが……そんな事、目の前にいる

怒れる剣の騎士様を相手にして、出来るわけがなかった。動き出そうとする前に、セイバーの神速の剣が俺達に

襲い掛かってくる。

 スパァン、と景気の良い音が俺と士郎の頭部から発生。それと同時に物凄い衝撃が頭を通り過ぎた。



「〜〜〜〜〜ってぇぇぇぇぇぇ!?」



「ほ、星が見えたスター!?」



 謎の奇声を上げる士郎。そして頭頂部を襲う猛烈な痛みに耐えるため、蹲りながら俺は頭を押さえる。傍観者

と徹している遠坂が、うわぁと痛そうな顔でこちらを見ていた。

 にしても……しゃ、洒落にならんほど痛い。今ので俺の頭の細胞が、いくらから死んだんじゃないのか。未だ

に痛みが引かない頭を押さえて、立ち上がる。横で悶え苦しんでいた士郎も、唸り声を上げながらしっかりと両

脚で立つ。



「ちょ、セイバー……今のは洒落にならない……!」



 抗議の声を上げるのは士郎だ。しかし、今のお怒りセイバーに言葉が通じるとは思えん。この戦闘力は、胸の

話をした時の秋葉ちゃん以上。勝てる見込みがまったく見えない……、助けてマジカルアンバー!



