目立っているな、と言うのが俺の感想だった。
商店街に買出しに出かけたはいいが余計なオプションまでくっついてきてしまっていて…俺は今商店街でもっとも目立つパーティーの先頭だ。
俺…いつもの地味な服を着て両手にビニール下げて主夫っぽい風情をかもし出している。
セイバー…油断なく注意深く無表情に視線を配っていて少し近寄りがたい様子を纏っている。
綾…なんでか巫女装束のままで街中をからんからんと闊歩して異様な雰囲気を放っている。
俺、セイバー、綾の順で歩いていると平成元年と中世と平安がごちゃ混ぜになった合成された写真みたいなパチもんの光景を見ている感じだ。RPGでもここまで節操なし統一感ゼロの冒険者グループはいまい。
この中で一番変なのは…多分、俺だろう。だって二人ともどこにでもある商店街で誰もが変、と思わずにはいられない空気があるから。だけどその点、俺だけはどこにでもいる普通の人を完璧に保っているから、周りの人から「何で君が?」の疑問視線がある。
俺は魔術師とは言え、そこらにいる通常高校生と大差ないのでちょっと恥ずかしいという気分が拭えない。セイバーも綾も気にしていないみたいだけど。
「シロウ、先ほどから視線が私たちに集まっています。どこに敵の目があるかも分かりませんから注意してください」
ごにょごにょと耳元に囁いてくるセイバー。だけど注意するべきなのはその点ではなく、君らが放ちまくっている街中にそぐわない雰囲気を収めることだと思う。
「………………ふふ」
俺が困っている事も。セイバーが勘違いしている事も。全部わかった上で微笑みだか薄ら笑いを浮かべる綾。服の所為なのかちょっと本性が表れている。
「……………………」
無言のままの俺。なにをどうした所でこの二人を統率できるはずもなし、無言のままで歩き続けるしかないのであった。
商店街は思ったよりも被害を受けていなかった。人も街もあまりいつもと変わらない。それどころか威勢のいい声を張り上げる小父さんもいたし、良きこと哉。
余裕が、まだある。ここには人の活気を見ることもできるし聞くこともできる。
「では、次は私の私用に付き合っていただきますね。士郎様、セイバー様。こちらですわ」
などと、どこか見覚えのあるキャラ設定で俺たちを先導して歩き始める綾。俺とセイバーは何事かと顔を見合わせる。疑問はあるが、別に急ぎの用事があるわけでもないので黙って付いて行く。
そうして付いて行った先は商店街の裏側のさらに奥まった場所。寂びれていて人の声も聞こえてこない。周りは古くから残っている昭和初期の趣を色濃く残す木製の家屋。木製の電信柱。木製の垣根。
地震の所為か少し崩れている部分もあった。こげ茶色の群像集合。とても静かで動きのあるものといえば俺たちぐらいだ。
子供の頃には何度か足を運んだ事もあったはずだけど、あの時はこんな雰囲気だっただろうか。どうしてか、見知らぬ場所に迷い込んだ気になってくる。
セイバーもここの持つ雰囲気にどこか困惑しているようで辺りを眺めている。十字路には長い年月が立ってしまった所為なのか赤い塗料がはげかかったポストが我関せずとしてある。
そして、この閑寂の中で複雑に枝分かれする迷路じみた小道を迷うことなく進んでいく白い装束、赤い緋袴、長い黒髪。漆下駄の音が不思議と懐かしさを沸きあがらせてくる。
「おい、どこまで行く気だ?」
「着きべき時には着いてるいよ、きっと」
振り返りもせずに煙に巻かれた。またまたセイバーと顔を見合わせる。そのまま十字路を真っ直ぐに進み、次の角を右に曲がり再び右に曲がり次は左。突き当りのY字を左に進み同じ形の道を今度は右に進む。ゆっくりと単調な歩みはどこか眠りを誘う音階を持って意識を白くさせる。
そのまま代わり映えのない景色を短いのか長いのか、時間の感覚が曖昧になってきた所で目的地に着いたみたいだ。酒に酔った状態から冷水でも掛けられるとこんな状態になるのか、目の前には小さめの造りの、お店と称してもいいのか、控えめに『点心堂』と達筆で書かれた看板が置いてあった。
「…なんなんです、ここは?」
「さぁ…?」
セイバーの問いかけにも答える術を持っていない。だって、こんな場所あったかなと俺も考え込まざるをえなかったから。
綾は困惑でその場に突っ立ったままの俺たちを一顧だにすることなくスルスルッと中に入って行った。その場にいても仕方がないので俺たちも後に続く。古くさい暖簾をくぐった先は、不思議な、とても不思議な空間が広がっていた。
外観によらず、意外と中は広かった。『点心堂』という名前を見る限りでは菓子屋か何かだと思ったのだが…所狭しと古い家財やら本やら骨董品やらが並べられている。どれも古臭いよりも味わいのある懐古じみた趣がある。
坪や皿が山積みにされている。バランスが少しでも崩れれば紙の雪崩が起きる本の山。町の小料理屋で見かけそうな信楽焼の狸の置物。北海道辺りにありそうな樋熊の木彫り。こちらを睨みつけるような般若の面。狩られた事を恨んでいそうな目つきの子連れ雌鹿の剥製。
年代を刻んだ木造の家屋だけが持つ、不思議と安心感すら感じさせる木の香り。道とも呼べない道を通り抜けると銭湯の番台みたいな一段高い造りの畳敷きに店主らしき人がいた。
「こんにちは」
穏やかで暖かな声音は綾のもの。
「………ああ」
答える店主の声は抑揚もひどく薄くて背筋にヒヤリとしたものが流れ落ちる。
「…あの男。妙な気配を持っています」
「妙って?」
セイバーが男を見る目は敵を見るとは言わないまでも険しく厳しい物だ。
「普通の人間のようですが…よく、解らないのですが…気配が薄い…?それとも遮断しているのか…。いずれにせよ奇妙…としか言いようがありません。人も、この場所も」
ソレは同感だ。ここに来るまでも変な感覚がしていた。肌に温水が徐々に掛けられていくようにゆっくりとぼやけていく感じがあった。それにこの店に入った瞬間も同じ感覚が一際強かった。
もう一度、店主に視線を戻して見る。俺たちがいる事などまるで気にしていないのか、手に持った古ぼけた古書をどうでもよさげに読んでいる。顔色は薄白く、あまり生気が感じられない。
綾は男の態度に腹を立てるでもなく勝手にもっと奥の方に入って行った。出遅れた俺たちは後を追うことも出来ずにその場で待っているしかなかった。
この店の持つ雰囲気は、正直に悪くない。だけど、あの店主の纏う冷たさに挟まれると途端に居心地が悪くなってしまう。セイバーも同じなのか、いらだたしそうに中を見渡している。
しばらくすると綾が布に包まれた長い棒状の物一つとそれよりも短い棒状の包み二つに小さな小箱を持って出てきた。なぜか髪の毛や服にうっすらと埃が被っている。店主は綾には関心があるようで動きのない幽霊みたいな動きで綾を見る。
「………あったか?」
「はい。注文の品。確かに受け取りました」
「………そうか…。対価は…約束の期日までだ」
「承ります」
短い言葉のやり取りで綾はこっちに歩いて、店主は手に持った本に視線を向ける。
「さ、行こうか」
「なにを買った…。てか金はいいのか?」
「ローンを組んでる」
すごくこの場所に不似合いな単語を聞かされた。経済金融関係の言葉ほど似合っていないものはないと思う。
「本当は先生持ち」
ああ、そういうこと。大方、骨董品かなにか買ってくるのを頼まれたのか。にしても、こんな店があるのははじめて知ったぞ。
長い棒を天井や品物に当てないように気をつけて出口に向かおうとしている。セイバーがそれを手伝って道を指示する。俺はこの店の雰囲気に首を傾げながら続こうとしていた。その去り際、不意に店主と目が合った。
ぎょっとして硬直する。胡乱げなどこを見ているかも解らない目ではない。むしろはっきりとしていた。黒と白が異様なほどにはっきりしていて驚いたのだ。
「…歌い手を呼び戻せ」
「歌い手………?」
言葉のイメージとしてするりと入ってきた。この男は綾を呼び戻せと言っている。
「…あ、はい。分かりました」
即答できなかったものの、その意味するところを理解して言うとおりにする。なぜか男の言葉には逆らいがたいなにかがあった。
店の外で待っている二人。セイバーが綾になにか話しかけているようだが小声でよく聞こえない。