「黙りなさいっ。問答無用に叩きのめしてあげます」



 ふふふと、楽しそうに笑みを浮かべるセイバー。うーむ……俺と士郎ばかりがこう、不条理な暴力に屈し続け

るのも癪に障るな。出来れば後一人ぐらい、巻き込みたいところだ。



「……凛、あの三人は何をしているのかね」



 唐突に聴こえる男の声。いつ来たのか、屋根の上で見張りをしている筈のアーチャーが遠坂の隣で呆れた表情

を浮かべていた。服装もいつもと変わらず、赤い外套を羽織ったまま。いつ見ても渋い兄さんに見える。

 遠坂から事情を聞いた様子のアーチャーは、深い溜息をついたのが見えた。次の瞬間には、再び俺の頭に鋭い

痛みが走ってそんなもの気にする余裕がなくなる。横で俺と同じ体勢で士郎が悶えていた。



「立ちなさい。まだ終わりではありません」



「セイバー、その辺にしておいたらどうかね。そのままだと、祐一も衛宮士郎も頭が使い物にならなくなるぞ?」



 愉快そうな表情を浮かべて、アーチャーがセイバーを宥める発言をする。それにむかつくような表情を見せる

のは、士郎。むっとした表情でアーチャーを睨みつける。その視線に気付いてるだろうアーチャーはくっと、く

ぐもった笑いを浮かべた。

 コミカルな表現をするならば、士郎の頭には#マークがついているのだろう。その士郎の顔が唐突に、こちら

へと向く。振り向いた士郎の表情が、俺に何かを必死に語りかけていた。



「……………」



「……………」



 俺と士郎の視線が交差する。それだけで俺は士郎が何を言いたいのか、理解した。全て承知した、という意味

を込めて力強く頷く。自分の意志が伝わった事を確信した士郎は、普段ならば浮かべないだろう黒い笑みを全開

で浮かべた。それと同じぐらい同じ笑みを、俺もする。

 向かい合って笑っている俺達を見て、セイバーが怪訝そうな表情を見せるが知った事ではない。俺達はさらに

哀れな子羊ちゃんを一人増やす為に、一致団結しちゃったのだ。



『セイバー、きっとアーチャーもそういうモノには興味あるに決まってるっ。叩き直すならアーチャーも一緒に

するべきだっ!』



「ばっ……い、いきなり何を言い出す貴様ら!?」



 驚異の長文シンクロを果たす俺達の言葉に、アーチャーが思いっきり焦った表情をする。俺達にターゲッティ

ングしていたセイバーの視線が、ぎらりとアーチャーを貫く。明らかに冷静な判断を下せていないセイバーの絶

対零度の視線を受け、びくりと体を震わせる赤い人。殺気とは違う威圧感を受けてアーチャーは顔を引き攣らせ

た。



「ま、待てセイバー。君は少し冷静になるべき……」



「十分冷静です、アーチャー。……逃がしませんよ?」



 めでたく哀れなる子羊ちゃんが一名追加され、お怒りを撒き散らす将軍様セイバーの餌食となるのでした。それにして

も、やっぱりセイバーの一撃は痛い……。



「な、なんでオレまでこんな目に……」



 セイバーの扱きが終わり、俺の横で倒れていたアーチャーの呟きが気が遠くなりかけた耳に聴こえてきた。

 暫くしてから、道場で死骸になっていた男三人は復活を果たす。俺と士郎は居間へ、アーチャーは監視の為に

屋根上へと戻る。未だに痛みが残る部分を軽く擦りながら、セイバーに恨みがましい視線を寄越す。



「まったく、ただの冗談だったのに。死ぬかと思ったぞ」



「自業自得です」



 ぷりぷりと怒るセイバーに、苦笑する。からかいの後の報復には慣れているつもりであったが、流石というか

なんというか、やはり相手はサーヴァント。その報復の威力も半端ではない。これからは気を付けないと、本気

で頭が凹む事になりそうだ。俺と同じ目にあった士郎は、もう勘弁してくれとばかりにテーブルに倒れ伏して死

んでいる。暫く起き上がれないだろう。

 笑いながらそれを監察していると、昔ながらの黒電話がじりりんと鳴り出す。この時間に電話が鳴る事は、結

構珍しい。



「…祐一、頼む。今は起き上がれない」



 完全に色彩が消えた声色で士郎が喋る。燃え尽きたのかジ○ーとボケをかまして、ある意味貴重といえる黒電

話の受話器を取る。



「はい、あい……じゃない、みな、でもない、衛宮です」



 いつものクセで相沢と言いそうになるのを慌てて言い繕い、次に出たのは水瀬という言葉。少し前まで水瀬家

で電話を取っていたので、仕方ないと思う。内心まずったなぁと思いながらも、衛宮の家の者として電話を取り

次ぐ。



「――――相沢祐一、か」



 電話口から聞こえた声に、体が強張る。この妙な威圧感を持つ、独特の声は……



「……こんな時間に何の用だ、言峰綺礼」



 相手は教会の神父であり、聖杯戦争において監督役を務める男、言峰綺礼。まったく予想もしていなかった相

手だけに、驚きを通り越して頭が冷えた。いや、俺がこの男に対してだけ冷めているのだろう。俺が口にした名

前を聞き、士郎達三人の視線が集まる。



「安心しろ、今はお前に用はない。貴様の心の傷を開くのはまたの機会だ」



「はっ、他人のトラウマを無理矢理暴いて何が楽しいんだか。アンタのする事はまったく理解できないよ」



 口を開けば罵詈雑言、といった具合に俺と言峰の会話は売り言葉に買い言葉。俺が一方的に言峰を敵視してい

る為に、俺達はまともに会話を成立させる事が出来ない。こちらとしては、成立させるつもりなんぞ欠片も持ち

合わせていないが。



「で、何の用だ。俺を苛々させたいだけか?」



 この電話での会話を早く打ち切りたいが為に、どうしても喧嘩腰になる。こんな姿、名雪達が見ればどう思う

んだろうか。意外だと、言うかもしれん。

 俺の言葉を聞いた言峰はくつくつと笑い、いや、とそれを否定する。



「衛宮士郎や凛に話があってな。明日の昼二時すぎ、深山商店街の泰山という店に来いと伝えろ。お前に関して

は、来るなり来ないなり好きにして構わん」



 重苦しい声のままで、言峰は切って捨てるように言う。言峰の話に出てきた、泰山という店の名前に聞き覚え

はない。士郎達が行くなら、俺も行った方がいいだろう。こちらの答えを待っていた言峰に了解と答え、叩きつ

けるようにして受話器を置く。

 険しい表情をしているの自覚しつつ、炬燵へと戻る。



「言峰の奴、何だって?」



 起き上がって復活した士郎が、電話の用件について聞いてくる。



「なんか遠坂と士郎二人に話があるから、明日の昼二時すぎぐらいに深山商店街の泰山……っていう店に来いだ

ってよ」



 その店の名前を口にしたら、遠坂と士郎の二人がぎちっと固まった。信じられないものの名前を耳にした、と

も言わんばかりに。とりあえず目の前で手などを振ってみて、動き出すのを待つ。数秒経ってから、二人は漸く

再起動を果たす。



「どうしたんだ、二人とも?」



 妙に青い顔をしている二人に尋ねてみるが、帰ってくるのは沈黙のみ。何か相当やばいものでも出している店

なんだろうか。例えば、琥珀さん印の調味料やら薬物が使用されている店だと予想。予想開始五秒も経たぬ内に

寒気と恐怖が背筋を襲うので思考カット。洒落にならないので、考えない事にする。



「アイツと会うのは正直気が進まないけど、俺もついていくぞ。話ってのが気になる」



 話を元に戻すと士郎と遠坂も気を取り直して頷く。セイバーも同行すると思いきや、俺と遠坂がいるなら大丈