「おい綾。店主さんが呼んでたぞ。何か話があるらしい」
「なんて?」
「さぁ、呼べって言われただけだから知らない」
「ふぅん」と呟いて店の中に戻っていくのだった。こっちはなんだか狐につままれた感じなのだが…。
セイバーとどれぐらい待っていただろうか、またもや時間の感覚が合間になってくる。じっと突っ立っていると周りの風景はそのままに時間もそのままに。ありとあらゆる事象から時の概念が取り払われたような気にさえなってくる。
空は変わらぬ曇り模様。風はなく空気も対流を止めているよう。そう、例えるなら―――俺たちが現実から取り残されているような、はっきりした感覚が保てなくなってしまっている。
けれど、危険性は全く感じられない。俺もセイバーも、ここにいることになんの疑問も感じていないのだから。いや、俺は留まりたいとさえ感じているのかもしれない
ここの雰囲気は、もう戻れない、なくしてしまった何かを呼び起こす懐かしいものがあるから。例えば時間、例えば空気、例えば思い出。
「シロウ…シロウ?」
ゆさゆさと肩をゆすぶられてはっとした時には既に綾は外まで出てきていた。いつの間に…と思わずにはいられない。
「では、帰りましょうか。士郎様、セイバー様。私の後をちゃんとついて来てくださいね。ここは小道が多くて迷われてしまうと帰る事が出来なくなってしまいますから」
前に立って歩き出す綾の言葉。小さく呟くような、だがはっきりと耳に入ってくる音色は得も知れない凄み、というか、従わざるを得ない迫力みたいな物があって頷かねば本当にここから帰れなくなるかもと思わせる。
からんからんと、一定の歩調で歩かれるとなにかの音楽を聞いているような気分になってくる。隣を歩くセイバーは来た時とは違って落ち着いて真っ直ぐ前を見ている。
どうしてか知らないが無言だ。俺はともかく、セイバーはそもそも自分から話すほうでないので、いつもなら喧しいほどに喋る綾がだんまりのままなら必然的にこうなる。
いや、だんまりではない。綾はなにか小言で歌を歌っている。
「とーりゃんせ とーりゃんせ………」
幼稚園や小学生の時に誰もが歌ったことがあるだろう有名な歌だった。どこか物寂しく聴こえる旋律と歌詞は不思議と脳髄に沁み込んで来るように聞こえてくる。このまま目を閉じても家に帰れそうな気さえする。
町並みは変わることなく閑寂とした佇まいを崩す事はない。前から聞こえてくる歌声以外に物音は一切が遮断されている。
また、五感がぼやけてくる。まるで紙芝居の世界にまぎれてしまったようだ。俺たちが感じている現実は全て芝居で…その中で俺たちは登場人物になってしまったような、わけの分からない事まで考え始めている。
対流時間が緩やかに、それとも速くなったのか、気づいていたら俺は商店街の外れの方に帰ってきていた。
「あ、あれ?」
狐につままれたとはこの事か。後ろを振り返ると何の変哲もない短い道がある。
まるで夢を見ていた気分。自分の存在が頼りなく思えてくる。けれど空だけは変わらぬ曇り模様。それだけが、さっきの事を現実の続きだと思わせる。
両手に食い込んでくるビニールの現実的な重さが確かにここは現実だと主張してくる。
「おーい士郎ー?」
目の前で綾が手を振っている。俺はぼんやりした表情でそれを見ている。眸の中の俺が間抜け面を晒しているからだ。
「まったく、シロウには何処でも構わずにぼんやりする癖があるようですね」
呆れた風に言ってくるのはセイバーだ。
「あ、いや。えっと俺は別にぼうっとしてたわけじゃなくて、考え事してたんだ」
「考え事ですか」
全然信じていなさそうなセイバー。ちょっと心が傷ついた。
「いやさっきの事だって。セイバーだって変に思ってただろ。あの店主の人とか、あの場所の空気とか。普通じゃないって」
「む。それは、そうですが」
と、一応は引き下がってくれる。
セイバーだってあの場所がなにか変だというのは気づいていた。俺よりも感性の鋭いセイバーが言うのだから間違いない。それに、これでも魔術師の端くれ。異変を感知することぐらいなら出来る。
結局、俺たちの視線の向かう先には水先案内人だった綾に向く事になる。
「あのさ、普通じゃないってなにが普通じゃないのさ。そりゃちょっと変わった店主さんだってのは認めるよ。建物も古臭いし中身も古臭い。でも普通じゃないのはどこ?二人の感じ方が違うと普通じゃないの?あの場所がちょっと変わってるからってそんなこと言われたくない。お得意様だし。周囲と違うなにかは認められない?少しでもずれていたら駄目なの?」
「あ、いえ。そういう事を言ったわけではありません。少し気になっただけであって、あの店を卑下するようなことはなにも」
「そうだぞ。べつに変わってるのが悪いって言ってるわけじゃないぞ」
思わぬ詰問口調の綾にたじろぐ俺たち。
「じゃ、聞くよ。あのお店になにか危険でも感じたの?それともあの場所にはもう行きたくない嫌な感じを受けたの?」
「そういうわけじゃ…ないけどさ」
セイバーもコクリと頷いてくる。
「なら別に気にしなくてもいいじゃない。だいたい普通の基準はなにさ。二人が言う魔術の社会なのか、それとも僕らの生きている一般社会なのか。二人が普通と思うことは本当に普通なのかもかもしれない。でも他人から見てみればそれこそ普通じゃないのかもしれない。結局、モノの見方なんて立つ場所が少しだけ違うだけで空模様みたいに変わるもの。特に危険がなければどうでもいいじゃない。そんなにハッキリさせたいの?分からないままなら分からないままでいいじゃないか。だって、分かってしまったらそこで終わりなんだから」
あんぐりと口を開けて演説を聴いていた。なぜなら、こんな風にして一気に喋る綾はとても珍しいからだ。
その内容は綾の性格をよく表しているものだと思う。自分にとって大切な事柄であれば断固擁護。そうでなければあっさり切り捨てる。
それに、言ってることは分かる。立つ場所が違えば見えるものはまったく違うのは、俺だって分かってる。だって、聖杯戦争なんて者がなければ俺は日常に人知れず潜む危険を知る事もなかったのだから。
だから、前半は分かる。だけど後半。特に最後の言葉の辺りはよく理解できない。分かってしまったら終わりってのがとくに。あの店の実態を知ったら何か起こるのか?
「セイバーはどうなの。どうしてあの場所が気になるの?」
「そ、それは、自分でも分からないのですが…妙な雰囲気があって。気になったのです」
「うん。でもそれってどうしてもはっきりさせないといけない事?」
「いえ。そんなことはありません。あの場所に攻撃的ななにかはありませんでしたから」
「そうでしょう。なら、べつにどうだっていいじゃない。士郎もそう思うよね。自分の理解の外にあるものは認められない?」
「いやそんな事はない。自分が理解できないからってなんでも知りたいとは別段思わないけど」
「うむうむ。なら、それでいいじゃないですか。あるものは、ある。まず認める。そのあとで判断する。それでいい」
「…?」
いつも唐突に変なヤツだがこれはいつもよりすごく輪をかけて変なやつだ。頭の中身が混乱で固められてしまう。何が言いたいのか全然わからない。ニューロンとシナプスの連結が上手くいってないのかもしれない。
隣の少女はどんな具合か見て見ると…見事なまでに困った顔をしている。どうやら俺とご同輩のようだ。視線が合う。どちらも困惑顔をしていた。親近感が沸いた瞬間。
「なにが言いたいか分かるか?」
「さぁ、シロウに分からないことが私にわかるとは思えませんが…」
帰宅途中である種の哲学的問題に遭遇。フェルマーの最終定理を逆立ちして説けるやつもたぶん、出来ないだろうな…。
「あっ!」
「なになにどうしたの、美人のおねーさんの桃源郷チラリズムに思わず遭遇目撃ドキュンして胸キュン?ちなみに、チラリズムは戦後の舞台スター浅香光代が舞台の上で扇情的に演技をしたことから来ています」
「早口で言うな!んなことは誰も聞いていない!ゴミ袋を買い忘れただけだ!」