夫だろうと、一人、家に残ると言う。殿は任せて下さい、とも言わんばかりの言葉に頼もしさを感じた。



「相沢君って、綺礼のこと本当に毛嫌いしてるわよね。士郎も似たり寄ったりだけど」



 私もあんまり好きにはなれないけど、と漏らす遠坂。俺が言峰を毛嫌いしている、か……確かにそういう風に

見えるかもしれない。毛嫌いというより、何を考えているのか分からずアイツの在り方に反感を持っているとい

うのが正しいだろう。それに……



「理由は分からないけど……言峰綺礼と対峙すると、俺の中の退魔衝動が激しく疼くんだ。アイツは、人間の筈

なのに……」



 俺の言葉を聞いた士郎達は、怪訝そうな顔をする。俺にも答えが分からない、言峰に退魔衝動が反応する理由。

全員、不可解に思いながらもその日は眠りについた。







 翌日の土曜日。聖杯戦争が始まって今日で六日目。昨日の電話の用件を聞く為に、俺達は待ち合わせ場所に指

定された泰山という店の前にいた。時刻は二時少し前。学校は平常通り行うというわけにはいかず、生徒全員に

注意を促すと同時に、再発防止の為の協力を教師陣が仰いでいた。

 ライダーの宝具によって破壊された箇所の修理は、二日ほどで終わるらしい。異例の速度だと思うが、魔術協

会の息がかかっているのなら、話は別だ。破壊された場所の修理が終われば、またいつも通り授業が行われる。

久瀬は無事か、と少し不安になって探したがなんてことはない、特に怪我などはなかった。安心し、俺は士郎達

と一緒に今、ここにいる。



「へぇ、中華料理屋か。そういや、昼飯食べてないから腹減ったな……」



 紅州宴歳館『泰山』と銘打たれた看板を目にし、空腹を自覚させられる。あんまり外食などする機会がない(

前は秋子さんが、今は士郎が夕飯を作ってくれる為)ので、いい機会かなーと思い入って何か頼もうと考えてい

たのだが、



「祐一、それだけはやめておいた方がいい」



「士郎の言う通りよ、相沢君。ここでは、香辛料を使った類の注文、特に麻婆豆腐は頼んじゃダメ」



 なんて、鬼気迫る表情で俺に詰め寄ってくる二人。あまりに真剣に止めてくるので、この店そんなにやばいん

だろうかと怖くなってきた。心なしか、赤いオーラが店から立ち上っているように見える。



「…っ」



 生唾を飲み込み、覚悟を決めて二人と一緒に泰山への扉を開く。いらっしゃいアルー、などとかなりコテコテ

な中国人の喋り方をする小さな店員の姿を視界に収め、言峰の姿を探す。そして、奥にその姿を確認できた。

 ただ、言峰の座る机の前には湯気を立てる赤い赤いナニかが鎮座していた。



「―――む、来たか」



 レンゲでそのナニかを掬いながら口に運び、その顔を大量の汗で濡らした言峰が俺達に気付く。立ち止まって

いては店の迷惑になるので、士郎達を伴い言峰の対面へと座る。その間、レンゲは一時も止まる事なくナニかを

掬い続けて口に運んでいた。

 現実逃避はよそう。奴が口にしているのは中華の中でも、尤も知られている豆腐を使った四川料理、麻婆豆腐

である。ただ、麻婆豆腐にしては赤い、赤すぎる。いや、麻婆豆腐は赤いものなんだが、それとはまた違った次

元の赤さというかこれは赤すぎないかと考えるんだがでも赤くなかったら麻婆豆腐じゃないと思うけどかといっ

てこの赤さは異常だろう言峰……。



「―――――――――」



 毒々しいまでに赤い麻婆豆腐も残り五口ほどの所で、レンゲの動きが止まる。光のない重苦しい瞳が、俺達を

射抜く。レンゲに掬われた麻婆豆腐を掲げながら言峰は、



「――――食べるか?」



『食べるか――――!』



 異口同音で遠坂と士郎が叫ぶ。微かに眉を顰めて、その麻婆豆腐を口にする。その視線が、叫ばなかった俺へ

と向けられた。



「……食べるか?」



「……くれるならもらおう」



 脇に設置されてあるレンゲ置きからレンゲを取る。俺の返答を聞いた拒否組二人は、信じられないモノを見た

かのような目で俺を見ていた。正直、この血のように赤く染まったブツを口にするのは憚られる。だが、俺の中

の好奇心が疼いているのだ。これで俺が倒れようとも、好奇心を見たせられるのなら本望……だといいな。



「……っ」



 レンゲの中に湯気が立ち上る麻婆豆腐の姿。かつて、食事に対して冷や汗を流すほどの恐怖を覚えた事があっ

ただろうか? そんなのあるわけ、と考えて水瀬家であったと思いなおす。コイツは、秋子さんのジャムと同じ

ぐらいやばい感じがする。……もしかしてこれ、劇物なんじゃないんだろうか。



「……あぐ」



 覚悟を決めてレンゲを口の中へと突っ込む。咀嚼して舌で味わってみるが、特になんか変になるとかそんな事

はなか…………………………



「ぶはっっっっっ!?」



 舌で暴れる味覚破壊最終兵器。辛いとか言う次元じゃない、痛い、痛すぎるっ。ざくざくと串刺しにされてい

るかのような痛みが、舌に走る。すぐさま水を飲んで対処を試みるも、あまりの辛さに水を飲んでも逆効果。痛

みが余計に増えてしまう。



「ひっ、ふ……ふっ…はひぃ」



 もういっそ殺してくれ、と言いそうなほどに辛い。目からはだくだくと涙、汗は絶え間なく吹き出て顔を濡ら

していく。味など感じることなく、何かを食べたという感覚がまるでない。



「だから止せって言ったのに……」



 机に倒れ伏す俺を憐憫の眼差しで見る薄情者しろう。まさか、本気で劇薬クラスの食べ物だとは本気で思わなかった

のだから仕方ないだろう、と言い返したかったが無理な話。俺が一撃でダウンさせられた劇薬を、言峰は顔色一

つ変えず食べつくした。



「……さて、凛と衛宮が揃った所で話を始めるか」



 あれを食べつくして、涼しい顔をしている言峰は人間じゃないと思う。両手を組み、肘を机に置いた状態で言

峰は俺達をここに呼んだ訳を話し出す。



「ある程度予想はついているとは思うが、今回の聖杯戦争はどうにもおかしい。ありえないものが動いている気

がしてならん」



 言峰の言うのは、俺とランサーが遭遇したあの黒い影のことだろう。さらに、本来聖杯戦争に参加するサーヴ

ァントの数は七。だが、俺のランサーは八体目。召還されたわけじゃなく、前回の聖杯戦争から現界し続けてい

るイレギュラーだ。……聖杯戦争のルール、意味をなしてないな。



「そうね。相沢君が遭遇したっていう、謎の影が一番のキーポイントだと思う」



「影……だと?」



 言峰は遠坂の言葉に眉を顰める。詳しく話せと、影に関する情報を遠坂に聞く。と言っても、あれに関して分

かることはほとんどない。とてつもなく昏い暗い恐怖と、純粋な殺意を持つこと、さらに人間だろうがサーヴァ

ントだろうが、あれに触れてしまえば生き残る事は不可能だとランサーは言っていた。それに嘘は無い。

 そしてあの影は、聖杯戦争に関わる者全ての敵、ということがはっきりしている。



「恐怖の集大成のような奴だな、それは。ふむ……その影といい、アサシンといい、今回の聖杯戦争は呪われて

いる言っても過言ではないな。いや……元々呪われた殺し合いだったな、この儀式たたかいは」



 言峰の言葉には同意できる。この魔術師と英霊が殺しあう戦争は、最早ただの呪いの具現でしかない。傍観者

という立場で見れば、これほど馬鹿げたものはないだろう。

 にしても今の言峰の言葉、何か変だった気が。影はまだいい、だけどアサシン……?