なにがドキュンで胸キュンか。脳髄に沸いてんじゃないのか?とは流石に兄である俺も言ったことはない。言ってしまえば俺はあらゆる意味で終わるだろう。いや、終わってくれるだけマシかもしれない。
「あー、使ったからね。今頃は袋がゴミ園で義兄弟の契りを結んでいる頃かな。われら天命尽きるともってね」
「帰ったら黄色のペットボトル用のゴミ袋が黄天が来るって声高に叫ぶかもな。その後は流しで生ゴミが専横を振るうな」
「で、燃えるゴミ袋に捨てられちゃって明日には群雄割拠の戦国時代。あっちこっちでゴミたちがしのぎを削るようになるよ」
「その中でも有力なのは中原の覇者である燃えないゴミ袋。その青い文字はゴミ帝国の再興を願っている。家だけじゃなく壁を越えて藤村にも勢力を拡大するかもしれぬ」
「曹操。でも結局、燃えないゴミが広大な大陸を支配しようとも臣下に裏切られて終わっちゃうんだよね。ゴミの世も人の世と違いはない。儚いものだね。ま、最後は青い霊柩車代わりのゴミ清掃車が綺麗さっぱりしてくれるさ。あはは」
「って、なんで漫談し取るか俺たちは」
「士郎が乗ったからでしょうが」
ぐふ。確かにその通り。俺は歴史とか結構好きだぞ。中国は三国志を利用してゴミの興亡を説明する。ちと、余人には分かり難いかもしれないがそこは家族の相互理解で解決済み。分からない場合は考えるがよし。
「それで、どうするのですか?買いに戻るのならば当然私もついていきますが?」
呆れているのか腰に手を当てたセイバーがジロ〜とジトジトした目で見てきていらっしゃる。
不機嫌そうなのは俺たちの会話が理解できなかったからだろうか。もしそうだとしたら熱い漢たちの汗しかない歴史を教えるのも吝かではない。しかし、そんな事を言えば冷え冷えなし線で睨まれるのは逃れられないだろう。
両手が塞がっている今、買いに戻るのはちょっと…。
「んじゃ、僕が買いに行ってくる。ゴミを出せなくなるのは嫌だからね。セイバーこれよろしく」
「あ、はい」
これ、とはあの訳の分からない店で購入された長い棒一本とそれよりも短めの棒2本。小さな箱が一つだ。それらをポンとセイバーに手渡すとからからと冬の空を元気に歩いていった。
こちらの返事も聞かずに自分の言いたい事だけを言ってさっさと言ってしまうところはいかにもらしいのだが。さて、早業に呆気を取られている俺たちだが…。
「あのさ、あいつ前にランサーに襲われたよな」
「そうですね。綾の反応が少しでも遅れていれば命はなかったでしょう」
「ランサーってあいつを襲うかな?」
「分からない。ですが可能性はあるでしょう。聖杯戦争はあくまで人の目に付いてはいけないものですから」
「なら、追った方がいいよな」
こくり、と頷いてくるセイバー。………あの馬鹿!勝手に単独行動を起こすな!ちょっとやばい事体に気づいた俺たちは急いで後を追いかけるのだった。ガサガサとなるビニール袋が緊迫感をどこかに吹き飛ばしてしまっていても…。
とりあえず、この狭い商店街。スーパーだろうと雑貨屋だろうとゴミ袋は売っているが数自体はそれほど多くない。セイバーと二人で手分けして回って見る。が、いない。どこにもいない。路地裏あたりで猫と戯れているのかとも思ったがそれも違う。ならば野良犬かと思いついたところで同じようなものと思い直す。セイバーのほうに期待しよう。
「で、いたか?」
「いえ、指示された場所にはどこも」
まったくあのアホ。こっちの苦労をなんも知らないでポンポンさきに進んでいきやがって。帰ったら説教してやる。冷たい板敷きの道場で正座させてたっぷりと2時間はかけてネチネチと…。暗い愉悦に浸る俺だった。
「じゃ、セイバーはこの商店街を中心に探してくれ。俺は少し離れた場所を探して見る」
「分かりました。ですが、なにかあったらすぐに私を呼ぶ事を忘れずに」
「分かってるって」
小姑みたいだと思ったけど言わぬが花。セイバーと別れてこの近辺を探しに行く。
二手に分かれたのは理由がある。なぜだか知らないが俺は綾の気配…というか…居場所…というか…。とにかく理由は分からないがあいつの居る場所がなんとなくだが分かる。魔術と同じような要領で自分を空っぽにしてしまえば細い線のようなものが感じられる。小さな頃は明瞭に感じられたが年が経つに連れて曖昧になってきた線が。
それが、なんなのかはよく分からない。親父にも聞いてみたけど首を捻って分からないと答えていた。理由はどうであれ、本人に自覚はなくともフラフラと漂流するクラゲみたいな綾を探すにはちょうどいい具合なのだ。
人ごみの中では線がグチャグチャにされてしまうのか、どうにも感じ取りづらいのでセイバーには引き続き商店街を頼み、俺は静かな商店街の周りを探してみようするのだ。
目を瞑って集中を開始する。屋敷の中でははっきりとした線も外界に一歩出てしまえば極端に乱れてしまう。簡単にはいかない。そして、細い細い線の行く先が、どうにかこうにか、かろうじて捉えることが出来た。集中力を持続していなければ分からないほどに小さい糸。
それが指し示すのは…やっぱり商店街の外に出たみたいだ。なにを考えているのかと思ってちょっと腹たった。説教は30分追加だ。
少し、セイバーを呼ぼうかどうか考えて、すぐに済むかと考え直してそのまま細い糸を手繰るように歩き出した。
糸に導かれるようにして歩いて、俺は小さな娘を見つけてしまった。
小さな公園。遊具は錆が浮き始めたブランコと滑り台。砂場は降った雪のせいで湿って薄灰色に見えてしまう。そんな、寂しさしかない公園でたった一人。
銀色の髪の毛はまずこの国の人間ではありえない。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。聖杯戦争を作る原因となった始まりの魔術師の血族。最狂の戦士バーサーカーのマスターにして俺を殺しそこなった少女。そして、親父の娘かもしれない…少女。
バーサーカーのマスターである時点で俺は逃げ出してなければならない。あの少女でなくても敵マスターであるならば必ず逃げなくてはならない。
なのに、俺はその少女をじっと見詰めていた。
曇った空を見上げる姿はどこか寂しそうで…まるで…そう、まるで来るはずのない迎えを…。親を、それでも待つ子供のように感じられてしまった。それが、俺の心に鋭い楔を穿つ。
それは、衝動だった。身体のそこから訴えかけてくる声なき声。父も母も、誰も何も来なかった。なのにあんな少女をどうして一人にしていると…無意識の声に突き動かされた結果だ。俺は、銀の少女に、声を掛けてしまっていた。
「…イリヤ」
「誰っ!?」
人がそばによって来たことにも気づかないほどに空を見詰めていた少女は肩をビクリと震わせた。激しい誰何の声は毅然とした警戒色に塗りたくられている。しかし、その姿は己を護るように小さく縮こまっていた。あるはずのない声を聞いたように。
「あ…」
「あ…」
お互いの姿を認めたものの、いったいなにを話せばいいのか。何も考えないで声を掛けたのでいい案が浮かぶはずもなく、少女の方も呆然としてこっちを見ているだけで動きがない。
そのままどれぐらい時間が経過しただろうか。なんだか単位が秒から分に格上げされたような気がしてくる。
「…イリヤ」
ぽつりと、零すようにして少女が口にした。
「あ、いやすまん。えっとイリヤスフィール……ええっと、なんだったかな。すまん、名前を忘れるなんて最低だ」
混乱して全部を思い出せない。なぜだかガバチョと頭を下げていた。俺は自分の名前が略された事を気に入らないのだと判断したのだ。誰だってよく知らない人に名前を呼びかけられていい気はしないだろう。しかも名前からすると愛称を。
「…ううん。イリヤでいいよお兄ちゃん!」
う、えええ〜〜〜〜!?
さっきまでとは打って変わって一転どころか三回転半を決めたぐらいににぱーっと笑顔に変わる。月が垂直に沈んで代わりに太陽が出てきたみたいだ。
「それで、お兄ちゃんの名前はなに? お兄ちゃんは私の名前を知ってるのに私はお兄ちゃんの名前を知らないのって不公平よ」
イリヤスフィールは意図しているのかしていないのか、俺をお兄ちゃんと呼んでくる。その事に、戸惑と疑問が浮かんでくる。この少女は俺を、いや、切嗣を恨んではいないのか?
「あ〜えっと、俺は衛宮…士郎ってんだ。その…イリヤ」
俺の名前を知らないのか…。俺はアインツベルンの家の事を知ってこの少女が他人ではないと思っているのに向こうの方はそうでもないのだろうか。それとも切嗣のことなど忘れたのか…? それこそありえないはず。
聖杯を目の前にしながらも親父は悲願であったはずのソレを破壊した。聖杯を得るためだけに生きてきた彼らにとっては許しがたい暴挙であり愚挙のはず。忘れる事なんて出来るはずがないじゃないか。
「エミヤ…シロ? あはは、面白い発音するんだね」
「ちがう。エミヤシロウだ。ちなみに、衛宮はセカンドで士郎がファーストネームだからな」
「ふぅ〜ん。そっかぁ。シロウっていうんだ。意味は分かんないけど綺麗な響きね。私好きよ。シロウって言葉」
「そ、そっか。うん。ありがとう」
真っ直ぐな物言いはたじろいでしまうほど。言葉に偽りの影などどこにもない。面と向かって名前を誉められた事なんてないから少し恥ずかしい。
なんて言うか目の前のイリヤは教会の帰り道であった時とは全然違う。あの時は完全に魔術師の顔だったが今はどこにでもいる天真爛漫な少女と同じに見える。
にこにこと笑っているが…この表情からは残酷性の欠片も想像できない。なんか物凄い怖い台詞をバンバン言ってたとは思えんぐらいだ。
「そ、それで、イリヤはどうしてここに。まさか前の続きをしようって戦いに来たのか?」
「ふぅ〜ん。シロウは私と戦いたいって言うの?」
一転して冷酷な笑み。背筋が総毛立つ。ぞわりと形容不明の痺れが全身に突き刺さる。
「でも残念。今はまだお昼だから戦っちゃいけないんだよ。聖杯戦争のルールだもの。それに、バーサーカーもセイバーもいないんじゃ闘いにならないでしょ?」
ふふーんと胸を張るイリヤ。俺が昼間に戦ってはいけないという規則を知らなかった事に対して満足げだ。…知ってたけどな。
「……たしかに、昼間っからドカドカ騒がれちゃ迷惑だもんな」
俺は…イリヤの二転三転する態度に四苦八苦しながらようやくそれだけを答える事が出来た。
一瞬で殺されると思った次の瞬間にはまったく害のない身代わりの速さは脳みそを激しくかき回してくる。
「でしょ。あんまり騒がしくしたら一般人が気づいちゃうかもしれないもんね。いちいち殺すのって面倒臭いもの」
…なんて事を言うんだろうかこの少女は。殺すなんて物騒な単語を使っておきながらまるで日常のように聞こえてしまう。確かに、イリヤは魔術師で魔道の名門の子かもしれない。魔術の存在が外に漏れてしまう事が禁忌だってことも承知している。だが、それを防ぐのに殺すなんて言葉なんでもないように使うなんてどういうことだ。そこには当たり前の響きしかない。俺が半端な魔術師だからそう聞こえるだけなのか?
「ねっ、お話しよ! わたし、暇が嫌いでここに来たのにここに来ても暇だったの。シロウとならきっと楽しいお話が出来るはずよ!」
グイグイとこっちの気も知らずに引っ張ってくる。
「…あ、ああ。分かった。分かったからあんまり引っ張るな茄子が落ちる!」
あんまりにもイリヤが幼いんだか怖いんだか分かんなくてついつい変な事を口走る俺だった。
とりあえず、引っ張られた先は公園に備え付けられているベンチだった。どこにでもある青いプラスチック製のベンチは冷たい空の下では容赦なく体温を奪い去ってしまう。そのベンチは汚かった。しかも、座ったら確実に服が汚れてしまうレベルの。ソレに構わずイリヤは座ろうとする。
「ちょっと待ったイリヤ」
「?」
こっちを振り返ったイリヤだがとりあえず俺は両手を塞いでいるビニール袋をベンチに置いて、俺たちが座る事になるだろう場所をハンカチで拭き始めた。
「もう座ってもいいぞ」
「へ〜シロウって気が利くんだね!」
なんとも嬉しそうに笑ってくれるのでこちらも嬉しくなってくる。どこからか「教育の成果さ」と幻聴じみた声が聞こえてくるような。もちろんシカトする。
綺麗に拭き取られて新品とはいかないまでもそれなりのベンチに生まれ変わった。イリヤはちょこんと腰掛けた。俺も隣に座る。
「………………」
「………………」
そのまま無言になる俺たちだった。
首を傾げずにはいられない。なにか話したいことがあるから誘ったんじゃないだろうか。
「あのさ」
「うん、なに?」
話しかけた途端ににぱっと笑顔になる。これは…いったい、なにを話せばいいんだろうか。
「いや、なにか話したいことがあるんじゃないのか。だから俺と話そうとしてるんだろ?」
「う、うん。けど私あんまり人と話したことがないからなにを話せばいいのか分からないよ」
「そ、そうか。じゃあ、やっぱり俺から話すべきなのかな?」
「それはそうよ。だってシロウは男の子だもの。こういう場合、男の子はレディをエスコートするんでしょ?」
…なにか、物凄い既視感がする。いったいこれはどういう事だ…。
ま、まあ確かに、いつまでも黙り込んでお見合いを続けているわけにもいかない。ここは俺が、率先して話すべきなんだろうな。年上だし。小さい子を引っ張ってやらないとな。
どこからか「教育の賜物」と幻聴じみた声が聞こえてくる気が…。無視無視。徹底無視だ。
「あー、それじゃ、改めて自己紹介をしようか」
「え、どうして? もうシロウの名前、私知ってるよ?」
「自己紹介ってのは名前を教えるだけのものじゃないんだ。例えば自分の好きな物事とか、自分はどんな性格なのか。そういう事を教えあう物…だと思う」
目をパチクリとさせて聞いているイリヤ。なんか初めて聞いたみたいだ。
「じゃあ俺から言うぞ。俺の名前は衛宮士郎。年は17歳で穂群原学園に通っている高校2年生だ。あー、壊れた物とかを直すのが趣味…かな」
「なんか頼りないね。自分のことあんまり分かってないの?」
「う…。いやまあ確かにそうかもしれない。じゃあ次はイリヤの番だぞ」
「……私の名前はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。ずっと続く冬に覆われて雪に囲まれてるアインツベルンのお城から来たの。好きな物は雪!」
当然!とでも言いたいようにして雪が好きだとはっきり発言する。本当に好きなんだろうな、雪が。
城からきたって…もしかしてイリヤってどこぞの貴族のお姫さまなのか? そりゃ見た目はバッチリお嬢さまで通用するけど。
「イリヤは雪が好きなのか。あ、だから空を見上げていたのか?」
「うん。降ってこないかなって。あ、でもね寒いのは嫌いよ。だって冷たくって痛いんだもの」
「…イリヤのいた場所ってずっと雪が降ってたんだろ? なら寒いのなんて慣れてるんじゃないのか?」
「慣れるのと好きは違うよ。どれだけ慣れてても好きにはなれないのはあるわ。ずっと寒さに囲まれていたからって必ずしも好きにはなれないの。それに寒いのよりも暖かい方がずっといいと思うの。シロウはどっちの方が好き?」
「そりゃやっぱり暖かい方がいいかな。寒さに悪気はないんだろうけど、暖かい方が過ごしやすいからな」
同意を得られた嬉しさからかイリヤは満足そうに微笑む。
なんか、初対面の時とは180度旋回した印象だ。微笑ましい所もイリヤ。だけどこの娘の中には確実に怖いところもあるんだ。
アンバランスだ。常識を知らないままに成長していったみたいな無垢さ加減は。魔術師の家ってのはみんなこうなんだろうか。俺が知っている魔術師だって比較対照が遠坂だけじゃいまいち分からないし。その遠坂にしたって常識はきっちり弁えている…よな? ……いや、あんまり弁えてないかもしんない。
魔術師の家系に生まれた子供っていったいどんな風に育てられるんだろうか。俺の想像だと魔道に関しての知識をわんさかぶち込んで一般社会についての常識はほんとうにわずかしか教えない。それも、都合にいい常識を。そんな感じだ。偏見なんだろうけど。
だけどイリヤを見ているとそれも正しいような気がしてくる。少なくとも、魔術師であっても“殺す”なんて言葉は意味を正しくないと軽々しく使ってはいけないはず。この娘の“殺人”は道端に転がっている石を蹴るような軽さしかない。
「……ウ!シロウったら!」
「…あ、なんだ?」