「おい言峰、アサシンが何かあるのか?」



「いや何、少し不可解な事があってな。早期の段階で柳洞寺にてアサシンは召還されていたのだが、数日前に二

体目のアサシンが召還されたのだ。最初のアサシンは既に消えている」



 柳洞寺にアサシンがいた……だと? 柳洞寺にはキャスターが陣取っていて、根城にしているとフギンとムニ

ンの調査で分かっている。なら、キャスターとアサシンのマスターは協力関係にあった……? だけど、アサシ

ンが新しく召還されたっていうのは、どういう事だ。

 いや、そもそも何で言峰はそれを知っているんだ。



「綺礼、アンタなんでそんな事知ってんのよ。それにさも見たかのように言って……」



「簡単な事だ、私のランサーが新たに召還されたそのアサシンに倒された。その死ぬ間際のランサーの映像が、

私に送られただけの事だ」



 と、言峰はとんでもない事をさらりと告げた。何を言われたのか、最初は理解出来ずに呆然と言峰の顔を見つ

めていた俺達だが、その言葉の意味を理解し言峰を睨むように……いや、睨みつける。



「おい、アンタは聖杯戦争の監督役じゃなかったのか。それがマスターだったって、おかしいと思うんだけど」



 視線を険しくして、言峰を睨む士郎。その視線を受けても、言峰は眉を動かしすらしない。そうして言峰は淡

々と語りだす。ランサーのマスターであった人物を闇討ちし、ランサーの令呪を腕ごともぎ取った事や主の変更

を令呪によって無理矢理賛同させ、さらに全てのサーヴァントに関する情報を集めさせた事など。そして、その

ランサーが脱落した事。

 コイツのやった事は許せることではない。だが、過ぎてしまったことを責めても時間が戻るわけじゃない。少

なくとも、新しく情報が入っただけでも良しとしよう。後でランサーにもこの事を伝えなければ。



「それと、間桐の事だが。間桐慎二の裏にいる間桐臓硯という翁には気を付けろ。あれは最早、人の生き血を啜

るだけの吸血虫だ。裏で手を回し、必要とあらば直接手を下そうとするだろう」



 重苦しい表情をさらに険しくし、言峰はそう言い切った。それは、間桐臓硯という人物に対しての明らかなる

敵意。ここまであからさまな敵意を見せる言峰は初めて見る。ふと、俺はここで初めて言峰が普通の人間らしい

感情を見せた事に気づく。当たり前だ、言峰は人間なのだから人間の感情があるのは当然のこと。

 だが、それが意外だった。この人間らしくない男が、そこまで毛嫌いする人物とはどういう輩なのか。



「間桐臓硯は夜にしか姿を現さん。人の血を啜り、その肉体を変貌させ数百年を生きる代償に、日の下に姿を現

すことができなくなった妖怪だ。もしやすると、アサシンの件に関してあの老人が絡んでいるかもしれん」



 仮定で話を進める言峰であるが、その口調とは裏腹に間桐臓硯がこの聖杯戦争に絡んでいるのを確信している

かのような表情をしている。



「……お前達の情報提供に感謝する。その影や、二体目のアサシンなど今回の聖杯戦争は既に狂っているようだな。監

督役として、被害の拡大に備えておこう」



 そう言い、言峰は口を噤んだ。もう語ることはない、という事らしい。誰も何も喋らないので、俺は気になっ

ていた事を言峰に問いただした。



「言峰、お前はなんでマスターになった? 監督役としての領分を越えてるだろう。それも、他のマスターを闇

討ちしてまで。そんなに聖杯が欲しかったのか?」



 静かに言峰は閉じていた目を開く。その瞳はやはり、重苦しい光を灯したまま俺を見据える。生気というもの

を感じさせないその目で見つめられ、背筋に寒気が走った。



「何、別に聖杯なぞ欲してはいない。ランサーを得たのは、良き願望を持った者に聖杯を与えたかったからだ」



 おかしなことを言う。良き願望を持った者に、聖杯を与えたい……何の為に? そんなわけの分からない事の

為にランサーを手駒にしたっていうのか、この男は。それに、良き願望っていうのは何なんだ。人の願いなんて

ものは、他人には分からないものだというのに。



「まぁ、それも終わりだ。後はマスター同士で決めることだが、私としてはお前達のいずれかに聖杯が与えられ

れば良いと思っている」



 俺達……いや、言峰は俺がマスターだとは思っていない。だから、今の言葉は士郎と遠坂に宛てたもの。コイ

ツは士郎か遠坂、そのどちらかが聖杯を手に入れろと言っている。言峰の言う、良き願望の持ち主がこの二人の

ことなのだろうか。



「言峰、お前―――」



「はい、麻婆豆腐お待たせアルー」



 どどん、と大皿の麻婆豆腐が二つ言峰の正面に置かれる。無言で新たなレンゲを手にして、言峰はまたも赤い

劇薬を高速で口にし始めた。かっかっ……とレンゲが皿にぶつかる音が響く。それを呆然と見つめる俺達の視線

に気付いた言峰は、麻婆豆腐をレンゲで掬い上げて、



「食うか――――?」



『食わない』



 今度は三人揃って拒否する。麻婆豆腐を食べることに集中し始めた言峰を残して、俺達は無言の帰宅をした。







 職員会議で忙しいらしい藤村先生のいない夕食後に、事件は起こった。

 皿洗いを桜ちゃんと士郎に全部任せるのもどうかと思ったので、俺は二人の代わりに片づけをしていた。士郎

は桜ちゃんに風呂を勧め、遠坂達と一緒にテレビを眺めている。

 ブラウン管から流れてくる人工の音に紛れて、何か鈍い音が聞こえた。何か落ちたのか、と辺りを見回してみ

るが特に変化はない。考えると音は遠くから響いてきた感じだったので、別の場所での出来事だろう。



「今の物音、風呂場の方から聞こえてきました」



 セイバーの言葉に、士郎は顔色を変えて居間を飛び出していく。風呂場には桜ちゃんがいたはず……という事

は、桜ちゃんに何かあったのか……? 俺もすぐさま士郎の後を追う。

 脱衣所に入ると、桜ちゃんを抱きかかえている士郎の姿。抱きかかえられている桜ちゃんの服は、水を被った

のか肌に張り付いて透けていた。見ているのは悪いと思い、視線を逸らす。



「さくらっ、大丈夫か?」



 呼びかけながら士郎は軽く頬を叩く。その呼びかけに微かに意識を取り戻す桜ちゃんだが、動くことはままな

らない様子。士郎に客間に運ぶよう伝え、居間へと戻る。冷凍庫から氷を取り出し、氷嚢に詰めていく。桜ちゃ

んの顔は熱を帯びたように真っ赤になっていたから、冷やす必要があるかもしれないと思っての事だった。

 客間へ行き、ベッドに寝かせている桜ちゃんの頭と枕の間に氷嚢を差し込む。心配そうにそれを眺めている士

郎に後を任せ、俺は再び居間へと戻った。



「……桜、どうしたの?」



 心配そうな声色で遠坂が尋ねてくる。どうしたの、と問われても答えようがない。夕食まで桜ちゃんはいつも

通り元気そうだった。無理をしている様子もなく、至って健康そうだったのだ。



「分からない……まぁ、そんなに心配する必要はないと思う。今は士郎が桜ちゃんの傍についてるから、そっと

しておこう」



 見た感じ、それほど重症ってわけでもない。冷静になってみると、風呂に入った後だったならのぼせただけっ

てことも考えられる。それなら、そこまで心配することはない。遠坂をちらっと見ると、表情を険しくして何か

考え込んでいる。



「どうかしたのか、遠坂?」



「……ぅぇ? な、何でもないわ」



 あからさまな空笑いを浮かべる。あははは、と誤魔化すように笑いながら茶を一気に飲み干した。追求したら

聞き出せそうだけど、やめとくか。無理に人の秘密を暴くのは褒められる事じゃない。

 無言のまま、かちかちと時計の針が動く音だけが居間に響く。廊下の方からとんとんと、ゆっくり足音が近づ

いてくる。振り向けば、桜ちゃんを支えながら士郎が立っていた。



「桜ちゃん、大丈夫か?」



「あ、はい……ちょっと、お風呂でのぼせちゃって……あはは」



 恥ずかしいです、と照れ笑いを浮かべる。無理しているのがばればれなのに、それを見せないよう健気に振舞

う桜ちゃんに苦笑を浮かべようとして、俺は唐突に背筋に悪寒を感じた。何か、得体の知れない恐怖を、目の前

にいる桜ちゃんから感じたのだ。あり得るはずがないのに。



「士郎、桜ちゃんを送るつもりなら俺も行こう。一人より二人っていうだろ」



「あぁ、頼む」



 士郎は素直に俺の申し出を受ける。遠坂とセイバーも一緒についていくと言い出すが、士郎は女の子に夜道を

歩かせるわけには行かないだろ、という優しさ大爆発の言葉を紡ぐ。とりあえず、遠坂とセイバーなら夜道で変

態が襲い掛かってきても、返り討ちにすると思う。むしろ二人を標的にする奴が可哀想だ。



「……はぁ、分かったわよ。私達は家で待ってるわ」



「シロウが一度言い出したら聞かない事は良く分かりましたから……」



 私、呆れてますといった溜息を同時につく。そんな二人の様子に士郎はむっとして、半目で二人を睨む。しか

し、何か言いたいが反論出来ないといった心境なのだろう。憮然とした表情でため息をついた。

 そんな三人を見て、俺と桜ちゃんは顔を見合わせ苦笑する。士郎が桜ちゃんに肩を貸しながら、俺達は間桐家

に向かって家を出た。その時には、桜ちゃんに対して感じていた得体のしれない恐怖はなくなっていた。

 衛宮家を後にして、俺達は桜ちゃんの体調を心配して夜道をゆっくりと歩く。桜ちゃんの状態もだいぶ良くな

っているが、無理は禁物だ。栞の場合だって、風邪を引いたら命に関わったからな。



「無理するなよ、桜」



「はい……家に帰ったらすぐに横になります」



 家……間桐の家か。桜ちゃんの兄、間桐慎二は危険だ。一般人がいる場所に、平気であんな倫理を無視した結

界を張る事をする。遠坂によると、学校に結界を張ることはもう出来ないらしいが、あいつなら人を襲うくらい

なら簡単にしそうだ。その時、俺達はどうするのだろうか。



「なぁ、桜……慎二は、どうしてる?」



「兄さん、ですか? ……家の中で部屋に閉じ篭ってます。何かぶつぶつ言ってて、怖くて。家の中でも会う事

はほとんどないんです」



 恐らく、聖杯戦争の情報収集か作戦を立てているんだろう。案外、考えているのかもな。もしくは、ただ怯え

ているだけか。どちらにせよ、間桐の家に立て篭もられては迂闊に手が出せない。もし、何も考えず全てを『消

滅』させるだけなら簡単だ。だけど、その選択肢だけは選びたくない。

 出来る事なら、聖杯戦争を降りてもらいたい。