「もう、なんだじゃないでしょ。女の子と話してるときに他のことなんて考えちゃ駄目よ。お兄ちゃんなんだから当然の事でしょ」
年下の少女に男女の在り方について諭される高校生衛宮士郎17歳。ちょっと虚しい…。
「ん、確かにそのとおりだ。すまんイリヤ」
虚しかろうがなんだろうが今のは俺が悪い。せっかくイリヤと話をしておきながら目の前から意識をどっかにやってしまうってのは失礼だと思われる。…失礼、なんだよな。受け売りだからいまいち自信がないが。ぺこりと頭を下げる。
「ううん。別にいいよ。だけど目の前にいるのに他の事を考えてるってのはちょっと寂しいかな」
本当に寂しそうにイリヤは言った。がつん、と大きな衝撃が頭の中を伝播していた。
その通りだ。イリヤの言っている事は当たり前のことだ。自分が一生懸命話しているのに相手にされていないことが分かる事は寂しい。
…この子はなんて、純粋なんだろう。例えその純粋さが無垢ゆえの無知であったとしても…それを素直に言葉に出すことはとても難しい。無垢だからこその純粋さ。善悪の観念があろうとなかろうとこの純粋さは…とても素晴らしいものだ。
だから、俺はイリヤに聞いてみた。
「あのさ、イリヤはなんでマスターになったんだ?」
「私はマスターになったんじゃなくてマスターだったんだよ。マスターってなるものなの?」
はてな、と首を傾げる俺たち。どこかで話が噛み合っていないらしい。
「いや、俺が知ってるマスターってのはサーヴァントと契約する事が出来て初めてそう呼ばれる…らしいんだけど」
「そうなの? 私は生まれたときからマスターだって教えられたけど?」
またもやはてな、と首を傾げる俺たち。持っている情報に違いがあるのかそれともどっちかが正しくてどっちかが間違っているのか。
「どちらにせよ。聖杯を手に入れるのは私に与えられた使命だもの。そこにマスターになる理由なんてないわ。聖杯を手に入れる。だからマスターなの」
「それは、イリヤがそう望んだ事なのか? 魔術師同士の殺し合いなんてものをイリヤは望んでいるのか?」
イリヤはじっと俺を見詰めている。不思議な色彩の眸に引き込まれそうになってくる。
「聖杯を手に入れる。それは私の生まれた理由。だから、望むとかじゃなくて当然のことなの。聖杯戦争を否定する事は私の存在理由の否定になるわ」
また雰囲気が変わった。今度は怖ろしさや無邪気さを感じさせるようなものではなく、どこか透明な悟りを開いた隠者のような物言い。子供が言うべき言葉ではない。
俺はその言葉に込められた重さに…なにか、寒いものを感じてうろたえた。どこかしら憶えのあるような光景にも。
「な、なんだよそれ…イリヤは聖杯を手に入れるためだけに生まれたってのか? それって、なんか、嫌じゃないのか?」
何かの為に生まれて何かの為に生きていく。それが俺には幸せとは思えないけど。俺もまだそこまで大人に慣れているわけじゃないし。
「そこに感情の挟む余地はないわ。それに、私がここにいるのは聖杯を手に入れるためだけじゃないの。私は生まれた理由とは違う理由でここに来たの」
「それって、イリヤには聖杯を手に入れるのとは別に目的があるってことだよな?」
うんと俺を見ながら頷くイリヤ。
よかった。生まれた自分に理由が必要なんて悲しすぎると思う。だから俺は、イリヤに目的がある事を知ってとても嬉しくなっていた。その願いが何であるかも知らないで。
「…どうして、どうしてシロウがそんな風に笑うの?」
む…、と自分の頬を撫でて見るとたしかに笑っている。
「そんなの嬉しいからに決まってるじゃないか。イリヤにはイリヤだけの目的があるんだろ。なら俺だって嬉しいよ。なんにもないってやつはとても寂しい事なんだぞ。そこには嬉しいも楽しいも哀しいも、そもそも寂しいなんて感じることも出来ないんだ。それは、すごく虚しいんだ。虚しい事に気づけない事もな」
生きながらに死んでいる。そんな状態を、なんとも思うことがない。ただ、息をしているだけ。笑う事も話をする事も思考する事も…なんにもない。あるのは絶無への流動。虚無を待つ虜囚。
なんとなく、イリヤの頭をポンポンと軽く叩くようにして撫でる。さらさらの髪の毛が手の平に心地よく馴染む。
「…む。もうシロウってば、髪の毛が乱れちゃうじゃない」
「あ、すまん。嫌だったか?」
「別に嫌じゃないけど」
もごもごと言葉を詰まらせるイリヤ。まずい、この少女が俺をどう思っているのかは知らないが、俺はこの少女を嫌う事が出来なくなってしまっている。イリヤは俺と戦うことを決定事項としているみたいだが俺はどうにもこの子とは戦いたくない。
こうして話をしているイリヤは本当に年相応の少女みたいで、まるで妹が出来たみたいと感じてしまう。それが、切嗣の影響だとか、そんなことは関係なく、俺がそう思っていることだから。
「シロウはどうしてここに来たの? 両手に荷物なんて抱えて?」
はっと気づいた時にはすでにセイバーと別れてから30分は経過しているではないか。まずい、待ち合わせ時間に遅れてしまう。それに当初の目的も果たせていないではないか!
「あ、ああ。人を探してたんだ。イリヤはそんなの見ていないか。その、ここら辺りじゃちょっと見かけない特殊な服を着たヤツなんだが…」
「特殊な服? ドレスみたいな?」
口元に指を当ててこてんと小首を傾げる。
「いや、ドレスとは全然違うけど、ある意味似てるような部分もあるかな。緋色のズボンみたいなスカートみたいなの着てて真っ白な上着を着てるんだ。んで、長い髪の毛を後ろで縛ってるやつ」
「それだけじゃ分からないよ。もっと詳しく教えて」
詳しくって…イリヤに巫女装束を説明しても分かってもらえないと思う。この寒い空の下、に緋袴でしかも千早まで装備した珍しすぎる姿。というか、千早とかって日本人でも知らない人の方が多いかもしれない。
「えっと、身長は163cm。体重は52kg。特徴は長すぎるぐらいの真っ黒な髪の毛で馬の尻尾みたいになっている。肌の色は青白くて幽霊みたい。下駄を履いているから歩くとカランカランって音がするんだ。この世に二人といないから見ればすぐに判る。というか、複数いたらとても嫌だ」
「ふ〜ん」
む、気づいてみればイリヤはどこかしら不機嫌そうだ。いまの言葉のどこかにイリヤを不快にさせる言葉があっただろうか。もしそうだとしたら謝らなければ悪気がないからって人を不快にさせてなんにも思わないやつは最低だと思う。
「あの、イリヤ? なんか不機嫌そうだけど…?」
「そう見えるんならそうなんじゃない?」
そ、そうなのか。いやでも聞きたいのはどうして不機嫌そうに見えてしまうのか…なんだけど。
「でさ、話を続けるけど見たか? この辺りにきたと思うだけど…」
「ふん。シロウの言ってる事なんて知らない。他の人に聞いてみれば」
不機嫌どころか刺々しい雰囲気になってしまった。さっきとは打って変わってあからさまにこっちを見ようとはしない。
まったく…いったい、なにがどうなっているのやら。あ、もしかしたらこういうのを女心と秋の空って言うのかもしれない。秋じゃないけど…。加えてイリヤは少女だ。
周囲を見渡してみても誰一人として人がいる気配もなし。イリヤ以外の人に聞くなんて不可能なのだ。まいったな。セイバーになんて言ったらいいのか。
「…シロウ困ってる?」
「う、そうだな。かなり困ってるかな」
俺をじーっとしたから見上げるイリヤ。心配してくれてるみたいでまん丸な眸が少し揺れている。
「…ん、じゃあもう少し探してる人の事を教えてみて。どんな人かじゃなくて、どんな顔してるとか」
「顔…?」
と言われて、見上げる少女をじっと見てみる。
決して似ているわけじゃないのにどこかしら似ているような気もしてくる。切れ長の目を持つ綾に対してまん丸な目のイリヤ。薄青い眸の綾に対して薄赤い眸のイリヤ。大人っぽい顔立ちをした綾に対して子供の部分を色濃く残すイリヤ。
そこで不意に気づいた。そう、イリヤと綾は似ている部分が確かにある。正真正銘の外人さんであるイリヤと、どこかしら外人さんっぽい所のある綾は似ていなくもない。顔の造作云々もどこか似ている。個々のパーツが似ているのも認める。それよりなにより似ているのは二人の持つ雰囲気。
どこか子供のような感性と大人のような理性。なにげない無邪気さと薄ら寒くなるほどの透徹した意思。なによりも、自己を中心とした世界価値の構築は驚くほど似通っていないだろうか。
「どうかしたの。私の顔をじっと見て?」
覗き込んでくるイリヤを見てさすがに言葉を探した。なにか、この言葉を言うことで引っかかる事があったはず。イリヤは俺の事情など知らないので「ねーねー」とせがんでくる。このまま無碍にするのも悪い。
「あー、俺の探してるヤツな。ちょっとイリヤに似てるかもしれない」
「え、ほんと!?」
「ああ。なんとなく感じただけだけどな」
かなり驚いているご様子のお嬢さんは解読不能の言葉を呟いた後、なんだかとっても嬉しそうな表情になった。雪解けみたいにさっきまでの不機嫌な顔から微笑んだ。まいったな。もしかしたら俺って子供好きかもしんない。………別に変な意味じゃないからな。
とにかく、イリヤは見ているほうまで嬉しくなる笑顔を浮かべたのだ。いったいなにがキーなのかは分からないけど、喜んでくれている事が大切だと思う。
「でもシロウの言ってる人は見てないの。私に似てるならちょっとでも見たら分かるはずだし」
「いやいい。こっちに来たかもしれないってだけだから。知らないほうが可能性が高いよ」
んしょっと…ビニール袋を持ち上げてベンチから立ち上がる。イリヤもブラブラさせていた足を止めてぴょこんと地面に降りる。
「ごめんなイリヤ。俺もう行かなきゃ」
「うん。私もそろそろ帰らなきゃ。あんまり一人で外にいるとお小言言われちゃうから」
相変わらず空は寒く空気は冷たい。イリヤは寒そうにミトンの手袋をすり合せている。そう言えば、寒いのは嫌いって言ってたっけ。俺はそれがどうにも放っておけなくて―――。
がさごそとビニールの中からホッカイロを取り出した。
「イリヤ。ちょっとちょっと」
珍しいものを見たのかなになにと素直に寄ってくる。俺は中身を取り出して高速でシェイクハンド。大げさな俺の手ぶりにキャーキャー言ってくれる。それがなんとなくまた頬が緩んでくる。
「あったかーい。これなに〜?」
目を丸くして熱を持つホッカイロに釘付けになる。
「現代文明の利器だ。その名をホッカイロという。あげるから持ってけ。道中寒いだろうしな。風邪を引かれでもしたら心配だ」
「あ…。うん、ありがとう。でもいいのかな、もらっちゃって」
「いいに決まってるだろ。俺がイリヤにあげたいって思ったんだから。そんなに高いもんじゃないから気兼ねなくもらってくれ」
「そっか。…ほんとに、ありがとう」
なんだか照れくさくなってそっぽを向く俺だった。ほんとう、どうかしてる。ずっと年下の少女にドギマギするなんて。こんなの綾に知られたら一生もののロリコン呼ばわりだ。そんな事になったら舌噛んで死ぬぞ。
「それじゃーね。ばいばい」
と、イリヤは駆け出して公園から出ようとしたところでピタリとこっちに少しだけ向き直った。
聞き取れるかどうかという小さな声。俺とイリヤの距離はさっきまでとは違って随分と離れてしまっている。だけど聞こえた。その言葉。
「―――私ね。衛宮切嗣って人を知ってるんだ」
「――――――――」
「―――私の目的はね。イリヤ目的はね。キリツグとシロウを殺す事なの」
「――――――――」
「―――だけど、どうしてかなぁ。どうしてそんな事思っちゃったんだろう」
寂しそうな横顔。目線はここではないどこかへ。遥か彼方を映している。
そうしてイリヤは身を翻して銀の髪を靡かせ、妖精のように道の向こう側に消えていった。…俺はずっとその背を見ているだけしか出来なかった。
手を伸ばしたところで何も出来ず、少女の目的を知ったいまなお、手を伸ばしてどうするのかと。どうにもできない無力な自分を罵倒しながら。
少女の目的。切嗣を殺すこと。俺を殺すこと。ああ、これで決まった。イリヤは本当に、切嗣の娘だったんだ。その事実を…俺はゆっくりと溶かすようにして受け入れた。
大切なのは、肯定するでもなく否定するでもなく、ありのままの事実を認める事。その後で、自分の想いを決める事。
そうして俺の中で固められた現実…俺は、イリヤとは戦えない。
いつまでもイリヤの去った後を眺めていた所でなにが変わるわけでもない。俺の中であの子とは本気で戦えない事が分かっているんだからであってしまったときのほうを考えた方が建設的だ。
「行くか」
誰に言うでもなく呟いた一言。出発の合図は自分にかける御呪いみたいだった。
公園に再び寒々しい寂しさが戻る。人が一人いなくなるだけでこうも変わるものなんだなと…ぼんやり思った。
ズボンのポケットに鈍い振動が加わる。しかし、俺の両手は塞がっていて取り出すことが出来ない。しょうがないのでビニール袋を地面に置いて携帯を取り出す。
何処かの公衆電話から掛かってきている。ぷつ、とボタンを押すと向こう側から聞きなれた声が流れてきた。
「この寒空の下。公衆電話なんて珍しい物を見つけるのにはとても時間が掛かるわけで、原告綾&セイバーは被告お兄さまに時間横領の罪で焼き芋の支払いを求めるもの也。一切れ200円なんてものじゃなくて500円ぐらいの―――」
ブチッとHLDを押した。そして何事もなかったかのごとく携帯電話を元に戻す。
さて、あのとても自分勝手でとてもわがまま三昧を横行する戯け者をどう制裁してやろうかと暗い闘志を燃やしながらズンズンと歩き出すのであった。
衛宮の屋敷に戻るとさっそくセイバーとの戦闘訓練が始まった。
せめてそう呼ばせてもらいたい。だって本当の所はセイバーが俺をこてんぱに熨すだけにしか見えなかっただろうから。
それにしても、痛い。セイバーは情け容赦なんて塵一つも感じさせない剣さばきで俺をボコボコにしてくれた。明日になったら青あざやらが浮き出てくるだろう。それを見て綾がケラケラと笑うのだが。これにも腹が立つ。
ま、手加減したんじゃ訓練の意味がない。俺がこの訓練で得るべきものは危機への感知と対処だし。その点、セイバーはいい教師になってくれる。こんなにもボコボコにされたのは中学の修学旅行以来だ。
道場の中で二人して向かい合うと周りの景色がなんにも入らなくなる。入った瞬間に俺の意識は竹刀に根こそぎ刈り取られてしまうからだ。
「今日はここまでにしましょう。気合を入れてするのはいいのですが、あまりやりすぎると元の木阿弥です。シロウが痛みで動けなくなっては本末転倒だ」
「うむ。そうしよう。もう夕方だし、腹も減ったし、鍋を囲んで寒い今夜に備えよう」
「鍋…?」
「ああ。冬に鍋ってのはいいものだぞ。色んな具を鍋にぶち込んで煮て食べる。だけど鍋の一番いい所は一緒に食べる人がいるって事だな。話しながら食べるのが許される食卓になる」
一人で食べる鍋なんて想像できない。あったらそれはそれは侘しい雰囲気になるはずだ。
「なるほど。戦場での煮込み料理に似てますね。私も戦場で猪を狩ったりして煮込んだ料理を食べた事がある。戦の勝利によって場が浮かれてはいましたが、兵一人一人の士気は大幅に向上しました。やはり料理は戦時において気を抜いてはならない要項なのです」
セイバーの発言は何気にスプラッターだった。実地体験に基づいたとされる喋り方がちょっと生々しい。
「そうか。多分、その時よりも美味しいと思うぞ」
としか言えない。
「本当ですか?」
「あ、ああ」
「言いましたね。確かにあの時よりも美味しいと確約しましたね。誓って美味しいと言ったのですね」
多分って言ったのは聞こえていないのだろうか。いや、聞こえていないんだろうな。眸が大鷲の目になっててNOと答えたら俺が狩られそうな勢い。
「…ああ」
「そうですか。それは楽しみだ」
にこにことさっきの剣幕はどこへいったのやら…とたんに機嫌のよくなるセイバー。そんな彼女に食いしん坊セイバーの称号を与えよう。
なんの確証もなしにあんな事言ったわけじゃない。昔の人がどんな料理を作ってかは知らないが猪を捌いてそのままぶち込んだわけではないだろう。そんな事したって全然火が廻らないし、そもそも美味しくならない。現代だったら、セイバーの知らない調味料や技法なんかもあるし、大丈夫だろうと思っているわけで。まあ、安心、かな?