「そっか。桜、最近の慎二はどこか変だから注意してくれ。あいつ、桜にまで手を上げるかもしれないから」



「……はい。分かりました先輩」



 確かに、注意した方がいいだろう。間桐がキレたら何をしでかすか分からない。下手をすれば、桜ちゃんを人

質にして、俺達に手出しできないようにする事も考えられる。可能性が低いとは思うが。



「しっかし、何か最近も物騒だよなぁ。水瀬家でほのぼのとしてたのが夢みたいだ」



「あはは……。でも、私はその物騒なお蔭で相沢先輩に会えたんですから、嬉しいですよ」



「う……うぐぅ、面と向かってそういうことを言われると困るぞ」



 本当にそう思っているらしい桜ちゃんの笑顔を直視して、俺は頬が熱くなるのを自覚する。赤くなった顔を見

られるのが嫌で、二人から顔を背けた。横から二人が笑うのが気配で分かり、余計に気恥ずかしい。くそ、何度

体験してもこういうのは慣れない。

 和気藹々と話していると、間桐家につく。初めて見る間桐家は、でかい屋敷といった感じ。ここに、言峰が言

っていた間桐臓硯がいる。既に人ではなくなったという、間桐臓硯という老人。言峰が嫌悪するほどの奴が、ど

んな人物なのか知りたい所ではある。

 しかし、今この場に出てくることは―――――



「――桜か」



「あ……お、お爺さま……」



「っ……!?」



 怯えるような桜ちゃんの声。それを心配する余裕もなく、しわがれた声を聴いた瞬間に湧き上がった退魔衝動

で息が止まる。心臓の鼓動が早まり、それに比例するように退魔衝動も強くなっていく。しきりに反応する退魔

衝動を抑え込み、理性を保つ。

 ゆっくりと小さく深呼吸をし、自身を落ち着かせる。



「……その二人は」



「あ……、私の学校の先輩で衛宮士郎先輩と相沢祐一先輩です」



「衛宮に相沢……なるほど、あの二人の倅か……



 何か小さく呟いたように聞こえたが、その詳細までは分からなかった。



「うちの桜が世話になったようじゃな。わしの名は間桐臓硯。衛宮君に、相沢君といったかな? 礼を言うぞ」



 好々爺らしい表情を浮かべ、間桐臓現は頭を下げる。俺と同じく、言峰に言われて警戒していた士郎は少々表

情を硬くしながらも、頭を下げた。



「いえ、当然の事をしただけですから」



 俺も表面上は笑顔を浮かべて喋る。内面では必死に退魔衝動に耐え、滲み出ようとする殺気を抑え込む。震え

てしまう利き腕を、片方の腕で掴んで止める。

 言峰が嫌悪する理由が分かった。この老人は、最早生きているモノではない。既に死んでいるモノ、腐り落ち

たモノ。人を食らう吸血虫……なるほど、確かにそうだ。この老人からは、腐敗した血の匂いしかしない。



「じゃあ、俺達は行きます。桜ちゃん、ゆっくり休む事が快復への近道だからな」



 士郎を促し、間桐家から足早に去っていく。間桐臓硯から離れていく毎に、疼き続けていた退魔衝動は治まっ

ていった。落ち着いていく鼓動を感じながら、あの老人とはいつか対峙する事になるだろうと予感する。一方は

退魔、もう一方は魔だ。俺にとって、間桐臓硯の在り方は容認できるものではない。

 アルクェイドや、シオンのような人に属する吸血鬼とは違う。完全なる、俺の敵。



(間桐臓硯……お前が俺の友人に害を為すのなら、その時は全力を以ってお前を滅ぼす)



 それを心に誓い、俺は夜道を士郎と共に去っていった。



[interlude 4−4]



 祐一達が去り、桜を家に戻らせた間桐臓硯は、祐一が歩いていった方向をじっと見つめていた。闇に濁った瞳

は、酷く疎ましそうなものを見つけたかのように揺れている。



「魔術師殺しの衛宮に、退魔の七夜と相沢の子倅か……また厄介なモノがいたものよ」



 呵々、と苦笑じみた笑いを浮かべる。その臓硯の言葉を聞きとめた存在が一つ。



「……臓硯、アイツが七夜の子供とはどう言う意味だ?」



 霊体となっていた臓硯のサーヴァント――アサシンが実体化する。視線は既に闇しか見えない、祐一達が去っ

ていった方向を見ていた。



「言葉通りじゃよ。魔術師の家系である相沢家に、退魔師の七夜一族当主の兄である男が婿入りしたんじゃ。母

の方は十年前の聖杯戦争で死んでおるがな」



 嘲りを含んだ臓硯の言葉に、アサシンは無言で返す。無表情で闇を見つめ続けるその顔からは、何を考えてい

るか察することが出来ない。その蒼く不気味に光る瞳に、狂気が宿り始める。



「あの子倅は魔術の才能がなく、相沢の落ちこぼれらしいが……それでも、退魔の七夜としては一流。警戒する

に越したことはない。……どうした、アサシン?」



 口元を歪めるアサシンを見て、臓硯は顔を顰めた。そして、また何か良からぬことを考え出したか、と嘆息を

つく。最早何を言っても無駄か、と臓硯はアサシンに言った。



「……程々にせいよ、アサシン。やるのならば、肉片一つ残すな」



 臓硯の言葉にアサシンは心底嬉しそうに頷き、ゆっくりと獲物を追い詰めるチーターのように、祐一達の方向

へ向かっていく。それを見届け、臓硯も間桐家の中へ戻っていった。

 その夜、間桐家からは何かに耐えるような女性の声が響いた。



[Interlude out]