「それとセイバー。聖杯戦争の事についてなんだが…」
「む、なにか新しいことがわかりましたか?」
「実は柳同寺にサーヴァントがいるらしいって事を聞いたんだ。しかも2体」
「柳同寺…。あの場所は私たちサーヴァントにとっては鬼門だ。山上の本堂から参道を除いて全周囲に結界が張り巡らされている。そのような場所に二体ですか…」
「ああ。その内の一体は門に、一体は寺の中にいる」
「私たちが知らないサーヴァントはすでにアサシンとキャスターのみ。その二体が組んでいるということになりますね」
まあ、そうなんだろう。
アーチャーが言っていた真正面からやりあいたくないと言うのはどちらか。あいつの白兵戦の技量を僅かながら知っている俺としては考えがたいのだがこの場合ではおそらくアサシン。
いつのまにか暗殺者の呼び名が定着してしまったアサシンだが本来の意味は違う。が、今はそんな事は関係ない。暗殺者と呼ばれるからにはやはり奇抜な戦闘法を用いるはずだ。ステロタイプな暗殺者はもともと正面からやりあわない。ならばこのアサシンはどんな戦い方をするのか…真正面から変則的な攻撃方法をしてくるのが妥当。そこからどう組み上げるか…と推測して詰まる。なんにせよ情報が少なすぎる。鍵になるのはアーチャーの言っていたらしい正面からはやりあいたくないって言葉なんだが。
「…それよりシロウはどこからこの情報を手に入れたのですか?」
「これは遠坂に礼を」
したときに…と続けようとしてセイバーの眸に宿る抗議の色を見つけてしまった。
「あ、いや。これはだな。つまりはそういうことなんだ」
「どういうことなのですか?」
「いやだからさ。遠坂には色々と世話になって、というか、遠坂がいなかったら俺はいまここに生きていなかったかもしれないわけで、そんなこんなで礼をするのは人として当然の行為だと思われると思うのですが…」
などとつい言い訳臭い事を述べてしまう俺だった。
「まあ、シロウがそうした人間だと言うことはこれまでの経験から理解できました。リンも一度交わした約定を覆す事はしないでしょうが、くれぐれも軽率な行動は控えてください」
「はい」
「それで、どうするのです? 今夜にでも乗り込むのですか?」
「あ、そのことなんだけどさ。柳同寺には今回限りで遠坂と組むことにしたんだ。相手は2体ならこっちも2体って事で」
「それは私だけでは不安という事ですか?」
「違う。柳同寺にいるサーヴァントは町で起こっている昏睡事件の犯人なんだ。それは止めなきゃならない。今すぐにでも。そのためには一人で挑むよりも二人でやった方が迅速だし確実だって事。それに、柳同寺はサーヴァントにとって鬼門なんだろ。それはセイバーも例外じゃない。結界を通り抜けるためには参道から山門に至る。その場所にサーヴァントの一人がいる。これは当然の配置だ。そいつはたぶん、白兵戦が得意だからセイバーが攻める。中にいるヤツはキャスターだからマスターが俺のセイバーよりも遠坂がマスターのアーチャーの方がいいってこと」
「…意外とシロウは口が上手いのですね」
俺より口が上手いやつの口撃を毎日受ければそれなりになるだろう。
「…分かりました。彼女たちはいずれ戦わなければならない相手ですが、信用は出来ます。それに、私がアサシンを相手にし、アーチャーがキャスターを相手にするのは悪くない。私たちがアサシンとマスターを討ったのと同時にリンたちがキャスターとマスターを討ったと考えればそれで」
ようするに、俺たちがアサシンを倒して遠坂たちがキャスターを倒すことに異論はないが、あくまでも単騎での戦いの上…って言いたいんだろう。プライドたっかいなー。
「それで、いつなのですか?」
「え…?」
いつ、なんだろう。あの時は手を組むって事に合意して遠坂のリボンを帰したら妙な方向に話が流れてしまったから、いつ、とは決めていない。
それを目の前の今にも外に飛び出そうとするセイバーに言うには少しはばかられる。けど、勝手に俺が何時攻め込むかなんて事を決めるわけには行かない。それは遠坂と相談して決めなければいけないことだし。
う…。どうしよう。ここで声高に「知らん!」なんて言ったら突きと呼ばれる一撃必殺の竹刀による攻撃が喉を直撃するやもしれん。手元に刀剣の類が置いてあるときのセイバーは非常に暴力的だ。それは非常に避けたい。
「…なにか今よからぬ事を考えていましたね?」
「いやっ、全然、そんな事はないぞ!」
あ、焦った。セイバーはふ〜んといかにも俺を信用してなさそうな表情で見ている。なんか機嫌が急降下中でさっきよりも本当の事を切り出しにくい感じ。イメージとしては落下傘部隊で銃剣を「きえ〜!」とか叫びながら突き刺してくるように。
「シロウ?」
「ほんと、考えてないから!」
そうだった。セイバーは人並みはずれた天性の直感があるんだった。俺がよからぬ事を考えると彼女のスキルが発動するのかもしれない。…いやすぎる。
そのまま時が過ぎること三秒。無言のままに正座の俺たち。目の前から放射される眼光。この硬直した状況。打ち破るとしたらそれは―――。
「む―――」
「これは―――」
俺とセイバーは顔を見合して立ち上がる。屋敷の中に異質な人物が入ってきたからだ。周囲に張り巡らされた結界が知らせてくる。
この屋敷に悪意を持ってやってくる者ならばもっと激しく反応するはずだがこれはただの普通とは違う誰かが来たという事を教えてくるのみだ。
そして俺は、これ幸い、機をみるに敏と素早く立ち上がってその普通とは違う誰かを迎えに行くのだった。
「あ、話はまだ終わっていない。待ちなさいシロウ」
さりげなくセイバーの言葉を無視して急いで道場から脱出するのだった。
空の状況は前日と対して変わらない曇り空だが時刻を知ることぐらい出来る。もう夜に差し掛かって夕飯を食さねばならない時間だ。
だかだかと庭を駆け抜けて行って軒から屋敷に上がりこみ急いで玄関に辿り着く。ガラッと開けると客人は開口一番にこんな暴言をのたまった。
「遅い!」
いや、これでも結構急いで来たんだがな。つーか。
「どうしたんだ、遠坂?」
玄関先で仁王立ちしている少女は件の遠坂凛だった。なにを考えているのか大仰な荷物を持っている。
「決まってるでしょ。今日の夜にでも柳同寺に乗り込むわよ。これまでふざけた真似してきたツケを支払わせてやるのよ」
などと息巻いてこっちの返事も聞かずにずかずかとまるで家主のように入っていくのだった。その、暴風じみた行動に俺は呆気に取られて見送るだけだった。
「さすがリンですね。私も彼女と同じ意見です。今夜にも攻め込むというのならシロウもゆっくり休んで心構えをしていてください。それと、鍋を忘れずに」
いつのまにやら隣にいたセイバーがそんなことを言って自分の部屋へと戻って行った。う〜む。なんか、騒がしくなってきたな。衛宮邸。
「ちょっと士郎ー! 荷物おきたいんだけど空いてる部屋ないのー!」
「ああもう。少し待ってろー! こっちにも事情ってもんがあるんだからさ!」
「そんな事知ったこっちゃないわよー!」
「………………………」
何も言わずに遠坂の要求に従う俺だった。なにを言っても多分無駄なんだろうなーという直感が働いたからだ。ひと、これを悟りという。
とりあえず、遠坂を別棟まで案内した。なんか、色々とする事があるらしくて一人で安全な場所はないのかという問いに最善の答えをしたらここだったというわけだ。
誰も使っていないわりにそこそこ綺麗なのは綾がちょこちょこと掃除を繰り返しているからであって少しだけ感謝した。ここが誇りやらなんやらで汚れまくっていたら遠坂になんと言われる事か。それを想像するともう怖気が走る。
「さっそく柳同寺の攻略について話しましょうか。ちょうどいい具合にセイバーもいるし」
「分かりました。ではさっそく詳細について打ち合わせましょう」
女の子二人は俺が入り込む隙間がないぐらいにやる気に満ち満ちている。それはいいこと…なんだけどな。遠坂はなんでも他のマスターとやり合っていないから鬱憤が溜まっていて学校での調査も上手く言ってないからとにかくマスターをぶちのめしたいらしい。そしてセイバーも同じようなもんでランサー、バーサーカー、と戦ったはいいが結局決着はついていない。ライダーなんて一瞬だけぶつかり合っただけだ。加えて綾と一緒にいると安らぎなんだかストレスなんだか分からないモノが溜まるらしい。慣れてないから…としか言いようがない。
「つまり、あの寺には前衛専門と後衛専門のサーヴァントがいるわけなの。たぶん、アサシンが前衛でキャスターが後衛ね。私が放っておいた偵察もアサシンに気配を悟られて斬られたもの。武器は恐らく刀剣の類。アーチャーは正面から挑む事はしたくないと言っていたから本気で気をつけること。アサシンのクラスは伊達でもなんでもない。どんな宝具があるか分からないから」
「そうですね。相手の宝具のことは気になりますが、アサシンが門番というのも気に掛かります。本来、暗殺者は相手の虚をついてこその暗殺者だ。己の姿を晒してまで暗殺を行うのは珍しい。なのに、堂々と姿を見せているということはよほど己の力量に自信があるようですね」
「そうみたいね。しかも同じ刀剣使い。剣士としてどう思う?」
「どう思うもなにも。相手は所詮暗殺剣の使い手。虚を突く剣にさえ気をつければ私が後れを取る事などありえません。私は剣に関しては誰にも引けをとるつもりはありません」
「ま、そうよね。だからセイバーのクラスに選ばれたんでしょうし」
「………………………」
「問題はお山に張り巡らされてる結界か。地脈霊脈を正しく循環させるには気に通ずる管がなければ駄目だからやっぱり参道以外にはありえない。それを熟知しているからこその配置だろうし。やっぱりこの場合、アサシンはセイバーに任せて私とアーチャーは御堂のキャスターを始末するのが最善ね」
「はい。もしキャスターに精神に働きかける魔術の心得があった場合、私は問題なくてもシロウにはほとんど耐性がない。操糸に手繰られては私にはどうしようもなくなる」
「………………………」
「で、そこでぬぼーっとしてる士郎に意見はないの?」
「別にボーっとしてたわけじゃない。ただ聖杯戦争になにか漠然とした…膜みたいなのがあるような気がしてならないだけだ。こうして考えると俺が知ってる聖杯戦争って表面的なことばっかりで全然成り立ちとか知らないんだよな」
「例えば?」
例えばって…どうして親父は聖杯を目の前にして壊したのか、とか。聖杯を手に入れる為に他のサーヴァントを倒さなければならないのはなぜ、とか。言峰に説明されたのはそれが聖杯を得るためだからだ…としか言われていないし。そもそもその聖杯ってのが現実に存在するとしても胡散臭いのは言うまでもない。どうして聖杯に意志なんてものがあるのか、とか。倒されたサーヴァントはどうなるのか、とか。
「どうして聖杯を造ったのか、とか」
「そんなの……ったしか、遠坂の文献じゃ始まりの御三家が互いに協力しあって聖杯を造り上げたってされてるけど…その理由については知られてない。魔道の探求。真理の到達。色々と推測は出来るけど…たしかにそうね。聖杯は願いを叶えるもの。なら、始まりの願いはなんだったのかしら……?」
「なんか気持ち悪いじゃないか。なんにも知らないままに戦わされてるみたいで。なにか非常事態になった時に知らなかったから…で済ませようなんてしちゃいけないんだ。知らない事が罪じゃなくて知ろうとしなかった事が罪じゃないのかってのは受け売りだけどな」
そう、知ろうとしないことは罪だ。大切な事なのに認識もしないで事が起こった後であればそんなことは知らなかったと弁解みたいな事をしたくない。知ろうとした結果がなんであれ、行為自体は当然の事だと思うから。
この聖杯戦争を戦っていくと決めたのは俺自身なら、納得するまで聖杯戦争を知りぬかなきゃいけないはずなのに。なんだって俺は今の今でそんな当たり前の事を忘れていたんだろう。状況が忙しかったから、なんて言い訳は見苦しすぎる。…馬鹿だ、俺は。
だから、俺はもっと知らなきゃいけない。切嗣のことも、イリヤのことも、聖杯戦争の事も。なら、いま思いつく全ての疑問を言峰辺りに聞くのが最上ではないだろうか。…明日辺り聞いてみよう。さしあたっての問題は…目の前に迫った柳同寺のサーヴァントに関してだからな。
「柳同寺にはやっぱり深夜すぎぐらいがいいのか?」
「え、ああそうね。二時ぐらいかしら」
「よっし。そんじゃ、その時に腹が減って動けなくならないように鍋の様子でも見てくるか」
俺は立ち上がって呆気に取られているような遠坂を尻目に部屋から出て行こうとする。と、その前に―――。
「遠坂も食ってけ。うちの鍋はにぎやかで楽しいぞ」
反論なんか許さない。有無を言わせぬ勢いで部屋から出て行った。
鍋を作るために本邸へと移動する。空は相変わらずの曇り空だけど、なんとなく気分はよかった。
が、それもすぐに崩れ去った。土蔵の近くで弓を射る赤い騎士の姿を見つけてしまったからだ。俺がいることに気づいているくせに完全に無視。そのくせ意識だけは飛ばしているのがまたなんとも…鼻持ちならない。
「何か用でもあるのか。衛宮士郎」
背を向けたままひどく無愛想に問う。愛想をよくされても気持ち悪いだけだが。
「あるわけないだろ。歩いていたらたまたまここに来ただけだ。お前と話すことなんかない」
「それはなによりだ。私としてもお前などに関わりたくはないのでね」
「お前、けんか売ってんのか?」
「まさか。限定的とは言え、マスターが休戦すると定めたのだ。それに叛くような真似はせんよ」
むか…と、胸の中でもやもやとした煙がくすぶってきた。お前が声をかけてきたくせになにを抜かすかと反論したくなる。が、ここで相手をしては時間がもったいない。俺には鍋を作るという使命があるのだ。それを前にしてこいつと実のない会話をするほど暇じゃない。
「ふん」
「…おい、衛宮士郎」
「なんだよ?」
一歩踏み出してたたらを踏んでしまった。振り返るとアーチャ−がこっちを失せた目で見てきている。
「衛宮綾…と言ったか。あれは、何だ?」
それは、どちらかと言えば困惑だったのかもしれない。ランサーとぶつかり合ったときでさえ困惑の色などなかったこの騎士がなんだって綾のことなんかを聞いてくる。
「あいつはあいつだ。それ以外の何者でもないだろうが。それともなんだ。お前はあいつの本当の名前でも知ってんのか?」
「本当の名、だと…?」
「お前が何を言ってるのか知らないけど、あいつになにかくだらない事でも言ってみろ。遠坂との約束を破ってでもお前を倒すからな」
なにか気に入らなかった。なにが気に入らないのか。そうか。こいつが綾のことを語ったのが気に入らないのだ。大体、なんでこいつが綾のことを気にする。ぜんぜん、関わり合いなんてないじゃないか。…まさか、綾の容姿に誑かされたか? だとしたら大笑いしてやるのだが。
「お前にとってあれはいったいどのような存在だ。お前はあれに対してなにを感じた。お前はあれをどうしたいと思ったのだ」
は? こいつはいったい何を言っているのか。綾をどうしたいだと…? どうしたいもなにも、どうもしないが答えだ。俺がどうしようとも綾は綾でしかない。
「お前はなぜこの戦いに加わった」
「そんなの、お前に言うことじゃないだろ。なんでそんなことを聞く?」
赤い騎士は乾いた笑みを浮かべた。それは俺に向けてではなく自分に向けての嘲笑じみた笑い方だ。
「…戦うということは争いだ。争いを起こすにはそれ相応の目的と理由が存在する。凛はただ戦うために。私たちサーヴァントは己が願いを叶えるために。ならば、お前は何のために戦う」
俺の戦う理由。セイバーの願いをかなえるため。関係のない人間を巻き込まないため。いや、違う。これは本当の意味での戦う理由じゃない。
俺の戦う理由。人々を守りたい。誰もが傷つくことなく、笑って生きてけるような。そんな世界。これは俺の中で在り続ける理想の形。親父から引き継いだ願いの形。
だがそれは、切嗣が思い描いたものであって俺のものではない。そんなことは百も承知だ。この世界の誰が他人の願いを完全に引き継げることができる。そんなのは傲慢だ。思い上がりも甚だしい勘違いに過ぎない。
だけど、そう、だけど、この願いが間違っているだなんて誰にも言えやしない。言わせはしない。この世の中にあんなに綺麗な願いの形があったことを否定するなんて誰にも許されない。誰かを助けたいと願う事は、間違いとか正解なんかじゃ計れない尊いもののはずだからだ。
なら、俺は何のために戦う。この戦いにほかの誰も巻き込ませない。これは俺も切嗣も変わらないはずだ。誰の願いかを問うことはさして重要じゃない。大切なのは想い願うことのはずだから。
「…俺は、戦う理由なんてよく分からない。だけど流されるままにここにいるわけでもない。人を助けたいって思ったってどうしようもない事は絶対にあるんだから」
それは助けたいと思った人がどうしようなかったり。それは助けたいと語ったことがひどく自分勝手であったり。
誰かを助けたいと願うことに善悪なんてない。けれど、誰かを助けたいと思うことは善意の押し付けだったり自分の欲望を満足させることでもある。
「だけど、助かって欲しい。誰かが手を伸ばしてきたら掴みたい。知らないままにそれを見過ごすなんて嫌なんだ。俺は、聖杯戦争を知った。知ってしまった時点できっともう引き返せなかったんだ」
「つまり、知ることがなければ他人はどうなってもいいということか?」
「違う。俺がどうしたって世界は不公平で不平等。なにがどうなったって救われない人はいる。だけど、俺が動く事で助けられる人がいるかもしれない。だから俺はここにいる。俺の目の前の人にだけは笑って欲しい。そう思っているだけだ」
「全てを救うという願いは間違っていると?」
「それも違う。その願いに間違いなんてない。投げているわけでも、諦めているわけでもない。現実の俺は無力だけど、なにもできないかもしれないけど、目の前に苦しんでいる人がいるなら助けたい。この戦いに巻き込まれる人がいたらきっと、苦しむはずだから」
たとえそれが、ただの自己満足であり逃避だとしても。
「……………………」
「後悔するのは嫌だ。知らなかったことを理由に自分をごまかしたら俺は俺を許せなくなるだろうから。だから、戦うのかもしれない」
生きることは戦いだ。どんなに無力で運命に打ちのめされて這いつくばっても、意志の輝きだけは奪わせない。
そうして俺は赤い騎士の前から去った。こんなことを思うのは癪だが、どうやらアーチャーのおかげでおぼろげだけど、戦う理由ってのが見えてきたから。それはまだきっと、小さい。だけど、風に吹かれて消え去ってしまうほど弱くはない。
この想いを大事に胸にしまって、少しずつでもいい、大切にしっかり育てていけば、いつか大きな火になるはずだと思って屋敷に上がった。
こんな風に考えることができるのはきっと、俺の周りにいる人たちの助けがあるからこそ。綾や藤ねえ、桜に感謝した。