「え、バーサーカーのマスターに会った?」



 帰り道、士郎にイリヤと会った事を言うと案の定驚かれた。



「あぁ。ただ、話をしただけだけど」



「ふぅん……そっか」



 ……士郎が相手で良かった。予想した通り、反応が淡白。これが遠坂辺りだと、「アンタ、聖杯戦争舐めてる

でしょ! 何!? 敵対してるマスターとのんびり世間話!? ふざけんじゃないわよ!」という言葉と共にガ

ンドの嵐が飛んでくるだろう。避けきれる気がしない。

 その風景が容易に想像できて、少し寒気がした。セイバーに言うと、あの不可視の剣で魚のように三枚おろし

にされそうだ。多分、避けても突っ込み世界の修正で無効化されそうである。



「……なぁ、祐一。お前は、聖杯戦争の事をどう思ってるんだ?」



 沈黙したまま黙り込んでいた士郎は、唐突にそう切り出す。聖杯戦争の事をどう思っているか、か。



「俺個人の意見を言わせて貰えば、聖杯戦争はただの呪われた殺し合いだ。俺の母さんも、十年前の聖杯戦争で

死んだからな」



 誰が殺したか、なんて言うのは愚問だ。魔術師とは理を以って情を殺す者。聖杯戦争に参加した時点で、母さ

んは殺し、殺される覚悟も出来ていたはず。その結果、母さんは帰って来なかった。

 母さんを殺した相手に、憎しみがないといえば嘘になる。しかし、それで仇討ち、復讐などをしても意味の無

い事を俺は知っている。その人を殺して、死んだ人間が生き返る訳でもない。仇討ちは、ただの自己満足に過ぎ

ない。憎しみは、新たな憎しみを生むだけだ。

 ここまでが、相沢祐一の人間としての考え。



「ただ、魔術師としての意見を言うと、興味はある。成り行きで関わってしまったけど、母さんが体験した聖杯

戦争を俺も今、体験してるから」



 魔術師としては、聖杯戦争には興味があった。望む願いを叶える万能の願望機。過去の英雄、歴史上の人物を

呼び出すサーヴァントシステム、それを律する令呪。文献で調べただけだが、現代では作れないであろうシステ

ム。こういう妙な形で関わることになっているが、少しだけ感謝したい。

 無論、俺をマスターとして認めてくれたランサーにも感謝している。



「…そうか。ありがとう」



 憮然とした表情で頷く士郎。だけど、こうしている間も俺は士郎達を欺き続けている。正体不明の八体目のサ

ーヴァント、ランサーのマスターは俺だ。いつかはばれるだろうけど、それまではこいつらと一緒に戦っていた

い。敵になるとしても、だ。



「あ……そういや、士郎。この間教会から出てきた時、何か元気無かっただろ。何でだ?」



 ふと、既に脱落したランサーに襲われた日の事を思い出す。教会から帰る際、出てきた士郎はどこか青白い顔

をしていた。



「……言峰に言われたんだ、『お前の願いは、ようやく叶う』って」



「願い?」



「俺さ、親父の本当の息子じゃないんだ。十年前、新都の公園で大火事があった際に、焼け出された孤児でさ―

――」



 そういえば、新都にはそぐわない一面緑の何もない公園があったな。十年前、ということはそこが前回の聖杯

戦争に集結の地なのだろう。



「目の前が真っ赤に染まって、それまでの記憶が掻き消えて、俺は火の中を必死で歩いてた。歩いて、傍で助け

を求める人がいるにも関わらず、俺はその人達を見捨てて、空に浮かぶ黒い太陽から逃げたんだ……」



 士郎は右手を血が出そうになるまでに握っている。その時のことを、激しく後悔しているんだ。何で、助けを

求める人を救わなかったんだと。

 ――――無理に決まっている。まだ十にもなっていない、小さな子供に出来る事など何も無い。士郎は、何も

悪い事なんかしてはいないんだ。ただ、生きていたいという本能に従っていただけ。だけど、士郎は自分を責め

続けている。



「必死で歩いて、焼け野原で倒れて、あぁ、もう死ぬんだなって心の何処かで思った。最後に空に向かって手を

伸ばして、力尽きて手が落ちかけたときに俺は親父に、衛宮切嗣に拾われたんだ。その時、俺は思ったんだ――

助かったって。でも、本当は違った」



「……何が違ったんだ?」



 実際、切嗣さんに助けられたんだ。助かったって思ったのは間違いじゃない。



「その時、本当に救われたのは俺じゃなくて、切嗣の方だったんだ。今でも覚えてる……俺の手を掴んだ時の、

切嗣の安堵に満ちた表情を」



 空を見上げる士郎。その表情は嬉しそうでもあり、悲しそうでもあった。



「そして俺は『衛宮』士郎になったんだ。無理を言って親父に魔術を習い、親父の理想である『正義の味方』の

夢を受け継いだ。ま、魔術の方も『正義の味方』の方もまだまだだけどな」



 つまんない話したな、と士郎は苦笑する。誤魔化すように笑い、早歩きで道を歩いていく。



「――――」



 俺は、何も言う事が出来なかった。時々士郎に感じていた、妙な感覚の正体が今分かったのだ。俺と士郎は同

じ――いや限りなく近く、遠い存在。罪人である俺と、自分を罪人だと思っている士郎。心の弱い俺と、心の強

い士郎。そして、俺と士郎が決定的に違うのは……


 ――自己を持っている所と、自己が完全に欠如している所だ。


 そう、士郎の夢は父親である切嗣さんの理想だった『正義の味方』。全ての人を救う存在。衛宮切嗣、という

名は魔術師の間では有名だ。固有時制御を使う、『完全なる魔術師』。魔術師とは理性を持って感情を殺す者。

しかし、人間である以上どこかしらに甘さと隙が出来る。

 だが、衛宮切嗣には『迷い』や『躊躇』と言う感情が一切無かった。聞いた話によれば、九十九の人間を生か

す為なら一の人間を殺す事を躊躇わなかったという。

 彼は、心の底から本当の魔術師だったのだ。ある意味、士郎も切嗣さんと同じと言える。『自分』を殺して、

『他者』を救うのが士郎。


 なんて――矛盾。


 士郎は気付いていない、自分が矛盾している事に。それが酷く悲しいことだと思った。士郎には初めから『自

分を救う』という概念が抜け落ちている。それを気付かせなければ、士郎はいつか壊れてしまう。俺達が、士郎

に気付かせるしかない。その究極の矛盾を。

 前を見れば、士郎が不思議そうにこっちを見ていた。



「や、何でもない。さっさと帰ろ――」



 最後まで言わず、振り向きざまに取り出した七ツ夜を逆袈裟に振るう。瞬間に、何か硬いモノが七ツ夜をぶつ

かりけたたましい金属音が辺りに響いた。



「っ……」



 衝撃で手が痺れる。飛んできたモノを探ると、二つに分かれている小粒の石が見つかった。飛んできたモノの

正体はこれだ。



「祐一――!」



「来るなっ!」



 近づこうとする士郎を諌める。躓きそうになりながら、士郎は足を止めた。俺の目の前の暗闇には、俺を攻撃

してきた黒い人影がある。それはゆっくりとこちらに歩み寄り、道の街灯がその姿を照らし出した。



「……」



 顔だけが街灯の光で影になり分からない。服装は、紺色の……学生服のようなもの。一見してただの人間に見

えるが、放つ殺気の濃度が人間とは思えない。冷や汗が頬を伝う。



「サーヴァントか……士郎、遠坂達を呼んできてくれ。ここは俺が食い止める」



 背後にいる士郎を庇いながら、七ツ夜を手の中で回し逆手に持つ。また生身でサーヴァントと戦う羽目になる

とはな、遠坂辺りにまた何か言われそうだ。ランサーにもいらない心配ばっかかけて、済まなく思う。

 全部片付いたら、ちゃんと謝らないとな……。



「分かった、すぐ戻るから死ぬなよ!」



 縁起でもない事を言って、士郎は衛宮家に向かって走り出す。走り去っていく士郎に、相手は何もしない。完

全に俺だけを標的にしているようだ。逃がす手間が省けて助かる。



「いきなり背後から攻撃か。真っ当な戦い方じゃないな……てことは、アサシンって所か?」



 目の前にいるサーヴァントが、恐らく言峰の言っていたアサシンだろう。あの俊敏だったランサーを倒したと

いうことは、相当の強さの持ち主。無理はせず、士郎達と俺のランサーが来るのを待ったほうが良さそうだ。



「ご明察だ。しかし……はっ、こんな妙な戦いに呼ばれた時は下らないと思っていたが、色々楽しませてくれる

な、本当」



 くつくつと笑っている気配。その声に聞き覚えがある気がしたが、そんな事ある筈ない。相手は俺が生まれる

以前の過去の人物。ただの聞き違いだろう。

 そう、思っていた。



「それにしても、まさか俺と同じ一族の末裔に会えるとはな。つくづく、人生ってのは不思議なものだと思わせ

られるよ」



「……同じ、一族?」



「あぁ、七夜の血がさ」



 アサシンが一歩踏み出す。影になって見えなかったアサシンの顔が浮かび上がる。見覚えのある顔、さらに決

定的であったのはアサシンの蒼い――――瞳。



「し、き――――いや、七夜志貴か……」



「名前まで分かるか。どうやらこっちでは、俺とお前は知り合いのようだな」



 アサシンのサーヴァント――いや、七夜志貴は口を歪めて笑う。それは、以前三咲町でタタリが具現化した殺

人貴としての七夜志貴の笑いそのものだった。



つづく




ステータス表が更新されました。


CLASS   アサシン(真)
マスター   間桐臓硯
真名   七夜志貴
身長・体重   不明
属性   混沌・悪


筋力  C    魔力  D
耐久  C    幸運  C
敏捷  A+    宝具  ??


クラス別能力
気配遮断  A  サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。完全に気配を断てば発見され
         る事はまずない。だが、攻撃に移るときは気配遮断のレベルは大きく下がる。


保有スキル
七夜暗殺術 A  祐一と同じ七夜の暗殺術。


直死の魔眼 EX バロールの魔眼。物の『死』を視る事が出来る。理論上、彼に殺せないモノはない。幻想
         種ですら殺せる、伝説級の魔眼。


宝具
不明





後書きと言う名の座談会


祐樹「改訂前の所まで終了!」


志貴「ここから新しい奴ってことか」


祐樹「うむ。で、今回は志貴がゲストか?」


志貴「そんな所。後は」


祐一「いつも貴方に潤いを。皆さんの心の清涼剤、相沢祐一です」


祐樹「何だその妙な広告っぽい台詞は」


祐一「言ってみたかっただけだ。他意はない」


志貴「清涼剤っていうより、毒物だよな」


祐樹「その心は?」


志貴「人にとって有毒」


祐一「びみょー。てかどういう意味じゃい」


志貴「お前からかうの大好きだろ」


祐一「大好きだ!」


祐樹「男らしく断言したな」


志貴「それが毒なんだって。人にとっちゃいい迷惑だ」


祐樹「なんかあとがきじゃないな。とりあえずさようなら」


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